note連続小説『むかしむかしの宇宙人』最終回
ひっくひっくとしゃくりあげながら鍵を開ける。長らく立ち寄らなかったあの川沿いに行き、そこで泣いていた。
一時間は経っただろうか。ようやく涙が止まったので、ふらふらと帰宅した。
みんな、今日は夜通しで飲むと言っていたので、公民館に戻ろうかと考えたけれど、すぐに思い止まった。
こんなひどい顔を見せるわけにはいかない。
戸を開けると、家はひっそりとしずんでいた。靴を脱ごうとしゃがみ込むと、見覚えのある靴が目に入った。
わたしの靴より一回り以上大きな革靴ーーまさか……
わたしは居間に駆け込み、勢いよく障子を開いた。
「やあ、幸子、ずいぶんと遅かったですね」
吞気な声がこだまする。
バシャリが縁側に腰かけ、おはぎを食べていた。腫れた目で何度もまばたきする。間違いない。
帰ったはずの彼が、そこにいるのだ。信じられない気持ちでバシャリを見下ろしていると、ふいにバシャリがわたしを覗き込んだ。
「おやっ、幸子、泣いていたんですか?」
「泣いてなんかないわ」
大急ぎで顔をそむけた。バシャリは子供をあやすように座布団をしいた。
「まあまあ、幸子も座りませんか。今宵も月が綺麗ですよ」
とまどいを隠せないまま、とりあえず隣に座り込み、ちらちらとバシャリの横顔をうかがった。
たしかに円盤は空の彼方に消え、それを見届けた。なのに、彼はどうしてここにいるんだろう? わたしは半信半疑で尋ねた。
「ねえ……アナパシタリ星には帰らなかったの?」
「帰らなかったのではありません。帰れませんでした」
飄々とした口調でバシャリが言った。
「なぜなの?」
「円盤の故障ですよ。飛び立つことはできたのですが、銀河を突き抜けることができませんでした。
私もにぶいものです。しばらく飛んでからその故障に気づきました。だから地球に戻ることにしたのですよ」
「……そうなの」
不幸な話の内容とは裏腹に、妙に明るい口調だった。あれほど帰りたかった故郷への帰還が失敗したのに、落ち込んだ様子がどこにもない。何が何だかわからなかった。
「幸子、テナガノリを覚えていますか?」
バシャリが唐突に訊いた。急な問いかけだけれど、あんなおかしな名前を忘れるわけがない。バシャリの先輩の名前だ。わたしは頷いた。
「テナガノリも円盤が故障したと話しましたよね。
ただあのとき、テナガノリは円盤の故障原因を教えてくれませんでした。
それが今、やっとわかりました。間違いなく、私と同じ故障原因だったのです。
さきほど説明した通り、我々の円盤は『宇宙を飛びたい』という想いと希望の感情を融合させ、それをエネルギーとします。
しかしここにある感情が混入すると円盤が銀河を超える力を失うのです。テナガノリも私も、その感情が混入したことで円盤が故障したのですよ」
「一体、どんな感情なの?」
バシャリは晴れやかにわらった。
「未練ですよ」
「未練?」
「そうなのです。円盤が飛び立つときにその星に未練を感じると、この故障が起きるのです。
円盤が設計された段階でこの問題が明らかになったのですが、誰も些細なことだと気にも留めませんでした。
当然です。アナパシタリ星は宇宙でも有数の文明を誇る惑星です。それに我々は全員が愛星者ですから、その他の惑星に未練を感じるわけがありません」
「ちょっと待って」と、わたしは話を止めた。
混乱する頭を落ちつかせ、どうにか質問をまとめた。
「でもあなたの円盤は未練の感情が混ざったから故障したんでしょ。ということは……地球に未練を感じたのよね。
一体、何に感じたの?」
バシャリは、いつくしむような目をわたしに向けた。
「幸子、あなたにですよ」
「わたしに?」
あまりに驚いたので、声が裏返った。バシャリはふっと息を吐き、
「以前、アナパシタリ星の宇宙飛行士の帰還率はおよそ五割だ、と説明しましたよね」
未練についてさらに詳しく訊きたかったけれど、「ええ、覚えているわ」と、やむをえず頷いた。バシャリは続けた。
「アナパシタリ星の円盤は最先端の技術を結集したものです。故障もその未練の感情が混入したとき以外はほぼありません。
なのに、帰還率が五割しかない。これはアナパシタリ星の宇宙飛行士協会でも白熱した議論がくり広げられるほど大きな謎でした。
でも、答えが判明しましたよ。やはりみんなそれぞれ訪れた星に未練を感じ、円盤が動かせなくなったのです」
「でも、アナパシタリ星ほど高度な文明の人間が未練を感じるわけがないんでしょ? 矛盾してないかしら」
「はい。ですが我々でも、唯一未練を感じるものがあることを今知りました。
テナガノリの『おまえも旅を続ければ、いずれわかる日が来る』という言葉の意味がようやく理解できたのです。
テナガノリを含め、他の宇宙飛行士たちが訪れた先の惑星で未練を感じた理由ーー
それは、それぞれの星の女性に恋をしたのですよ」
「恋……」
あまりに意外な理由に、わたしは惚けたようにつぶやいた。
「そう……恋ですよ」バシャリは意味ありげに頷いた。「恋愛は、アナパシタリ星には存在しない感情です。
だから誰かに恋することで未練の感情が生じるとは、アナパシタリ星人は想像すらしなかったのです。
しかも円盤が故障し、その原因が宇宙飛行士が宇宙を旅することで異性に恋をしたことだと解明されたとしても、そのときには円盤は動かせず、故郷に戻ることはできません。
だからいつまでたっても大いなる謎のままだったのですよ。この理由を知れば、アナパシタリ星人は仰天しますよ。
宇宙飛行士は、他星で事故にあったから戻れないのだ、と信じ込んでいますから」
と、おかしそうにわらった。けれど、もうそんな説明は耳に入らなかった。
えっと、だから、バシャリはわたしに未練を覚えた……彼らが未練を感じる理由は、その星の異性に恋をすること。ちょっと待ってよ。ということは、ということはーー
わたしががばっと顔を上げると、吸いよせられるようにバシャリと目が合った。バシャリはもじもじしている。
「ええ……つまり……その……
私は……幸子に恋をしたのですよ
」
ぼっとバシャリの顔がまっ赤に染まった。
わたしに、恋をしたーー
心がその言葉を吞み込むのに時間がかかった。
「いやあ、恋とは恥ずかしいものですね。まさかこんな感覚に陥るとは思いもしませんでしたよ」
バシャリが照れくさそうに頭をかいた。突然の告白に呆然としていたけれど、やがてふつふつとおかしさがこみ上げた。
それを悟られないようにとっさにうつむく。でも、くくっとわらい声が口からこぼれる。
バシャリが眉をひそめた。
「ちょっと、幸子、私は真剣に告白したのですよ。ひどいじゃないですか」
ふてくされたのか、バシャリはぷいっと顔をそむける。わたしは一度息を吐き、すねた彼の横顔を見つめた。
そしてバシャリの手に、自分の手をそっと添える。バシャリがびっくりしてこちらを見た。
「幸子……」
何も言わないで、と首をふった。ただやわらかく手を握り、その温もりに身をゆだねる。
バシャリが「そうでしたね」と頬をゆるめ、こうつぶやいた。
「これが、この星の恋人の証でしたね」
そして、わたしの手をやさしく握り返してくれた。
(おわり)
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