見出し画像

地方都市の冬じたく

 都会から田舎に引っ込んできて、生活が大きく変わったなあと思う。

 いい悪いの話ではないのだけれど、地元の寒さにあらためて驚かされている。少なくとも18年はここで生きていたはずなのだけれど。8年間の“留学”で、すっかり感覚を忘れてしまった。京都も寒いといえば寒かったが、それでも、霜柱が立つというようなことはそう滅多になかった。そもそも、向こうの人は霜柱がなにか分からないらしい。

 そんな環境で買いそろえた衣類は、こちらの気候にまるで無防備だ。「真冬でも十分しのげます」という話だったコートが、11月の半ばにして既に白旗を揚げている。阪急メンズ館が悪いのか?いや、こんな寒いところにいる私が悪い。黙ってぶぶ漬けをすするほかない。

 もうすっかり宇都宮市民で、買い物といえば郊外のショッピングモールと相場が決まっている。あそこに行けば“安い”し、たいてい“なんでも揃う”。そう、地方住民の生活・文化のすべてがそこにある。

 幹線道路の流れが、近づくにつれて次第に悪くなる。週末になるといつもこうだ。平日は映画のセットか何かと思うほどガラガラなのに、その駐車場のすみっこまでクルマに溢れるというのだから、文字通り「誰も彼もが」週末をここで過ごしている。

 このショッピングモールには、「北関東最大のユニクロ」が存在する。梅田のユニクロはビルになっていたが、こちらはなにせ、土地が有り余っている。平屋建築に地平線の彼方まで、シャツやらジーンズやらがひしめいている。

 平日に来て目星は付けていたので、あれこれと迷うことはなかった。ダウンと化学繊維のハイブリットパーカで、お値段およそ1万円。それなりの作りでこの値段なら、十分すぎる。と、今は思う。このユニクロの隣にこれまた巨大なH&Mがあって、最近はほとんどこのふたつで着るものを間に合わせている。ファストファッション万歳、である。

 田舎の冬を凌ぐには、もうひとつ忘れてはならないものがある。上着なら最悪ガマンすればどうにかなるが、こればかりは調達しないと命に関わる。スタッドレスタイヤである。

 京都は年中行事と観光客のために街ができていたが、こちらは自動車に合わせて万事が作られている。クルマ無しではおよそ、人間らしい生活を送ることができない。そして、冬は当然のように道路が凍る。ときおりノーマルタイヤのまま冬を越す人がいるが、おそらくそういう人は何かの手違いで免許を交付されたのだろう。もちろん安くはないが、避けては通れない。そらあみんな都会に行くよなあ、と、クルマ関係の支出を計算するたびに思う。

 叔父さんが車を替えたというので、ホイール付きで旧いスタッドレスタイヤを譲ってもらった。近所のガソリンスタンドに持ち込んで、コーヒーをすすりつつ交換作業を待っていた。

 5分ほどして、エンジニアがすまなそうに近寄ってきた。もう終わったのか?と思っていたら、

「あのタイヤもう使えませんよ」

と言う。なんで?と説明してもらったら、なるほど確かにほぼ取り替えのサインが見えている。しかも5年も前のタイヤだったらしく、ワンシーズンごまかすのも危険だという。

「もしよろしければいまウチでセールやってるんですが」

ほら来た。即決しようにも、相場がどんなもんか分からない。エンジニアは実直そうなおじさんだが、ここはひとまず相場を調べよう。

 大手のカー用品店を数店回って、めんどくさくなった。というより、あのスタンドのほうが確かに安かった。もういいや、あのおじさんに任せよう。いい人そうだし。

 スタンドに電話したら、あのおじさんエンジニアが受けてくれた。

「すんません、そちらでお願いしようと思います」

「分かりました、いつ頃いらっしゃいますか?」

「あーと30分くらいしたっけ伺います」

「分かりました、大丈夫です」

ホイールはそのまま叔父さんのを使い回して、案外すんなりと作業は終わった。あとで気が付いたが、古タイヤの処分をサービスしてくれていた。

 うちに帰ってテレビを見ていたら、石川のレスリング協会にろくでもない御山の大将がいるという話をやっていた。

 そう、確かに地方は閉鎖的なところもある。というか、世界の延長が「手の届く範囲」で終わっているというほうがより正確で中立的だろう。私はそれ自体を悪いことだとは思わないし、むしろそうした世界で暮らせることも、グローバルに活躍することと同等に価値あることだと思っている。しかし、レスリング協会のおっさんのように、その世界を囲っていい気になっている愚か者がいることも確かだと思う。

 生活における価値観も、具体的な生活の在り方も、京都とはだいぶ違っている。たぶん東京とも大きく違うだろう。

 でも、その違いは、必ずしも優劣を意味しないだろうとも思う。

 田舎は悪くない。悪いのは「田舎者」だ。

 そう思うからこそ、私は、どこか栃木県民としての自分を捨て去ることができないでいる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?