【短編小説】君の見える時間
夜が好きだ。
人目を気にすることなく、君の隣を歩くことができるから。
月明かり、瞬く星。
「ねえ、ミライ。私ね、あなたのこと大好きよ」
君は珍しくそんなことを言う。
月明かりが照らすのは、少し赤くなった君の顔だった。
「急になに?」
「慣れないことするもんじゃないわね……照れるわ」
君は少しはにかみながら熱った顔をパタパタと仰ぐ。
君はいつもそうだ。
君はいつも、そうだった。
「結婚」
その言葉を聞かされたのは翌日だった。
君は……何も言わずに私の元から去りたかったのだろう。
君は、気まずそうな顔でメイドが嬉々として私に話すのを見ていた。
私は、ただ「おめでとうございます」と君に笑顔を向ける。
一瞬君はどんな顔をすればいいのかわからなかったんだろう。なんだか変な顔だ。
私と君は従者と令嬢、主従関係、身分が違う。
わかりきっていたことだ。その上で、私と君は期限付きの恋を楽しんでいたのだ。だから、悲しくなどない。
「おはよう、ミライ」
真夜中。
人の気配に目を覚ませば、月明かりのさす窓際で君が笑っていた。
「……おはよう?」
首を傾げる私を見て君は楽しそうに笑う。
そんな君を見て私はわざとらしくため息をついてみせる。
「いけませんよ。嫁入りが決まったというのに夜這いとは」
「あら、私は嫁には行かないわよ?」
君はそう言うと、私のベッドに腰掛ける。
白い手が、私の頬へと伸びる。
「だってミライ。あなたが私のことを連れ去ってくれるんだもの」
「それは……命令ですか?」
「そうかもしれないわ。敬語もやめてちょうだい。いつも通り話して」
君は愛おしそうに私の頬を撫でる。
私にはできないなんて、君はわかっているはずだろうに。
私には世界を敵に回しても大丈夫なほどの力がない。金もない。そんな私が君を連れ去ったとして、上手くいっても三日で捕まり、君は予定通り嫁に行き、私は投獄……いや、斬首かもしれない。とにかく最悪の未来しか待っていないだろう。
「無理なんて言わないでちょうだいね。私、何も考えてないワケじゃないのよ」
「じゃあ、何を考えてるの?」
「秘密よ。そのときまでは」
「……わかったよ。仰せのままに」
追手は予想以上にはやく来た。
それなのに君は焦るどころか楽しそうに「鬼さんこちら」と小声で歌う。君の手を引きながら私は「何も考えてないワケじゃない」という言葉を必死に信じようとしていた。 走って、走って、走った先で。先回りしていた騎士たちが、見知った顔たちが「諦めろ」と言う。
君は、それを聞くと愉快そうに、楽しそうに笑いながら言った。
「嫌よ!」
白い手が私の頬と首の後ろへと回る。
口移しで君は何かを私の口に中へと寄越す。
何か、わからないけれど、君はそれを飲み込むように言う。見知った顔たちが吐き出すように言う。
「ミライ。もう今後は何も命令なんてしないわ。最後の命令よ」
「それを飲んでちょうだい」
吐き出すことが最善の選択だろうとは思った。
でも、君の最後の命令ならば、飲まねばならないような気がした。
なにより、君はほんの少し泣きそうな顔だったから。
「仰せのままに」
飲み込んですぐ。立ちくらみに襲われた。
愛おしそうに私を見つめながら何かを飲み込む君と、救護を呼ぶ騎士たちの声。
「ねえ、ミライ。私とあなたはずっと一緒よ」
完全に意識が途切れる直前にそう聞こえた気がした。
「起きたか、ミライ」
目を開ければ、見知った騎士の顔があった。
君が死んだという話を聞かされた。私に飲ませたものと、君が飲んだものでは種類が違ったという話も聞いた。君が自分だけ死んで私のことは仮死状態にするつもりだったという話を聞いた。追手が予想よりもはやかったのは君が事前に情報を漏らしていたからだと聞いた。
君が何をしたいのか私も誰もわからなかった。
一人の友人が言った。
嫁に行かずに済み、私とずっと一緒にいる方法を君なりに考えたのではないかと。
一緒にいないじゃないかと言えば、心の中、記憶の中からは永遠に消えないだろうと言われた。
君は、本当にそういうつもりだったの?
月夜の晩、隣にいる君に問いかける。
返事はない。
当たり前だ、わかってるんだ、幻覚だなんて。