「たかり」を懲らしめた話
これは私がまだ世銀で現役で働いて、アフリカのウガンダヘ出張したときの話です。私はウガンダは最も気に入っている国の一つです。人は親切で気候もとても穏やかで爽快なところです。
当時、私はウガンダの最大輸出品であったコーヒー産業の改革の仕事をしていました。ウガンダ政府の高官などともずいぶん会議を持ちましたが、民間セクターを育てるのが世銀の方針だったので、民間のコーヒー輸出業者をメンバーに持つコーヒー輸出協会の設立にかかわりました。そこの会長は30代半ばのとても感じのいい男で、彼とも仲良くなりました。ワシントンに帰る前に夕飯でも彼と一緒にしようかと思い誘いました。しかし、なんか忙しかったようで一緒できなかったのですが、そこにいた確か30代前半の副会長のような男が「私はご一緒できますよ」といい、カンパラでも最も高い中華料理の店に行くことになったのでした。私は彼のことはよく知らずあまり乗り気ではなかったのを今でも覚えています。彼が車でホテルに迎えに来たのですが、若い魅力ある女性が一緒でした。
レストランでは彼女にいいところを見せるように、話の主導権を握り、はしゃいでいました。そんな高いレストランの客はほとんど外国人で、彼女も多分来るのは初めてで、彼は、これで彼女ともこれからうまくいくと思ったことでしょう。「あなたもおいしいものをどんどん頼んでください。エビなんかいいですよ。」などと私に言ってジャンジャン高い料理やビールを頼みました。私もこの店は前に数回来て、気にいっていたのでおいしく食べました。食べ終わって、請求書が来た時、相手の魂胆がわかっていたので、ここは先手を打とうと「今日は楽しかった。それじゃー、男二人で半々にしようか。」と言ったのです。確か請求額は100米ドルちょっとぐらいだったと思います。私の記憶では当時(1990年頃)のウガンダでその額は今の日本での5,6万円に相当したでしょう。彼は黒人でしたが、その顔が真っ青になり、慌てふためいていたのが見て取れました。彼は財布を出して、相当はっきりいやいやながら黙りこくって半分を払いました。レストランから車まで、私は鼻歌を歌って「今晩はいい天気だなー。」などと言っていたようでしたが、彼は黙っていたのを覚えています。
ファーストクラスに乗り、途上国の一流ホテルに泊まり、また名前が名前なので、世銀の職員にはふんだんな接待費があるのだろうと誤解している人が多いようです。実際はほとんどないのです。上のような露骨なたかりはあまりありませんが、巧みなのはちょこちょこありました。私が予算を管理しているプロジェクトで、コンサルタントが、巧みに高い食事代を二重に請求してきたり、(これはだいぶ汚く私も頭にきて怒り、請求書を書き直させましたが。)私自身は同じ町の一流の下のホテル止まって、いいホテルだったよと言ったのに彼が行ったときは一流の上のホテルに泊まるコンサルタントなど、覚えています。私は少し酒が好きなので、出張時の夜はホテルのバーなどで酒をよく飲んだのですが、酒は出張経費として請求できないので、いつも出張は赤字でした。これは世銀の職員はあまりしないのですが、現地の私の世話をしてくれている政府職員にビールをよくおごってあげました。そこで現地の人の生活や政府内のゴシップなどが聞け仕事に役に立ったこともありました。こんなことをして、ずいぶん仲良くなった政府職員も幾人かいました。これで出張は大幅に赤字になり、かみさんにどう言い訳するか苦労したのも昔のことです。
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