note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第63話
「幸子、私の星では子供が悪さをしたときに与える罰があります。お見せしましょう」
と、バシャリは課長につめ寄ると、中指と親指で輪を作り、課長のひたいに近づけた。
一体、何をされるのかとおびえた課長は腰をひかせていた。強気な仮面が外れ、臆病な表情があらわになる。
「いきますよ」
バシャリが中指を弾いた。バシッと空気を引きさく音が轟いた。その直後、課長は後方にふっ飛び、壁に激しくぶつかった。
その横の窓ガラスがふるえる音が響き、眼鏡がカツンとわたしの足元に転がった。課長はあおむけに倒れている。
「デコピンですよ。デコピン」
バシャリは、得意げに指を素ぶりした。誰も声ひとつ出せない。宇宙人を名乗る男が上司をふき飛ばしたーー突然の事態に、全員が色を失った。
「関根課長!」
ようやく係長が叫んだ。その金切り声が、みんなの意識を呼び覚ましたようだ。
男性行員たちがあたふたと課長を介抱する。課長はぴくりとも動かず、完全に失神していた。
ひたいには指の跡があった。判子を押したような、くっきりとした跡だった。
わたしも、やっと今の状況が把握できた。もう逃げる他なかった。
「出ましょう」
と、バシャリを外に連れ出し、建物の裏側に回った。人影がないのを確認すると、膝から力がぬけ落ち、へなへなとその場にうずくまった。
身内が直属の上司に危害を加えたのだ。こんなこと前代未聞だ。一体、わたしはどうなるんだろう?
バシャリは不思議そうにわたしの顔を覗き込んだ。
「幸子どうかしましたか? 顔色がすぐれないようですが、お腹でも痛いのですか?」
「あなたね……」
と、説教が飛び出る寸前で口をつぐんだ。
「……何でもないわ。ありがとう」
バシャリは悪くないわ。この人がやらなかったらわたしがひっぱたいてたもの。そう考えなおしたからだ。すると、バシャリが頭をかきながら言った。
「ちょっと力加減を間違えました。幸子の上司がふっ飛んでしまいましたね。おでこもまっ赤でした」
そのとぼけた口調が妙におかしかった。さっきの光景を思い浮かべる。いつも横柄な関根課長が、大型トラックに衝突したかのようにふき飛んだ。
わらいをこらえるために顔をふせたけれど、無意識のうちに肩がふるえる。泣いていると勘違いしたのか、バシャリが心配そうに訊いた。
「幸子、大丈夫ですか? 私何かおかしな発言をしましたか?」
もう我慢できない……
こらえていたおかしさを一息に吐き出した。大口を開けてひいひいとわらった。
あまりの面白さに自然と涙まで出てくる。勤めはじめてからたまったすべての鬱憤が、流れていく。そんな気がした。
「どうしましたか、幸子」と、突如わらい転げるわたしの対応に困ったのか、バシャリはおろおろした。
ゆっくりと深呼吸をくり返し、やっと落ちついた。「ああ、おかしかったわ」と、涙をぬぐってから訊いた。
「あの技の名前、何だったかしら?」
「デコピンですよ。デコピン」と、バシャリは指を弾いた。
「ちょっとしゃがんでくれないかしら」
「いいですよ」
バシャリが腰をかがめると、わたしは強烈なデコピンをお見舞いした。
「痛っ!」と、バシャリは叫び、抗議の声をあげた。「ちょっと幸子、何するんですか。なぜ善良な宇宙人であるこの私が、罰を受けなきゃならないんですか」
「ごめんなさい。ちょっとやってみたかったの」
ふふっと微笑み、ぐっと背筋を伸ばした。
雲ひとつない東京の青空が、わたしたちを見下ろしていた。
13
バシャリの一件の翌日、わたしは銀行を辞職した。
あんな事件を起こして働き続けるのは、到底不可能だった。関根課長に退職届を手渡すと、一切引き止められることなく、すぐ机にしまわれた。こうしてわたしは無職になった。
不幸中の幸いだったのは、西園さんが辞めさせられなかったことだ。あの事件をきっかけに労働組合が女子行員の待遇改善を訴えだし、課長もそれにしぶしぶ従った。
そのおかげで西園さんは妊娠しながらも当面働けることになった。
あれから一ヶ月経った。
新しい就職先は一向に見つからなかった。事務職の求人はなく、電話交換手、バスガイド、工場の作業員、といろいろさがしたけれど、どれも給与が低い上に待遇も良くない。
心配になり、財布を開ける。まだ多少の余裕はあるが、一刻も早く新しい職をさがさないとすぐに底をつきそうだ。
お父さんが、家にお金を入れてくれたら……
薄暗い気持ちをひきずったまま、とぼとぼと帰路についた。
「ただいま……」
「お帰りなさい」バシャリが出迎えてくれる。だが、すぐに首をひねった。「あれっ、いつもより早くないですか?」
わたしは咄嗟に口をにごした。
「うん、ちょっとね。お偉いさんたちが会議らしくて早く帰れたの」
「それは良かったです。ねえ、健吉」
バシャリの隣にいた健吉が、しっかりと頷いた。これからは帰宅時間には注意しないと、と気を引きしめた。
銀行を辞めたことは、みんなには秘密だった。余計な心配をかけたくない。新しい就職先が決まってから打ち明けるつもりだった。
一息ついていると、「あっ」と、バシャリが声をあげた。
「そういえば、幸子にご報告したいことがあるのですよ」
「何なの?」
「はい。以前、周一からカメラを借りましたよね」
「ええ」
空飛ぶ円盤の観測会で使ったカメラだ。
「あのときの写真を熊に頼んで現像してもらったのですよ」
たしかに熊谷のおじさんはカメラが趣味で、自宅に暗室がある。
「フィルムにこんな写真が残っていたのです」
胸ポケットから写真をとりだすと、バシャリはわたしに手渡した。
写真には、二人の女性が仲良くならんでいた。一人はよく知っている人物、お母さんだ。
白いブラウスを着たお母さんが満面の笑みを浮かべている。この服には見覚えがある。たぶん三年ほど前の写真だ。
けれどもう一人の女性に見覚えはない。スカートの前で手を組み、はにかんでいる。お母さんよりもほんの少し若くて、とても綺麗な人だ。でもその美しさにはどこかポキンと折れそうなはかなさを感じる。
一体、誰だろう。
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