note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第81話
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バヤリースオレンジの栓をぬきつつ、あたりを見回した。机の上には寿司や刺身の舟盛り、揚げたてのコロッケ、何種類ものお惣菜、ビール瓶がならべられている。
まるで商店街中の食材をすべて集めたみたいだ。十二畳の部屋は人でごったがえしていて、あちこちでなじみのある近所の人たちがわいわいと談笑している。
熊谷のおじさん、八百伊予のおじさん、重松のおじさん、とおじさん連中はみんないる。壁には『バシャリ、さようなら』と子供たちが書いた大きな紙が貼られていた。
高尾山から帰宅した当日、バシャリは故郷に帰ることを家族に告げた。健吉はバシャリの足にしがみついたまま離れようとはせず、わたしはなだめるのに苦心した。
お父さんは「そうか」と一言もらしただけだった。でも、その背中からは寂しさが漂っていた。
近所の人たちにも知らせた。もちろんアナパシタリ星に帰るとは言わない。実家の都合で故郷に戻ることになった、と適当な嘘をついた。
マルおばさんの子供たちは泣きわめいた。まるで、友達が遠くに転校するような騒ぎだった。
子供たちだけではなく、マルおばさんや、おじさんたち、その他の近所中の人々が別れを惜しんだ。バシャリはいつの間にか街全体の人気者になっていたのだ。
マルおばさんがお別れ会をすることを提案し、近所中の人たち全員が集まることになった。
最初はうちを会場に考えていたが、とても人が収まりそうにないので、公民館を借りることにした。
お別れ会の日程は四月の初めとなった。マルおばさんが「別れは春って決まってるものよ」と勝手に決めてしまったからだ。
そのことをバシャリに伝えると「マルおばさんに逆らえるわけがありません。では、帰るのはその日にしましょう」と苦笑混じりに言った。
それまでの日々をわたしは淡々と過ごした。バシャリも以前の陽気さをとり戻し、毎日のように健吉たちと遊んでいた。
またたく間にその日は訪れた。わたしは早起きし、おはぎ作りをはじめた。バシャリの好物をお土産に持たせるためだ。
日が昇らないうちからせっせとおはぎを握る。涙がこぼれそうになるのを、ぐっとこらえた。
泣き顔は絶対に見せない。わらって見送ると心に決めていた。
「えらく盛大なお別れ会だな」
突然の声にびくっとすると、わたしの隣に星野さんが座っていた。向かいの席には荒本さんもいる。
荒本さんが丁寧に言った。
「幸子さん、お招きいただきありがとうございます」
「星野さんと荒本さん、来てくれたんですか」
「来てくれたも何も幸子ちゃんが呼んだんじゃないか」
星野さんがわらったので、小声で言い訳した。
「だって星野さん、最近忙しそうだから……」
その言葉が聞こえなかったみたいに、星野さんは壁際に目を向けた。バシャリがおじさんたちとビールを飲みかわしていた。
「バシャリのお別れ会だからな。来るに決まってるさ……」
いつもの軽妙さは影をひそめ、声色にせつなさがにじんでいる。星野さんも別れが悲しいんだ、とわたしもしんみりした。
「おおっ、星野と荒本ではないですか!」
バシャリが叫びながらやって来た。荒本さんが声をかける。
「やあ、故郷に帰ると聞きましたよ」
「そうなのですよ。ようやくラングシャックが見つかりました。星野と荒本にも協力してもらい、感謝しています」
「そうか、見つかって良かったな」
星野さんがそう微笑むと、「はい」とバシャリも笑みで返した。すると、星野さんがかばんから雑誌をとりだした。
「ほらっ、餞別だ」
表紙には『宝石の友』と書かれている。「何が載ってるんですか?」とバシャリが雑誌をめくると、あっと頓狂な声をあげた。
「『セキセトラ』ではないですか?」
「ああ、絵戸川乱走先生の目に留まってね。『宝石の友』に転載してもらえたんだ」
「えっ、絵戸川乱走って、あの絵戸川乱走ですか?」
人気作家の名前にわたしは飛び上がった。
「あの絵戸川乱走以外に、どの絵戸川乱走がいるんだい」
と、星野さんがおかしそうに言った。「わたしにも見せて」とバシャリから雑誌をうばいとり、一読した。
間違いなく、あの『セキセトラ』だ。たしかに素晴らしい小説だったけれど、あの絵戸川乱走に認められるなんて……星野さんがぼんやりと言った。
「人気作家になったら執筆依頼を断るのに苦労するだろうな」
わたしはぷっとふきだした。
「そんな心配まだ早いんじゃないかしら」
「それもそうか」星野さんがにやっと口端をゆがませる。バシャリがとがめた。
「幸子、何を言っているのですか。星野はすでに人気作家ですよ。星野を拉致監禁し、強制的に小説を執筆させる宇宙人もいずれあらわれるでしょう。
星野、身辺にはくれぐれも注意してください」
「おいおい、ずいぶんとぶっそうだな」
星野さんがぎょっとした。すると、バシャリがペンをさし出した。
「おっと、そうだ。星野、せっかくだからこの雑誌にサインをお願いしますよ」
「サインなんか書いたことないぜ」と星野さんは尻込みしたけれど、考えなおしたかのように腕をまくった。
「よしっ、僕のサイン第一号は宇宙人に書こう。実にSF作家らしいじゃないか。バシャリさんへでいいか?」
「せっかくだから、名前全部を書いてください。いいですか。エヌ・バシャリ・チ・リコマト・ネハサロ・コチョイケスタ・リコメンダ・カジョテスナイロー・マツロリ・ハンクッサトッパ・メスロカリシャスーー」
「長いよ!」星野さんは、我慢できずに思わず止めた。「そんな長い名前書けるわけないだろ。名前だけで紙が埋まっちまうよ」
わたしと同じ反応におかしくなった。バシャリは残念そうに言った。
「そうですか……では、エヌ・バシャリでお願いします。日本人の苗字と名前にあたるものがそれになります」
「エヌねーー」と、星野さんがつぶやいた。「……いい名前だな」
「そうでしょう。私も気に入ってます」
「エヌかあ……」
何が気に入ったのか、その名前をくり返しながら星野さんはサインを書き、バシャリに雑誌を手渡した。
「星野、これは私の宝物にしますよ」
星野さんは神妙に頷くと、バシャリの肩に手を置いた。その手には、ありったけの親しみが込められているようだった。
「ーー礼を言わせてくれ。バシャリのおかげで自分の道を見つけることができた。感謝している」
「いいえ」バシャリは小さく首をふった。「星野はすでにその道を見つけていましたよ。私はちょっぴりその背中を押しただけです」
星野さんの感謝の気持ちが伝わってくる。荒本さんは、そんな二人を微笑ましく見守っていた。そのやわらかな横顔を見ながら、ふと思った。
空とぶ円盤研究会か……
最初は、ただの奇妙な会だと思っていた。立派な大人がそんな妄想を抱くことが不思議だった。でも、今ならちょっとは理解できるーー完璧には無理だけどーー。空を見上げ空想することで、人は前に進めることを。
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