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月夜の作法

 会費だけ吸い取られるのがシャクで、戦々恐々とジムで汗を流した帰り。駐車場から出ようとしたら、窓に月が映っていた。

 こちらに来てからというもの、自然を愛でるなんてことがめっきり少なくなった。京都にいた頃はヒマさえあれば夜歩きしていたけれど、幹線道路沿いのオマケのような歩道では、とうてい散歩などできたものではない。自然に囲まれているようで、日々の生活で言えば、車から建物へと、ずっと屋根の下で過ごしているような気もする。

 東に出たばかりの月が、警備員の振る誘導灯の向こうに覗いている。案内されたとおりに通りへと出て、普段なら決まった小路に折れて、契約している駐車場に辿り着く。

「月かあ」

 なんとなく、いつもの小路を通り過ぎてしまう。そこを曲がり損ねると、家路が少し面倒なことになるというのに。

 

 しばらくすると、理由もなく、月を正面にして、大きな通りを走っている自分がいた。

 どのあたりなら落ち着いてみられるだろうか、と、だんだん目的意識を持つようになった頭で考え始める。

 

 月を見る、というのは、シンプルなようであってこれがなかなか難しい。

 まず、人の多いところはよろしくない。そして、生きた人工物に溢れている場所も避けなければならない。月のたたずまいは、人間の賑やかさを押しのける力を持っていないからだ。月の光だけが延びていけるような、広く、静かな空間こそ、月見には相応しい。

 そうなると、こうした中途半端な地方都市では、よい月見ということが案外難しい。住んでいる場所は人工物でかためられているし、街々の間には、あまりにも立派な道路にかまびすしく車が行き交っている。そう考えてみると、かえって、昼間人口の絶えた夜の東京などのほうが月見には相応しいのかもしれない、などと思ったりもする。

 とりあえず、鬼怒川沿いまで車を走らせることにした。

 大学への通学路だし、道は広くて大きいから、私でも迷うことはない。ただ、月見によさそうな雰囲気になるまでに、わりと距離を走ることになる。目の前にいたはずの月は、今度は右、次は左と、見切れるたびに違うほうから顔を覗かせる。なかなか落ち着いて対面することができない。

 少し細い道に入る。とは言っても工業団地近くという事情から、いつもそれなりの交通量がある。潰れてるとばかり思っていたラーメン屋に、駐車場一杯の客が来ていた。「カサブランカ」と書かれたラブホの看板は、昼間同様トラックの煤にまみれながら、単なる義務感で白く輝いている。名前倒れもいいところだな。くだらないことを思いついているうちに、いつの間にか看板は見えなくなっていた。

 飛山城、という、旧い山城の跡がある。鎌倉時代頃のものらしいが、保存を頑張っているのか、以前来たときに思いがけず満足した覚えがある。あのあたりならどうだろう。細い道をさらに細い道へと折れ、狭い坂道を標識にしたがって登っていく。660ccのエンジンが、息切れ寸前に唸っている。

 城跡の駐車場はすでに閉まっていた。予想していたとおりだったが、他に誰が来るとも思えない。最低限邪魔にならないよう、入り口のところに横付けにして停めさせてもらう。

 少し小さくなった月が、畑を照らしながら輝いている。遺構は月と相対しながら、底抜けに暗く静まりかえっている。あの闇の中に足を踏み入れる気にはならないので、城跡を背中に、畑と月をしばらく眺めていた。

 春が来ているようで、夜はまだまだ上着が手放せない。


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