見出し画像

『東の海神 西の滄海』感想文の感想への感謝とちょっとしたこぼれ話

 先日、十二国記シリーズの『東の海神 西の滄海』について、読書感想文(と、言っていいのかどうか、いまだに自分の中でも不明ですが…)を書いたところ、いつもX(旧Twitter)で仲良くしていただいている方や、noteで初めて出会った方から、思いのほかたくさんの感想やスキをいただけてとっても嬉しかったです。

 何せ私の長文癖と愛情過多により狂気の5万字超に仕上がってしまい…誰も読まないでしょこんな長いの…いや誰か1人でも読んでくれたら嬉しいな…という気持ちだったので…。
 本当に本当に、たくさんお声かけやいいね、スキをいただけたのは、予想外の感激で、嬉しくてとても暖かい心地になりました。

 すべての方には届かないかもしれませんが、反応くださった方皆さん、本当にありがとうございます…!

↑前回の。



 そして今回は、いくつか、私の理解や想像の範疇を超えた素晴らしい感想をいただいてしまって、自分の中の物語(及び尚隆の意図?)の解像度が爆上がりし、わ~!皆さん天才だ~!!理解が深まる~!ありがたい~~!!という気持ちが抑えきれなくなったため、その天才的な知見をご紹介します。

 それと、あまりに根拠がない想像でしかない可能性だったり、他の作品の話が絡んでいたり、といった理由で、前回の感想文の際には載せるのを断念した、本当にちょっとしたこぼれ話もあるので、そちらも一緒に書いてみようかなと思います。



いただいたご感想が天才だった話


 本当に本当に、いただいたご感想が天才でした。

 いつもXの方で仲良くしていただいているフォロワーさんお2人からなのですが、載せていいよと許可いただいたので、思いっきり紹介しますね。

 2つとも、尚隆が治水をやらなかった・やれなかった理由についてのお話です。

 私は、前回の感想文で書いたとおり、『東の海神 西の滄海』の中で、尚隆が漉水の治水をやらなかったのは、やれない理由があったからで、作中で尚隆が突然治水に手をつけ始めたのは、治水ができる条件が揃ったのを最短のタイミングで最大限に活用したから、と思っているのですが、そのことを、とっても強力に後押ししてくれる言説を授けてくださいました。


私の気づかなかった治水に必要だったもの①~現地情報の詳細~


 私が思い至らなかった、尚隆が治水を行うのに必要としていたもの1つめ、それが、現地の土地や雨量、氾濫域に関するデータです。

 これ、本当に感動しました。少し引用でご紹介しますね。

築堤技術は、河川流域の雨季乾季データが必要で、おそらく海神時点では雨量や氾濫域の年間データが集まりきって無かったんだと予想してました
しかもただ土嚢を積んだだけでは、半年も持ちませんし、礫、礎、石垣層それぞれの技術を最も河川の勢いを削ぎ、緩和させる形状で築かないといけません
それら多くのデータは元州城の中でトップシークレット部分にあたり、尚隆さんの手元にまで届かなかったのではないかと踏んでいます

 (中略)

地元により近い農民は、職場が田畑山川ですからリアルタイムで現地の情報がわかり、河川の氾濫域や築堤に適した場所を把握していたのではないかと思われます
元州が知られたくなかった地の利を、役夫本人達から収集、不足部分を補ったのではないでしょうか

いただいたご感想より


 え…あの…天才ですか…。

 私、ここまで具体的に、治水に関してのイメージを膨らませることができていなかったので、本当に感動しました。

 それと、全然関係ないですが、「尚隆さん」って呼び方がとても好きです。親しみを込めた呼び方、という感じがしてときめいてしまいました。(本当に関係ない話すぎる)

 データ!!確かに、そうですよね!!

 現地の土地の地質、地形、地層、雨量、河川の形状や流量等について、きちんとしたデータがなければ、適切な治水なんてできず、中途半端な工事を行えば、築いた堤がすぐに決壊するといった悲劇に繋がりかねません。

 適切な治水をして氾濫を防ぐには、現地の詳細な情報が必要です。

 そして、州の人事に手が回らず、州が国や王と信頼関係で結ばれていない状態では、州側が州の土地や気候の正確な情報を国に上げないのでは、という指摘が、とっても目から鱗でした。

 なるほどな~~~!!!

 すごい、確かに、と納得しました。

 確かに、州が謀反を起こして国と戦うつもりなら、戦で重要な情報になる土地や気候のデータは、正確な情報は国に上げずに握りつぶしておきたいですよね…。
 実際、元州は謀反を起こしたので、この指摘ってすごーく慧眼だなと思いました。

 尚隆は、元州はじめ各州のことを「王の臣ではない」と断言していましたから、正確な情報が上げられていないことくらい想定していただろうなと思います。
 元州は人口や軍の数のデータを操作していましたし、尚隆はそれを見抜いていましたもんね。それを考えると、この説、とても説得力があって本当にすごいです。

 そして、この問題を解決するのにも、民の力が必要だった、ということですね。

 行軍の途中で役夫を募ってその数はどんどん膨れ上がっていった訳ですが、確かに、普段からその土地で農作業に励んでいる民たちならば、その土地の土壌や河川のことについて、誰よりも詳しいですよね。
 彼らの知識や経験を活用することで、国から国官を派遣して、現地の詳細な調査をする時間も短縮したのでは、とも思えて、尚隆はありとあらゆる状況を利用して、通常ではありえない最短での漉水治水着手を実現したのでは、という持論が補強されてしまいました。 

 州に対して油断なく目を光らせていて、情報の正確性にまで頭が回っている尚隆、かっこよすぎませんか…。
 しかもそれを、謀反の鎮圧に乗じて解消して治水を成し遂げてしまう手腕の鮮やかさ…。大好きです。


 また新たな尚隆の頭の良さとかっこよさに気付かせてくださり、ありがとうございます!!の気持ちでいっぱいです…。
 自分では到底思いつかない慧眼と知識で、尚隆の懸念していたことやそれを解決した手腕に対する理解が深まって、大変楽しく、ありがたかったです。
 大感謝すぎます!!!

 とても天才的な意見ですよね~~~!!!

 こういう慧眼を持っていると、物語をより一層楽しめたり、登場人物の思考に近づけたりするんだな、と敬意と羨望を抱いてしまいました。

 いいな、私も尚隆の理解者になりたい。

 

私の気づかなかった治水に必要だったもの②~役夫の士気~


 続いて、Xでのフォロワーさんからのご指摘その2です。

 こちらも素晴らしい慧眼なんですけど、「治水工事を行えるだけの人員が集まったのは、謀反で王と宰輔の危機だと聞いて、自分から頑朴へ行く、と立ち上がった民が大勢いたからで、これが何事もなく単に『漉水の治水のために役夫を集めます』という話だったら、あそこまで人は集まらなかったのでは」というお話を聞かせていただきました。

 これも、聞いた時に、うわー!確かに!!と思って、あまりの慧眼にひれ伏しました。

 確かに、自ら立ち上がって頑朴に行く、と志願した民と、行軍の途中で道々集めた民とを合わせて2万、さらに関弓の防衛のために集った民が3万ですから、それだけの数の民を、単に「漉水治水の役夫」として募っていたら集めることはできなかっただろうなと思います。

 だって当時の雁は、やっと自分たちが食べていく分の実りを自分たちで得ることができるようになった段階ですから。
 その状態で、自分の州ならともかく、他州にある河川の治水のために役夫を募っても、自分たちの生活の方が大事、と思う民が多くて自然なことだと思います。

 ところが、これが謀反で王の危機、ひいては自分たちの生活の危機だとなったからこそ、あれだけの数の民が士気も高く自ら立ち上がったのだと思います。

 そもそも、もともと関弓で集められた民は、「関弓防衛のため」に集められたのであって、そこから「頑朴へ行く」と言い始めたのは民の自発的な行動ですからね…。
 そして、遠い果ての州からも王師の軍に加わって戦おうと、頑朴へ向かう民までいたんですよね…。

 本当に雁の民の自立した心の強さや行動力が大好き…。

 この説を聞いて、本当に、尚隆は元州の謀反まで含めて、起きた状況をすべて利用して、特異な手段で通常成しえなかった速度と精度で漉水の治水に着手したんだなと、また1つ、そう思える要素が増えて、確信が深まりました。

 これ、2万人もの人員が集っていたら、元州の謀反が収束した後も、すごい速さで治水工事取り掛かれて終わらせてしまえるのでは、と思うんですよね。

 えっ本当にすごい…。

 先ほどの情報の話と合わせると、謀反の報で民が自ら立ち上がったことで、地元民の持つ土地の情報と、作業に取り掛かりできるだけ早く治水を終えるのに充分な数の人手が揃ったということになりますよね…。

 そしてそれを余すところなく活用して、最短で治水を終えてしまう尚隆…。
 策士すぎて切れ者すぎて、たまらなくかっこいい…。

 こんなの、皆さんから教えてもらわなかったら絶対思いつかなかったですよ…!!
 私が気付かなかった尚隆にまだまだ出会えるって、嬉しすぎませんか…!!

 こういうことなのではないか、と思っていたことに対して、あまりにも具体的に根拠を増やし、解像度を上げてもらえるというアシストをいただいてしまい、私は感動で震えています。嬉しくて堪らない…。


 加えて、「民が自発的にボランティアで集まったから、もしかして給金支払ってないのでは」という可能性も提示されて、あっあっ!なるほどな!?と、これまた目から鱗が落ちました。

 確かに、民はやっと自分たちが食べていけるようになった状態で、税収の半分はどこかへ消え、限られた税で何とか民の生活を支援し国を整備してきた訳で、とても数万人の役夫に給金を支払える国庫の余剰はなかった可能性が高いですよね。
 治水をできなかった理由に、必要な数の役夫への給金が支給できない、という国庫の問題もあったのか、と納得しました。
 ボランティアでもやってくれる民がいればいいですが、それでは尚更、正攻法で漉水治水のための役夫を集めたところで、他州のために元州へ向かおうという民をあんなにもたくさん集めることはできなかっただろうと思います。

 それが、元州謀反に対して王と宰輔を守るために立ち上がれ、という号令だったから、民が自ら頑朴行きを志願までしたんですよね…。
 確かに、そうなると、国庫から給金支払えない問題を、民のボランティアにすることで解決できちゃいますね…。

 私、この説を聞いた時、「えっ???尚隆、わっっっるいな!?!?!?」と思いました。笑

 給金の分、節約しちゃったよ…。もちろん、資機材や滞在中の生活に必要な食事や宿泊場所なんかは提供したと思いますが…。報酬は、節約しちゃったかもしれませんね…。
 というか、そうしなければ漉水の治水に手を付けられなかったのでしょう。

 え、どうでしょう?私は、こういう策士で悪い尚隆、嫌いじゃないんですよ…。というより、正直に言うと好きです。

 民の命や生活を守るという目的のためになら、利用できるものはすべて利用する、そんな、優先順位をはっきりと持っていてクレバーな尚隆、かっこよくないですか。
 どこまでも優しくて、民の幸福を自分の幸福と心から思っている人だからこそ、こういう一面にもときめいてしまいます。

 まったく悪い人ですね…。

 こんなだから、帷湍に「王より詐欺師のほうが向いていないか?」なんて言われてしまうんですね。
 きっと後で帷湍に怒られるのでしょう。好き…。


 それと、この方からは、もう1つ、「天に対して縋るような賭けをしていた」と書いた部分について、「災害が起きないよう、郊祀での祈りと天への感謝を真剣に捧げていたのではないか」という考察もいただきまして…。

 それは絶対やってる…そして真剣に祈っている尚隆、好き…という、ときめきをいただきました。あの世界、妖魔や災害を鎮めるのに、王の存在や祭祀というものはとても重要ですもんね。真摯な祈りは、国の命を繋ぐ一助となったのではないかと思います。

 はぁ…最高ですね…。

 何というか、私1人では到底尚隆の理解者になれるほどの頭が足りてないですが、色々な方に手助けされて、色んなご意見を掛け合わせることで、尚隆の理解者に近づけるじゃないですか…。それってとっても幸せ…。

 私はとても満たされております。
 心からありがとうございました。



しがないこぼれ話

 ここからは、空想と趣味でしかないので、感想文には入れなかった、私のしょうもないこぼれ話です。

 正直、この先は本当に特に内容のない話で、メインの話は先の項目で終わりです。

 ですから、ここからは、おまけ感覚で、暇つぶしにでも話半分にでも、付き合ってやってもいいよ~という方がいたら軽く楽しんでいただけたら幸いです。


こぼれ話①~尚隆が斡由を見定めようとしていた可能性~


 これは、本当にちょっと、そういうこともあるかも~?くらいに思った話です。

 まず少し引用をします。

頑朴は大きく蛇行する漉水に取り巻かれている。長い間に築かれた堤がかろうじて水が流れ込むのを防いではいるし、斡由もまた密かに築堤工事をさせていたが、下流を堰き止められれば、いくらも保たない。

新潮文庫『東の海神 西の滄海』P.245


 ということで、斡由は権を取り上げられている中でも築堤工事をやっていたんですね。
 こういうところ、斡由の“良き令尹”の呼び声が決して虚像という訳ではなかったんだろうな、と思うところです。

 で、読み返していて、ふと、これ、尚隆、知っていたのでは…?と思ってしまいました。
 まあ全然、何も根拠はなくて、だからこそ、感想文には入れなかった話なのですが。

 ただ、尚隆は、元州が謀反を起こす前から、街で情報収集をしていて、元州が武器を仕入れていることを知っていて、事が起こる前から元州を警戒していましたし、六太が誘拐された後も、元州からの使者が来る前から元州を疑い、元州が軍の数を過大に申告していることにも気づいています。

 これだけ元州の内情を把握しているくらいだから、築堤工事が密かに行われていたら、気づいていてもおかしくないのでは…?と思ってしまったんですよね。

 尚隆の、謀反を利用した治水工事着手の鮮やかな手腕と迅速な動きを見るに、私は尚隆は漉水の治水の件は官たちの奏上をちゃんと受け止めて、気にかけて考えていたと思っているので、現地の様子を見に行ったりもしていたのではないかとも思うのです。
 そこで元州の行っている応急工事に気付いてもおかしくありません。

 もちろん、築堤を内乱に利用されたり、他州の不利益になるようなやり方をされたりすることを防ぐために、権を制限されている中ですから、やれることは限られていたと思うのですが、その中で何をやっているのか、尚隆は実は見ていたりしたのかもしれない…なんて、ふと思ってしまいました。


 前回書いた通り、どちらにしても、尚隆は作中で治水工事をやり始めたタイミングまでは、それを行えない事情が多々あったのだと私は思っているので、知っていたかどうかで尚隆の取った行動は何も変わらないとは思っているのですが、知っていた場合、数多の事情で治水を行えていない中で、州が限られた権の中で応急的にでも対処していたのは、頼みの綱のように思っていた部分はあったのではないかと想像します。

 だからと言って、全部お任せ、として権を返すこともできないんですけどね。
 そこで判断を誤って、民の命や生活を失う訳にはいかないので。
 元州の腹も読み切れないし。実際謀反起こしちゃったし。

 頼みにしつつ、怪しい動きもあって権を返すこともできず、結構悩ましい尚隆もいたのかもしれないな~と思いました。

 それで、元州のこと、斡由のこと、きちんと知りたい気持ちはあったんじゃないかな、と。

 私には尚隆は斡由に対してずっと手を伸ばし続けているように見えるし、最後も斡由から託されたものをきちんと受け取るし、斡由に甘くなぁい?と思う部分はあるのですが、もし治水工事のことを知っていたのなら、それも納得できるな、とも思います。
 「できれば戦いたくはない」の言葉や、交渉の余地を残していること、最後まで穏便に解決しようとしたことも、斡由をよく知りたい、心ある人物かもしれない、という思いや期待があってのことだったのかもしれない、と思いました。


 私は尚隆のこと、使えるものは全部使うクレバーさがあると思っているので、州の権を制限しながら、州のやることに目を光らせて場合によっては少し頼みにして利用もする、そういう策士な尚隆も、かっこよくて好きです。

 利用しようとしてあえてそう動かした訳ではなく、ただ、あるがまま起きていること、起きたことを利用する、そういうところはあるのではないかなと思っています。

 私はそういう尚隆、かなり好きなのですが、いかがでしょうか。
 もちろん、最後まで斡由を見定め、歩み寄ろうとする優しさや真摯さが彼の本質だとは思うのですが。


 まあ、でもこれは、あったかもしれないし、なかったかもしれないお話です。



こぼれ話②~感想文を書きながらずっと頭の中に流れていた曲たち~


 最後に、これは本当に、書く必要ある?というくらい、あまりにも私だけの世界すぎるお話なのですが、作品のことを考えたり、感想文を書きながら、ずっと頭の中に流れていた曲が2つあるので、その話をします。

 1曲めは、ゆず さんの、『虹』です。

 私この曲、昔から大好きなんですけど、最近、生でこの歌を聴く機会があり(『氷艶』を観に行きました。)、内側から湧き上がるエネルギーに圧倒されて、号泣してしまいました。歌声ってここまで心に響くものなんだなあ…と、生歌すごい…と感動しました。とても勇気をもらえました。

 その記憶が新しいうちに、『東の海神 西の滄海』を読み始めたものですから、物語と曲がとてもリンクしてしまい、感想文を書きながらずっとこの曲が頭の中に流れていました。


 私はこの作品のことを、「前時代の荒廃を越えていく物語」であり、「固定観念を越えていく物語」、そして「自分自身を取り戻し、ありのままの自分として立って生きていくための戦いの物語」と捉えているので、『虹』のサビの歌詞が、この作品にぴったりじゃない!?と思って勝手にイメージソングになってしまいました。

越えて 越えて 越えて
流した涙はいつしか 一筋の光に変わる

「虹」/ゆず

これです。

何だかすごく、私の中の『東の海神 西の滄海』の解釈とぴったりなんですよね、このフレーズ。

それからこちらも。

届け 届け 届け
暗闇の中で泣いていたんだね
希望を乗せ 空に響け

「虹」/ゆず

 これも、尚隆と民が、互いを必要とし、必要とされて、想いを交わし合っている様子とぴったり一致するように思えて、作中の尚隆と雁の民に重ねて聴くと、双方が何重にも増して心に沁みわたる感覚があります。


 しかもこの曲、「雨上がりの空に そっと架かる虹の橋」というフレーズで終わるので…。

 え…雨季を無事に乗り越えた雁じゃないですか…。
 美しい…。


 ごめんなさい、本当に、すべてにおいて独自解釈で、私が1人で勝手に楽しいです。

 ということで、この『虹』という曲は、感想文を書きながらずっと私の頭の中に流れていた曲でした。


 続いてもう1曲ですが、こちらは、ミュージカルの劇中歌です。

 とても有名な、ミュージカルに馴染みがなくとも多くの方がご存じであろう、『レ・ミゼラブル』の中で、最後に歌われる、“Finale(Epilogue)”という曲です。

 これがですがね…とても…雁と重なるんですよ…。(ごめんなさい、ここから少し、『レ・ミゼラブル』の話を含みます。これから観たい方で、ネタバレを避けたい方は、舞台や映画を観るまでこの先は進まないことをお勧めします。)

 『レ・ミゼラブル』と言えば、『民衆の歌』が有名でよくテレビ番組なんかでも歌われることが多いと思うのですが、この“Finale(Epilogue)”は、『民衆の歌』のリプライズが含まれています。

 詳細は割愛しますが、『レ・ミゼラブル』は革命に命を賭した市民たちの姿が大きなテーマの1つとなっていて、『民衆の歌』はその革命のために民たちが立ち上がる歌であり、”Finale(Epilogue)”の『民衆の歌』リプライズ部分は、革命で命を落とした市民たちの魂が天国で救済され、幸福と安寧を得た、という歌です。

 これが本当に、『東の海神 西の滄海』の雁の民の姿や、尚隆と民が作っている国と重なるんですよ…。

Will you join in our crusade?
Who will be strong and stand with me?
Somewhere beyond the barricade
Is there a world you long to see?
Do you hear the people sing?
Say, do you hear the distant drums?
It is the future that they bring
When tomorrow comes!

(隊列に加われ
 力強き味方となって
 砦の向こうに 憧れの世界がある
 若者たちの歌が聞こえるか
 ドラムの響きが
 明日が来る時 新たな未来が始まる)

"Finale(Epilogue)"/『レ・ミゼラブル』より

 和訳は、2012年の映画版の字幕から拝借しました。

 これが、劇中の1回目の「民衆の歌」でもサビになっている、“Do you hear the people sing?”から始まる、戦おうと仲間を募る市民たちの歌のリプライズ部分です。

 これ、めちゃくちゃ、国と王を守るために立ち上がった雁の民たちと重ねてしまいます。
 「隊列に加われ 力強き味方となって」良すぎませんか…。

 私はこの「民衆の歌」が大好きで、この曲を聴くと心が奮い立つみたいに勇気づけられるので、自分たちを鼓舞して仲間を募り、戦おうとするこの曲が、王師に加わると志願し立ち上がった雁の民たちの姿と重なるのです。

 もう、雁の民が立ち上がるシーンは、私の頭の中では「民衆の歌」が流れ出してしまうんですよね。


 そして、“Finale(Epilogue)”には、こんな歌詞もあります。
 これが、私が特にお話したい部分です。

They will live again in freedom
In the garden of the Lord.
We will walk behind the ploughshare;
We will put away the sword.
The chain will be broken
And all men will have their reward.

(我ら今再び
 主の国で自由に生きる
 剣を捨て 鋤を取り 歩みゆけば
 鎖は切れて 皆に恵み もたらされる)

"Finale(Epilogue)"/『レ・ミゼラブル』より

 これ!これ!
 「剣を捨て 鋤を取り」の部分が…!

 尚隆が民に戦をさせずに、築堤を行わせたシーンと被って…!

 感想文の中で、「雁という国では、民の戦いは、鍬を持って土地を耕し、土嚢を築いて災害から命と実りを守ること」という旨を書いたのですが、私はそんな、尚隆が作る雁という国のあり方が大好きで、とてもとても感銘を受けているんです。

 民が武器を取らず、鍬や鋤を持って、日々を生きるため、豊かになるために土地を耕す戦いに励む国。

 そんな国の姿がとても理想的な国だなと思っているので、この“Finale(Epilogue)”で、死者の魂が救済され、安らぎを得る『主の国』が、「剣を捨て 鋤を取り」「皆に恵み もたらされる」と描かれていることに、とても感動してしまいます。

 『主の国』ですよ…”garden of the Lord”…。

 『レ・ミゼラブル』の描いている、キリスト教世界の価値観における、救済であり理想郷の描かれ方が、まさしく雁と重なって、本当に、民が血を流すのではなく、自分たちの生活のために土地を耕すことが戦いである国…それってとっても、理想の国の姿だな、と改めて実感させられます。

 ここで言う『主の国』のあり方が雁ととても被るのもあって、天帝が作りたかった理想の世界って、こういう世界なんだろうな、という思いが強くなったりもします。
 尚隆は、天帝の作った世界の中で、限りなく天帝の理想に近い統治をしている王なのではないかな、と感じるのです。

 

 『レ・ミゼラブル』では市民たちは死後の世界で魂の安寧を得ますが、雁の民たちは、生きてその希望を掴み取るのも胸を打たれます。
 民たちが生き残り、理想を実現することができた、それが雁…。
 もちろんそれは、そこに至るまでに生き抜き、圧政や荒廃に抗って戦いながら力尽きていった者たちも含めて、すべての民たちが繋いだものだと思います。

 人の力によって、『主の国』に近い理想の国を実現した雁という国が、そしてそれを実現した尚隆という王が、戦い続けたすべての民たちが、私は心から大好きです。


 「皆に恵み もたらされる」の部分もとても好きで。

 “all men will have their reward”なんですよ。

 これ、焦土を耕して、やっと自分たちで自分たちの食べていく分の実りを得られるようになった雁の民たちじゃないですか…。

 “all men will have their reward”…。
 良い…。あまりにも…。

 自分たちで自分たちの日々の暮らしを成り立たせることができることが、どれだけ幸福なことなのか、そこに至るまで努力し続け、それを守るために立ち上がった雁の民たちの姿を見ると、そのことを何度でも実感させられるので、私はこのフレーズがとても心に響くのです。


 “Finale(Epilogue)”にはこんなフレーズもあります。
 これを紹介して、締めとさせていただこうと思います。

Even the darkest night will end
And the sun will rise.

(どんな暗い夜も いつか明け 日は昇る)

"Finale(Epilogue)"/『レ・ミゼラブル』より


 わーーーん!!

 割とよくある言葉だとは思うのですが…!

 でも!でも!

 私は、『東の海神 西の滄海』と、『レ・ミゼラブル』の民衆の姿を重ねて見てしまっているので…。

 すっごく響くんですよ…。

 これ、梟王時代の末期と、空位の時代の荒廃という、「折山」と呼ばれた絶望的な荒廃を乗り越えて、新王を迎え、希望を失うことなく土地を耕して生きる努力を続け、国土に緑を復活させて、日々の実りを得ることができるようになった、雁の民と国の姿と被りませんか…。

 私はもう、このフレーズから、視界いっぱいに広がる緑の山野が見えます…。

 美しいなぁ…。本当に、雁の民たちの希望を失わずに戦い続ける姿勢、それによって実現した美しい国の姿には、私自身の生きる希望や勇気を分け与えてもらえるのです。


 “Even the darkest night will end and the sun will rise.”

 うっ…陽は昇る…。尚隆の王気は陽光のような王気…。

 信じる者、諦めない者には必ず光が訪れるのだと、そんな希望を感じます。

 希望を持ち、強く、自分の頭と力で生きていく、そんな雁の民の姿が、いつでも私の憧れで、目指しているあり方です。



 と、いう訳で、前回の記事に絡む話を、色々と1つにまとめてみました!
 もし何か、少しでも心に響くものがあれば幸いです。
 私のフォロワーさん方、天才でしょ!?!?!?
 フォロワーさん方のおかげで、尚隆の理解者に近づけで嬉しい。もっと近づきたい。(貪欲)
 私も、書きたいことを自由に書いてしまったので、満足です。



 余談ですが、今年、来年と、『レ・ミゼラブル』の上演予定が続くのですが、本っっっ当~~~に、観に行きたい…!!

 生き抜く人々の輝きをまた舞台で浴びたい。圧倒されたい。
 エピローグで雁に想いを馳せたい…。(その楽しみ方はどうなのか…。)


 チケット取り頑張るので、お優しい方はどうか、私にチケットが当たりますように、祈りのお力をお貸しください。笑

いいなと思ったら応援しよう!