【日記】はじめて紅茶を飲んだ日
こんにちは、唐梨です。
久々に紅茶を飲んだので、今日は紅茶にまつわる想い出を書いてみようと思う。
紅茶へのあこがれの発端
紅茶へのあこがれは、記憶をたどれば幼稚園くらいからあったように思う。理由は簡単、当時見ていたアニメが宮崎駿さんや高畑勲さん関係の作品だったことと、当時好きだったキャラクターがサンリオのハローキティだったからである。
宮崎駿さんや高畑勲さん関係の作品
もちろんスタジオジブリ作品は言うまでもないが、当時の私にそれ以上の大きな影響を与えたのは世界名作劇場シリーズだった。
『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』など、西欧の文化の日常がたっぷりと描かれており、幼かった私には、ただ食事をしているシーンが映るだけですんごくキラキラした気持ちに駆られたものである。
ジブリはどちらかというと成長して思春期に入ってから、幼少期の紅茶(というか西欧文化)へのあこがれ保持の原動力になってくれており、名作『魔女の宅急便』『ハウルの動く城』『借りぐらしのアリエッティ』などにはとてもお世話になった。
サンリオのハローキティ
私は物心つくかつかないかの頃から、キャラデザに関する好みの傾向がはっきりしていたらしく、圧倒的にディズニーよりサンリオ派だったらしい。あれだけ西欧文化にあこがれていながら、そこは国産派だったようだ。
その影響で、親もキャラクターものを買い与えてくれる時は、どうせならとサンリオにしてくれており、当然メインキャラクターであるキティちゃんに触れる機会が多かった。キティちゃんは紅茶文化の本場イギリスのロンドンに住む女の子という設定のため、当然紅茶やお茶菓子がらみのシーンもあり、それにものすごくあこがれたというわけである。
コーヒーじゃなんか違う
なぜ私が紅茶にかくもあこがれたかといえば、家に紅茶がなかったからである。人間、あると満足してありがたみもなくなるが、ないものに対する熱意はわりと湧きやすいものだ。親は両親そろって朝はコーヒー党、夜は緑茶だったため、紅茶に触れる機会がまったくなかったのである。
コーヒーだって異国情緒満載なんだからいけるんじゃないか…と思って飲んでみたことあるが「なんか苦い」「違うんだよ、あのアニメのあのシーンはやっぱり紅茶なんだよ」と幼心に思っていたようで、代替にはならなかった。
今なら言語化できるが、幼かった私は「さぁお茶にしましょう」というセリフに象徴される、午後のおやつタイムを友達やお客様と楽しむあのシーン込みで紅茶にあこがれていたわけであり、新聞を広げて馥郁としたコーヒーを飲んで颯爽とビジネス街に出社するのが俺の毎朝の日課さ、みたいなシーンにあこがれていたわけではなかったのである(もちろん今ではスタバでモーニングコーヒーのシチュエーションも大好きである)。
はじめて紅茶を飲んだ日
はじめて紅茶を飲んだのは小学校3年生くらいの頃だったと思う。学校から家に帰ると、どうやらお客様が来ているらしい。当時まだ専業主婦だった母がママ友を呼んでいたのだ。
居間に行くとびっくり仰天、なんとそこには夢に見た紅茶、しかもご丁寧にティーポットとティーカップのセットの形で存在している!!!当時8歳の私の興奮をお察し頂きたい。畳とちゃぶ台だった居間が、急にフローリングとテーブルに見えた。
「うちに世界名作劇場が!?」
と思いながら「あんたも飲んでみる?」と渡された紅茶の味は、理想を裏切らずとっても美味しかったのを覚えている。
夢が現実になると、夢のままの方が良かったなんてこともあるが、そうじゃなかった、良かった良かった、やっぱり現実は夢以上だと安堵したことも覚えている。
今思えば、母が気を利かせて砂糖を多めに入れてくれていたのかもしれないと思うが、私にとってはいつものジュースじゃないことに大人の飲み物の仲間入りをした気がして、嬉しかった。
もしかしたら、私がジブリや世界名作劇場やサンリオから紅茶の影響を受けたのは、日本人の描く「フィクションとしての西洋」にグッときたからなのかもしれない。もしかしたら、8歳の私が感じたと同じような体験を、彼らも人生のどこかでしていて「西欧に生まれていないからこその西欧へのあこがれ」がアニメーションに反映されているのかもしれない。もしかしたら、私はその先人たちのあこがれを無意識に感じとって、あこがれる体験込みで紅茶に興味を覚えたのかもしれない。
いつまでも、あの心躍るときめきと夢々しさを忘れずにいたいものである。