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「選ばせる女の甘い罠」
男は、目を閉じるまでもなく察していたのだろう。
自分が「選んだ」と信じていたはずの行為が、
ほんの一瞬のうちに「選ばされた」ものに変わるときの、
あの底知れぬ混乱を……
彼の脳裏には、明らかに矛盾が浮かんでいる。
「これを欲したのは自分の意志だったはずだ。
なのに、
なぜ逃げられない?」
思考の端で警鐘が鳴るが、
気づいたときにはもう深みへと足を踏み入れてしまっている...
――まるで流砂のような甘美な言葉の海に。
逃げるほど、彼の足元はさらに沈みこむ。
決断した瞬間から始まったのは、
じわじわと優しく絡みついてくる罠。
選んだと思えば思うほど...
「自分の選択」というプライドが逆に首を絞める。
逃げ出すには、まずそのプライドを捨てねばならないのに
男はそれができない。
いや、「できないように仕組まれた」と言うべきか。
彼がもがくほど、
そのもがきが甘やかな快楽へと変質してゆく。
理性が崩れ、心と体がひとつの渦に巻き込まれ、
思考は溶けるように溺れる。
「選んだはずなのに、なぜ抗えない?」
――この矛盾は、静かな狂気のように男を支配する。
そして、その歪んだ恍惚こそが、
選ばせる女の最も巧妙な罠なのだ……
彼はすでに気づいている。
どれほど理論を積み上げても、
どれほど意志を奮い起こしても、
「選んだ」という錯覚が手放せないかぎり、
彼女の声からも、視線からも、逃げ出すことは叶わない...
選ばせる女とは――
男に「ほら、自由に選んでいいよ」
と優雅に微笑みかけながら、
実は彼の世界を逆手に取ってしまう存在...
渡された主導権は、その瞬間から奪われたも同然。
「自らの意志で手を伸ばした」
という思い込みこそが、甘美な枷になる。
男は抗うたびに、その枷に酔い、さらに深く沈んでいく。
それゆえ、選ばせるとは、
主導権を渡すことではない。
むしろ、
選んだという事実によって男の意志を封じ込める、
最上級の支配である……
彼はもう、そこから逃げられない。
なぜなら、
選んだのは確かに自分……と思いたいプライドが、
いちばん手放せない誘惑となるからだ...
—— 微笑んだ。
彼は、それを見た瞬間、悟る。
もはや選択肢などなかったのだと……
そして……男は深く長く微かな溜息を濡らした...