教育系の大学へ(高校卒業〜大学へ)
高校在学時に、多くの人が
悩み、そして「なんとなく」進路を
決める。
(そもそも社会に出たこともないから
どんな仕事があるのか、出来るのかも
分からない中だからしょうがない)
ぼくも自分なりに考えた結果、
教師になりたいと思い、
教育系の学部や大学に入ろうと決めた。
それは小学校5,6年の頃の担任だった
八木先生の影響が大きいと思う。
小学校のことはまた別の記事で書こう。
高校は地元の中でみれば
一応は進学校だったが、
(あくまで田舎のね)
高校3年の秋までサッカーを続け、
全国大会出場を目指したが、
県大会の早い段階でその大会の
準優勝校に敗れた。
その頃勉強は本当におざなりな状態で、
正直浪人しても良いかなとどこかで考えていた。
実際に模擬試験では散々な結果で、
滑り止めの大学でもDやE判定だった。
それでも、意外と気持ちを
うまく切り替えられて
センター試験に絞って勉強を進めた。
ぼくは特別に得意な教科が無かった。
だけど、苦手な教科も無く、
それがセンター試験では生かされた。
とにかくセンター試験のための勉強をして、
運もあって?か、思った以上に良い結果が出た。
これならなんとか国立の大学に入れるかも。
ぼくにとって国立の大学に入るということが、
自分にとってプライオリティが高かった。
姉が私立の美術系の大学へ進学していて、
お金がかかると母が話していたのを
ぼくはあまりにも真面目に受け取っていた。
なんとか苦労を減らしてあげたい。
それがぼくなりの優しさだと思っていた。
決して実家が貧しかったわけではなく、
僕がそういう一つ一つの言葉を
受け取りすぎてしまっていたんだと思う。
大人になれば分かるけど、
口から出る言葉と、実際の状況は
多少なりとも違ったりするから。
そんな気持ちもあったけど、
絶対無理だろうというところから、
国立に行けそうなところに
達せられたのは、自分としては
嬉しくもあり、誇らしくもあった。
でも二次試験の勉強は何も準備がない。
そんな状況でも、なんとか行けそうな
学校が一校あった。
二次試験は、作文と実技、面接のみだったのだ。
それが上越教育大学だった。
新潟県上越市にあるその名の通り
教育専門の学校だ。
そんなわけで、実家から車で
1時間半くらいの学校に入学することになった。
通おうと思えば通える距離だったけど、
通いたいという気持ちはなく、
学校の寮に入ることにした。
一ヵ月5,000円で入れる格安の寮だ。
次回へ続く。
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