仲の良かった会社の先輩が自死した話
訃報
今から2年半前の2021年の年明けに、仲の良かった前職の先輩が自死した。
突然のことだった。
知らされたときの状況は今でもよく覚えている。
リモートワーク中で家で仕事をしていた。大事なオンラインでの会議が始まる5分前だった。
PCでZoomを起動し準備した後、スマホをいじりながら休憩していたとき、前職の同じ職場で働いていた仲の良かった女性の同期(退職済み)からLINEが入った。
「Mさんが亡くなったってよ」
iPhoneのホーム画面に表示された通知を見た瞬間に、血圧が急上昇し全身の毛穴が開いた。胸の鼓動が音を立てる。
以前よりMさんが体調を崩している話を聞いていた。
コロナ禍が始まり仕事が思うようにいかず、ずっと休職しているとのことだった。
僕はすでに退職していたので、彼の休職のことも人づてに聞いた。「あのMさんが!?」と意外に感じながらも、ずっと心配していた。
でも、最近はやや回復し、異動先の別会社に少しずつ出勤しているという話が耳に入ったばかりだった。だから僕は安心しきっていた。その矢先の訃報だった。
だから、LINEを見たとき、僕の頭の中にはすぐに「自死」という言葉が巡った。
それでも「そんなわけない」とどこかで否定しつつ、同期にLINEを送る。
「理由は?」
数秒後に返信が来た。
「自分で」と、ただ一言。
その瞬間、言葉にできないような暗い感情で足がすくんだ。
最初の通知を見たときから答えはある程度予想していたはずなのに。
会議開始時間になり、慌ててZoomに入る。
大事な会議だというのに、内容が全く入らない。
話している取引先の担当者の声が、外国語のように感じられる。声が平坦な音として、耳に入ってくる。頭には残らない。
発言を求められても壊れたロボットのように「そうですね」と同じ言葉を繰り返していた。
油断していると涙が出てくる。
喉にフタがされてしまったかのように呼吸が苦しく、めまいがしてきて、椅子に座っているのがやっとだった。
しまいには同じ会議に出席していた上司の名前を間違えて何度も「Mさん」と呼び間違えいた。上司には怪訝な顔をされた。
そこからの記憶があまりない。
その日の夜に改めて同期と電話した。電話の内容はあまり覚えていないが二人で泣いたのを覚えている。
そしてその後、会社の近くにあるホテルを予約した。その日から1週間、僕はホテルに滞在することにした。
4万円の出費。薄給の僕には痛すぎる。でもそうしなければならなかった。
そのまま家に一人でいたら自分も後を追ってしまいそうな予感がしたからだ。
Mさんとの出会いは5年前だ。僕がいた部署にMさんが他の支社から異動してきた。僕より3つの上の先輩だった。当時30超えたばかりだった。
Mさんはすごく仕事ができる人だった。僕が今までの人生で会ってきた人のなかで最も頭の回転が速い人だった。
いつも明るくてニコニコしていたが、たまに暗い表情を見せる陰の部分もあった。完璧主義な部分も感じられた。
僕はMさんと同じ大学で同じ学部の出身だった。
僕の大学はそれほど大きくないので、数万人も社員がいる会社内で出身学部まで同じ人に出会ったときの喜びは大きかった。
それに、同じ部署。
僕とはMさんは「洋楽が好き」という共通項もあり、すぐに親しくなった。
Mさんは見た目は真面目なのに少し変わったところがあって、BMWを買った後になぜかすぐに手放したり、毎日会社を出ると目の前のコンビニでロング缶を買って飲みながら歩いていたりしていた。
結婚したばかりで、家には奥さんが待っているはずなのに、毎日ロング缶を買うのが習慣だった。
僕の女性の上司はMさんの行動を批判していたが、僕はMさんの突飛すぎる性格が可笑しくていつも笑っていた。
当時、僕は課長からひどいパワハラを受けていた。出勤直後に、何気ない理由で恫喝される。
出勤するのがたまらなく嫌で、ストレスで眠れない日々が続いていた。おそらく僕の脳は恐怖で萎縮していたと思う。今でも思い出すとやり場のない怒りが湧いてくる。
そんなとき助けてくれていたのがMさんだ。課長をたしなめてくれたり落ち込んでいた僕を元気づけたりしてくれた。
Mさんがいなかったら僕は今頃この世の中にいなかったと思う。
そんなMさんが自ら命を立って2年半。
自分のなかで折り合いをつけるにはずいぶんと長い年月が必要だった。
何が理由で亡くなったのか、直接的な原因は正直どうでも良かった。
僕にとってそれより大事だったのは、あんなに優しい人が自死に至るまで、どれほど苦しんだのか、ということだった。
Mさんは自死を決行するまでどれほど追い込まれたのか。
過去に自殺願望を抱いていた自分にとって、Mさんの苦しみを想像することは難しいことではなかった。
さらに、悪い思考が僕を支配するようになった。
「Mさんの人生は無駄だった」のではないかという恐怖だ。
結婚したばかりなのに、大事な奥さんを残してまで亡くなってしまう。
まだ若いのに、これから楽しいことがたくさんあるのに、自分の手で生涯を閉ざしてしまう。
自死とはこの世の中で最も最悪とされる死に方だ。
「無駄」という烙印を押された彼の人生は、次第に他人から思い出されなくなり、いつか忘れ去れる。
決して認めたくない。しかし、「自死という『終焉』が彼の人生を否定する」という悪い考えが、黒いインクのように僕の脳に染み渡ってくる。
抵抗できない恐怖で胸が張り裂けそうだ
エネルゲイア
本を読んでいて、ある考え方に出会った。この考え方が後に僕の恐怖を晴らしてくれることになる。
岸見一郎さんという方を知っているだろうか。
アドラー心理学を研究されている学者で、あの有名な『嫌われる勇気』を書かれた方だ。
『人生は苦である、でも死んではいけない』という岸見さんの本がある。
僕はこの本が好きで、繰り返し読んでいる。
「キーネーシス」と「エネルゲイア」。
聞きなれない言葉だと思う。
古代ギリシアのアリストテレスが提唱した理論を岸身さんは紹介していた。
キーネーシスは、「始点と終点がある直線的な動き」。
終点に着くまでの動きは「まだ終点に達していない」という意味で、未完成で不完全とされる。
一方で、エネルゲイアは、「なしつつある」ことがそのまま「なしてしまった」こととなる動きを指す。
つまり、エネルゲイアはダンスを踊るようなもので、「過程そのものを結果とみなすような動き」と言える。
より簡単に言えばキーネーシスが「結果ありきの直線」であるのに対し、エネルゲイアは「その瞬間瞬間が結果」となる。
エネルゲイアは「極限まで分解した1点、その瞬間」にこそフォーカスする。
この考え方を人生にも当てはめてみる。
若い人に今あなたは人生でどのあたりにいるかと尋ねれば「折り返し地点のずいぶん前にいる」という答えが返ってくるかもしれない。
でもこれは人生をキーネーシスとして考えた場合である。
一方で、生きるということをエネルゲイアとして考えれば、「どこにいるのか」ということは問題にならない。
「今ここ、この瞬間こそ」が「全て」であり、人生なのである。
僕は間違っていた。
僕はMさんの人生をキーネーシスで見ていた。
確かに、直線で見れば、彼の最後は”良くないもの”であった。
自死は「追い詰められた末の死」であり痛ましく侘しい死に方だ、と世間は考える。
しかし、エネルゲイアでは結末だけを見ない。
無限に切り分けられる瞬間瞬間ごとの1点で人生を捉える。
奥さんとの、短いが幸せな時を過ごした瞬間。パワハラを受けていた僕を勇気づけてくれていた瞬間。ロング缶を片手に会社から駅までのオフィス街を歩いてた時間。
決して美しい瞬間ばかりでないが、瞬間瞬間ごとで、確かに彼は生きていた。いくつもの動的な生の結果があった。
彼の人生は決して無駄とは言えない。そもそも無駄かどうかと考えること自体が誤りである。
間違えてほしくないが、僕は決して自死を推奨しているわけではない。
残された人のことを考えると自死は避けるべきである。
実際に、岸見さんもこの本のなかで「人生は苦しいが、それでも生きていた方がいい」と繰り返し述べている。
岸見さんは、講演会で自死で子どもを亡くした親に出会うと必ず「最後だけを見ないでください」と伝えているという。
エネルゲイアとしての考え方は、生きている僕らにも当てはまる。
僕らは何かを手に入れてはじめて”本当”の人生が始まると考える。
しかし本当は、人生はすでに始まっている。必死にもがく今この瞬間こそが完全である。
目標達成するためだけの人生でない。
エネルゲイアとしての人生を生きることができれば、何気ない一瞬も違ったふうに見られる。
そのとき、人生は時間を超えた永遠となる。
今でもたまにMさんが夢に出てくることがある。
朝起きたときに毎回涙が出ているが、気持ちを引きずることは無くなった。
今回は、エッセーのような形で、僕の大好きなエネルゲイアという考え方を紹介させてもらいました。
長くなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。