青森レインボーパレード2021 - 2021年12月11日(土)/青森県青森市
2021年12月11日(土)、青森県青森市で行なわれた『青森レインボーパレード2021』の記録
昨年のパレードは新型コロナウイルス感染拡大の影響でオンライン開催となり、青森では2年ぶりにリアルでパレードが開催された。集まった人々は、スピーカーを積んだ軽トラ(サウンドカー)を先頭に青森駅前から県庁前まで行って帰ってくるコースを行進した。
【動画】
青森レインボーパレード2021 - 2021.12.11 青森県青森市(7分54秒)
青森レインボーパレードの創設者の一人、宇佐美翔子さんが2021年9月30日に亡くなった。
宇佐美翔子さんはパートナーの岡田美穂さんと共に、不受理になるとわかった上で同性同士の婚姻届を2度に渡り市役所へ提出するなど、精力的に同性婚やパートナーシップ制度の実現を目指し活動してきた。LGBTIQや性暴力被害者を支援してきた宇佐美翔子さんが繰り返し訴えてきた言葉が「故郷を帰れる街にしたい」だった。
2021年の青森レインボーパレード開催3日前の12月8日、青森県の三村申吾知事は定例記者会見で「パートナーシップ制度」について、できるだけ早期に制度を創設したいと述べている。これは大きな一歩だ。全国各地の自治体の動きが大きな追い風となったとは思うが、その風をおこしたのは地道に活動を続けてきた人々の力ではないだろうか。そこにはもちろん宇佐美翔子さんも含まれている。
宇佐美翔子さん亡き後の「青森レインボーパレード実行委員会」は、11月18日に青森県知事に対して「LGBTIQの権利擁護及びパートナーシップ制度創設に関する要望書」を提出している。宇佐美翔子さんの意思は引き継がれ、こんな時だからこそパレードが必要だと、青森レインボーパレード2021も年末ギリギリだったが開催されることになった。
青森市では午前中から雨が降っていた。集合時間の13時になっても雨が止むことはなく、冬の北東北の身にしみる寒さが人々を包み込んでいた。この状況を予期していたのか、せんべい汁と筋子おにぎりのふるまいがあり、参加者の救いとなった。
灰色の空の下、パレード出発前のイベントがはじまった。まず、青森県にある40市町村のうち13市町と青森県知事からの14通のメッセージが読み上げられた。
振り返ってみると、2019年は10通、2020年は13通と、少しずつではあるが自治体からのメッセージは増えてきている。
続いて、青森レインボーパレードへ今回も足を運んでくれた2名の国会議員がマイクを握り、主催者からの挨拶があった。
式辞が終わると、スピーカーから地元方言バージョンのラジオ体操が流れ出した。参加者は自然と広がり、勢いでラジオ体操がはじまった。
なんとなくのニュアンスでしか理解できない青森の言葉のラジオ体操が行われている中、雨はいつしか止んでいて、青森ベイブリッジの向こう側に薄く虹が出た。
出現した虹に見送られ、午後2時にパレードは出発した。青森駅前公園の南側の出入口から車道に降りた人々は、フロート車(音響機材を載せた軽トラック)を先頭にニコニコ通りを県庁方面へと歩き出した。
青森県庁前を過ぎたあたりで強い雨に降られ、アーケードのある新町通りでは屋根の下に入り歩道を進むこととなった。
新町通りを通行するパレード参加者の中に明らかに薄着の人物が二人いた。共同代表の両人だ。季節を大きく間違えた、ねぶたの衣装を着てパレードに参加していたが、熱い思いがそうさせてたのかもしれない。
パレードは1.4kmの距離を50分かけてゴールした。青森レインボーパレードとしては初のサウンドカー(フロート車)が導入され、音響面ではかなりグレードアップしていた。
パレード後の恒例の記念写真は、いつも公園内の展望台の上から撮影していたのだが、冬季は積雪があって危険ということのようで閉鎖されていた。そのため、私が持っていた一脚にカメラを乗せて撮った。
他のカットを捨ててでもハイアングルが撮れると記録の解像度が上がるような気がしていて、最近はよく一脚(ブームポール)を持ち歩いている。短くたたんでも80cmはあるので、持ち運びが大変だったが、こうして有効活用ができてよかった。
Happy Pride !!!
【おまけ】青森旅行記-2021年12月
青森レインボーパレード開催の前夜、新宿バスタ発の高速バスに乗った。車内は換気が良過ぎて寒かったので、首元のシュマグを膝にかけてことなきを得た。寒いと困るので、いつもより厚手のシュマグにしておいたのは正解だった。
翌朝、バスは弘前駅城東口に到着した。お城の方へ少し歩き、午前8時から開いているラグノオ弘前百石町本店でパイを食べた。久しぶりの弘前の街を軽く散策し、駐車場の隅に残る雪を踏んでから、「虹のマート」のアキモトで津軽そばを食べた。
弘前駅前にある交番の横に野菜の無人販売所があって、にんにくが1000円で売られていたので思わず買ってしまった。機材や着替えでリュックサックの中は満杯だったので、外側のフックにそのまま引っ掛けて持ち運んだ。図らずも旅の風情を身にまとってしまった。
青森に来る前に「弘前駅~青森駅間でSuicaが使えるようになる」というニュースを見ていたので、弘前駅では切符を買わずに改札に行ってしまい、Suicaが使えなくて焦った。見返してみたら開始時期は2023年春以降とあり、次に来る時には使えそうだ。
慌てて券売機で切符を購入し、ギリギリ9時52分発の青森行きの奥羽本線に乗ることができた。進行方向左側にある岩木山を眺めつつ、4駅ほど進んで浪岡駅で下車した。一昨年のレインボーパレードの時に車で寄った道の駅「なみおかアップルヒル」にもう一度行くためだ。駅から歩くには少し遠くて、改札を出て20分かかった。途中、くるみの実が落ちていて踏み潰す感覚が気持ちよかった。
11時頃に強めの雨が降り出した。ちょうど、りんごソフトクリームを買って食べようとしていたところだったので室内に退避した。休憩室のような場所に入ると、『鬼滅の刃』がテレビで放送されていて、しょうが味噌おでんを食べているお婆さんがいた。
雨はさほど時を待たずに止み、ソフトクリームも胃袋におさめられたので、練り物の売店で「ほたてマヨ天」を買った。浪岡駅までの帰り道で歩きながら食べた。それなりに高価で素材の味を大事にしているような食材にマヨネーズをかけるのは、もったいないような気がするので自分の選択肢にはなかったが美味しかった。
この日、雨具を持って行かなかったので青森駅前で折り畳み傘を手に入れてレインボーパレードの撮影に臨んだ。
パレードの撮影が終わったので青森駅前からバスに乗り、こやなぎ温泉へ向かった。ここを選んだ理由は駅に近くて便利だからだったのだが、バスで行く方が早かったので路線バスに乗ってしまった。寒かったとはいえ、走り回って汗をかいたので、帰りの高速バスに乗る前にはお風呂に入りたい。
こやなぎ温泉は、入口にコアラの親子が大きくあり、タオルにもその柄がプリントされていることを期待してしまう外観である。しかしタオルには文字だけであった。濡れていて持って帰るのが面倒だけれども、利益率が高そうだし、なんとなく記念にタオルを手に入れるのが好きだ。
青森に来たら、やはり煮干しラーメンを食べないといけない気がして、入浴後に近くにあった麺屋らいぞうで2年ぶりにニボってきた。店を出て小柳通りを西に進み、コープへ入った。まだ帰りのバスまで時間があったので、各地へ行った時にご当地のグルメを食すのと同じくらい楽しみにしている地元のスーパーマーケット視察を行った。
コープの入口にはスマートフォンを利用したタクシー配車の直通電話が置いてあった。新たに電話線を引く必要もないし、電源さえあればどこでも設置することができるように見える。このような装置は初めて見たのだが、これからの主流になっていく気がした。
このあと、また近くのユニバースというスーパーにも行ったのだが、知らない土地のスーパーマーケットを見るのはとても楽しい。全体をまんべんなく見つつも、やはり気軽に購入し消費できるパンやお菓子のチェックに力を入れてしまう。この日は工藤パンやチョコ南部せんべいを購入した。
ローカル食品を求めていたら、青い森鉄道の一駅分を歩いてしまったので、東青森駅へと向かった。駅は無人駅で少しだけ暖かい待合室があって、さほど待たずに青い電車がやってきた。
青森へは東京駅から始発の新幹線に乗っても10時過ぎにしか着けないので、日帰りの今回は往復を夜行バスにした。それでも滞在時間が3時間しか増えなかったけれど、それなりに青森を感じることができたような気がする。20時10分に盛岡経由のJR高速バスに乗って青森を後にした。