台本「喜」
質素なひとり暮らしの部屋。舞台奥には小さな机と椅子があり、机の上には鏡と文房具と紙が散乱している。
母は椅子に座っている。手には退職届。
サクラは立ってマイに向かって語りかけている。
サクラ あの頃は楽しかった。私もみんなも夢中になって夢を追いかけてた。叶わないような夢でもきっと……きっと叶うって……。でも、今の私はただの会社員で……別に不満があるわけじゃないよ? 仲のいい友達も恋人もいて、親も健康そのもので、職場だって良い環境だし、手取りだっていい。……でも、久しぶり会ったエノちゃんはまだ夢を追いかけてキラキラしてた! 昔みたいに楽しそうなエノちゃんにどうしようもなく憧れて、それで……それで!
母 それで、勢い余って退職届を書いたと
サクラ ……はい
母 徹夜で
サクラ はい
母 酔っ払って
サクラ はい
母 寝ぼけて私に出したと
サクラは笑って誤魔化す。
母 うん、そっか……昔から『思い立ったが吉日!』って突っ走るタイプだったもんね
サクラ いやぁ、えへへ……
母 褒めてないけど
サクラ えぇ……
サクラは項垂れるが、すぐに話し始める
サクラ いや、でもさ、お母さんも知っての通り、私って昔からそれでも上手くやっていける要領の良さを持ち合わせているじゃない?
母 自分で言われると腹立つなぁ……
サクラ 今回もイケると思うの
母 百歩譲って夢を追うのはいいけど、そもそも夢あるの?
サクラ うん、やりたいことはいくつかあって……
母 あぁ、そうなの?でも、あんたの夢って昔から応援しづらいところを攻めてくるのよね……
サクラ そう?
母 うん、思い出してみなさいよ
サクラ 小五くらいまではすべり台
母 えっ待って、そんな夢だった?
サクラ うん。すべり台を毎日すべり、遊ぶうちに……楽しすぎて同化したくなった
母 怖……全然覚えてない
サクラ それで、そのあとから中学生までは地下アイドル、高校生のときはバンドマン、大学生のときは自宅警備員
母 何回聞いても親としては応援し難い
サクラ 確かに、私に地下アイドルは難しかった……あそこは戦場
母 そういうことじゃなくて……なんで地下アイドル?
サクラ あのいい感じに距離が近いところに憧れたんだよ
母 ちなみに諦めたキッカケは?
サクラ 私が当時推してた子がストーカーに悩まされて辞めたもので
母 ああ、そう……
サクラ バンドは……一番好きだったし、今の夢でもあるかな
母 えっそうなの?
サクラ うん。結局、地下アイドルを目指してたときからそうだけど、音楽好きなんだよねぇ。だから、またやりたいなぁ、楽しかったなぁ、って。
母 そうなの……
サクラ 小さなライブ会場のステージでもさ、なんか、ああ、私の居場所があった、というか生きてるなぁって思ったというか
母 それは、いいんだけど
サクラ じゃあ何がダメなの?
母 仕事辞めてまでって、なんかアテあるの?
サクラは目を逸らす
母 ないよね、やっぱりね
サクラ ないね……
母はため息をつく
母 母親が泊まりに来るのを忘れて終電間際まで友達と遊んでるとわかったときには馬鹿だなぁ……誰に似たのかなぁ……あぁお父さんだわ、とか思ってたけど、まさかここまでとは
サクラ まぁ退職届は酔った勢いで書いたし、辞めはしないから安心して!
母 それ、ほんと……?
サクラ うん!……で、でもね、お母さん。私……無趣味なの
母 ?
サクラ いや、正確にはあるんだけど、路上ライブ見に行くだけでさ、百円だけあげてさ
母 ……え?
サクラ なんていうか、この辺地味にいないの!
母 そう……
サクラ 週に一回いるかいないかで……ほぼ趣味散歩なの!
母 ごめん、何の話?
サクラ お金使うことが少なさ過ぎて、貯金がすっごいの……
しばしの沈黙
サクラ 私さっき手取りは良い方だって言ったけど、めっちゃいいの!
母 うん……
サクラ 真面目にやってたら出世もしたし
母 なんでこの子がいい仕事に就けたのかお母さん今すっごい不思議
サクラ だから、趣味代わりにといってはなんだけど、また夢追いかけたいなって
母 うーん……
サクラ 早めの夏休みをとってそこでいろいろ準備してみたりとか……
母 ……
サクラ あっ大学生のときの夢自宅警備員だから退職したらすぐなれる!
母 それはやめて
母はため息をつく
母 まったく……親の顔が見てみたい
サクラは机の上にあった鏡をマイに差し出す
母 何?
サクラ 顔が見たいって言うから
母は鏡を押し返す
母 いらない
母 一回よく考えてみて?友達と居酒屋開くって言って、友達に開業資金持ち逃げされて落ち込んで、今は実家でニートしてるお兄ちゃんをどう思う?
サクラ 羨ましい
母は頭を抱える
サクラ 持ち逃げされたのはカッコ悪いけど
母 ニートもカッコ悪いと思うのは……私が古い人間だってこと?
チャイムの音
サクラ なんだろ?ちょっと出てくるね
母 うん
サクラは一度去る
母 はぁ……兄妹揃ってなんでこんなにアホなのかな……
しばらくすると、サクラが大きな箱を持ってくる。
サクラ 届いたー!
母 え、何が?
サクラ 何って……新しいギターだけど。言ってなかったっけ?
母は首を横に振る
母 っていうかいつ買ったの?思いついたのって昨日の夜だよね?
サクラ いや~翌日配達ってすごいね
母 えぇ……
サクラ さて、あとはメンバーのみ!
母 もうなんていうのかな……悲しい
サクラ 娘の輝く姿を見たいって思わないの!?
母 アラサーで突然だと、心の準備がね
サクラ アラサー?お母さんが?
母 いや、あんたが
サクラは首をかしげる
母 そうじゃないの?
サクラ 私って……アラサーなの?
母 二十七歳、アラサーじゃない?
サクラ 三十歳からだと思ってた……
母 もうそれは「サー」のほうにいってるじゃない
サクラ まあいいや
母 なにも良くないけど
サクラ さて、、早めの夏休みも取ったし、早速練習しようかな
サクラは箱を開けようとする
母 待って、先に私の心を落ち着かせて
サクラ えぇ?
母 まずさ、いつ早めの夏休み取ったの?
サクラ 今さっき、荷物受け取った後に、メールで
母 よく許してもらえたね
サクラ ほんとにねぇ
母は大きなため息をつく
サクラ あ!お母さんから幸せ逃げた!ほら!ここ、ここ!
母 え!逃げた?逃げた?
母は無言でサクラを叩く
サクラ いたっドメスティックバイオレンスだ!
母 人はこれをツッコミと呼びます。それに根本的に意味を間違ってるわよ。
サクラ ツッコミは痛くないようにするんだよ!素人め!
母 お互い様でしょ
サクラ まあそれはどうでもいいんだけど
母 うん。で、本当にバンド組むの?
サクラ うん!
母 メンバーのアテも無いのに?
サクラ 今から考える!
母はサクラをじっと見つめている
母 そもそも安定した生活あるのに
サクラ んー……
母 それじゃダメなの?
サクラ 人間は機械じゃないんだしさ、安定した生活に縋って、同じことを繰り返し続けるべきじゃないと思うの。折角いろんなことできるんだし。どうせなら、喜びを感じられる生き方っていうか、生きがいがある方が良いかなって……。少なくとも今の私には生きがいが無いし
母 でも、それだけじゃ生きていけないでしょ……
サクラ 確かにそうなんだけど……ほら!貯金はあるし!
母 どのくらい?
サクラ このくらい
サクラは通帳を出して母に見せる
母 なに?あんた、なにしたの?
サクラ 良い企業に就職した
母 はぁ……
サクラ どうでしょう、こんなに準備万端な娘をどう言い負かす?会社も辞めないし!
母 準備万端かどうかは怪しいけど……まあ、そうね。好きにしなさいよ……。その代わり、輝いてるところちゃんと見せてね
サクラ ほんと?やったー!
暗転。
小さなライブハウス。舞台の上にサクラ。他には誰もいない
サクラ ここ久しぶりだなぁ、昔よくみんなとここ借りてたっけ
サクラは微笑んで会場を見渡している
しばらくすると舞台袖から声がする
友達 サクラーそろそろ準備するから手伝ってー(声のみ)
サクラ はーい、今行く
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この台本はコロナで中止になった先輩方の引退公演で使う予定だった台本です。部内で喜怒哀楽それぞれの短編を作るもので、私が担当したのは「喜」でした。