女性枠は"悪"ではない。
新元号が決まった。
「令和」。新元号なのになかなかしっくりくる。
新元号決定前に、有識者懇談会で意見を聞いたらしい。
そこで唯一9人全員が賛成したのが「令和」だったそうだ。(出典:産経新聞 2019年4月3日)
この「有識者」のメンバーに関して、こんなツイートが今話題となっている。
70,000件を超えるいいねがつけられており、この問題の関心の高さが感じられる。
これらの意見における前提は、
「他の人は能力を評価されているのに、女性だけ性別によって評価されているのはおかしい。女性の能力をもっと正しく評価すべき」
ということだろう。
今回のケースに関しては私は彼らの意見に賛成する。
林真理子さんも宮崎緑さんも能力のある方であり「女性だから」有識者に選ばれたわけではないと思うからだ。
ただ、私は女性枠が全て間違っているかのような意見には賛成できない。
なぜなら「女性枠」には固定観念を壊す効果もあるからだ。
「女性だから◯◯できない」という観念に縛られる世の中で、あえて女性枠を作り、あえて「女性も◯◯できる」というアイディアを提示する。
そうすることで「女性だから◯◯できない」という固定観念を破壊し、より自由な世の中を作る。
文系に女性は多い。それは女性が自分からした選択だろうか?
「理系には男子が多い」という状況からしてしまった選択ではないだろうか?
国会議員に女性は少ない。それは女性が自分からした選択だろうか?
「国会議員は男性が多いから女性はなれない」という状況からしてしまった選択ではないだろうか?
女性枠は「アファーマティブ・アクション」の一つである。
アファーマティブ・アクションとは、黒人、民族、女性など歴史的&構造的に差別されてきた集団に対し、雇用、教育などを保証するアメリカの特別優遇政策のことだ。
自分たちの力では能力を得る機会すら与えられない人たちに、わざと特別枠を設け能力を得る機会を与えることで、構造的な差別を解消する。
女性枠も悪いことばかりではないのである。
だからやみくもに女性枠を批判するのは違うと思う。
アファーマティブ・アクションはずっと存続することを目指しているわけではない。
いつか差別が解消されてアファーマティブ・アクションが必要なくなる世界を目指している。
今回のケースのように、能力を正しく評価できない場合も存在するので、適用は慎重にしなくてはならないが、女性枠全てを悪と考えるのは早急すぎるだろう。