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途上(振り返りとして)

去年末の心境を思い返すと、今でも、すこしだけ感傷的になる。
当時、なにもかも、全てが終わる気がして、終わった気がして、その先に流れる時間に楽しみも可能性もなにもかもを見出せずにいた。
2023年なんてこなければ良いと思ってた。
永遠に2022年のまま、それも具体的に言えば2022年の12月28日以前のまま、全てを保存したまま、なにもかもを。
2023年の1月なんか来なければいいと、結構、本気で、真剣に思ってた。

それでも、訪れた2023年1月、全力で楽しんだし全力で悲しんだ。全力をうけとめて、全力でこたえようとして、それを上回る全てを与えてもらった。この先の人生においても忘れ難い1ヶ月になるに違いない。
一番大好きな人と、一番大好きな人たちと、一番大好きなグループ。
もう絶対に戻れなくとも、それぞれからもらった全部を忘れないし、何があったとしても、みんなのことが大切なのは変わらない。
美化しないまま愛していたい思い出と時間を抱えて、生き続けたい。

それから。
それから、多くの出来事があった。いくつかの分岐があったし、その度に選択があった。

人を傷つけてでも得たい未来(それがいかに遠くて届き得ないほど希薄なあるいは触れることさえ叶わない未来であったとしても)のために切り捨ててしまったものもあった。すべて僕が悪い。

それでも。
それでも、その選択全てに後悔はない。
誓った全てに偽りはない。

再び会いたかった人と会えて、誰よりも輝いてる姿を見たい人に会えて、他のなによりも大事にしたい人と会えて。
たとえ触れられなくても、ただ少しの時間だけでも同じ時間を共有できるてお話しできることが嬉しくて、幸せで。
向かおうとしている未来に立ち会えることが何よりも嬉しくて、幸せで。
ステージ上でなにかを表現しようとしている、表現のために尽くしている姿をみるのが本当に嬉しいし楽しいし元気をもらえる。
毎回受け取ってばかりだけれど、何らかの形で関与できていればなぁと考えるけれど何も思いつかなくて、結局もらってばかりになってしまうけれど。
自分が持ってないものを持っているから少しでも近づこうと真似ばかりしてしまうけれど。
思考の先に言葉があるから、行動があるから、信じて良いと思えるし信じ続けることができる。
ありがとう。

本筋を逸してしまった。

ただ、これ以上の何かを振り返ることは出来ない。筆が進まない。要は書くことがない。
振り返るべき出来事も、省みるべき己もまだ途上にある。
これから当然に起こり得る選択と結果によって、見解は大きく変化するだろう。

(だからこそ現在地点から振り返ることに意義があるのだろうし、定点観測的に己と向き合う契機にもなるのだろうけど。小説だって読書行為中に期待の地平を変化させながら進むし、どんでん返しが起こったりする。それが無為だとは到底考えないし、むしろ行為としての読書の楽しみ感動(翻って価値)はそこにあるから。)

あぁまぁとはいえ、生活に限って言えば多くの改善点はある。省みるべき事柄に溢れている。

たとえば、毎朝同じコンビニで買っていた1Lの水。生活に追われて減った読書量。生活に追われて増えた食事量、体重、肉壁。仕事。
しかし生活なんぞ振り返っても仕方がない。
進むしかない、ただ頑張るしかない。
だからこそ、生活を支えてくれる、精神面で支えてくれる人や人たちがいる世界について考えていたい。思想として。
思想的な豊かさの中に踏み入れていたいな。それがいつか生活に結びつくことを願って。

うねうねまとまらずに、まとめる気もないまま書いているうちに新幹線がきました。朝起きてから今までずっとスマホに指打ちしていたので指先と脳みそが疲れてきました。

久しぶりに締め切りに追われて文章を書く感覚を思い出せた。そうです、このように後半は趣旨が蔑ろになっていくものでした。
とはいえ、約束、果たしたよ。

2023年最後の日にあなたに会えることが幸せです。


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