連載「若し人のグルファ」武村賢親36
「なんでそういちいち俺の身体に触りたがる」
「人肌恋しいの。最近ね。あの子じゃ私を満足させてくれないから」
小糸の瞳に黒いものが過った。
そうか、俺がふたりの関係を知っているということも、お前は知っているんだな。
「あの子、手足の先は温かいのに、身体はとっても冷たいから」
覚悟はしていたが、小糸が語ると、マティファのそれとは比べ物にならないくらい官能的な部分にまで話が及ぶ。耳の形や脇下の湿度、乳首を食む口唇の力加減まで、ぎょっとするほど赤裸々に情事の一部始終を語ろうとするので、思わず待ったと手のひらを向ける。
「わかった。降参だ。お前らの関係についてはもうわかったよ」
「あらそう。残念ね」
こいつはいったいどういうつもりで妹との情事を曝露しようとしているのだろう。頭の中が想像できないどころか、正気を疑うほどだ。水煙草と称しているだけで本当は危ない薬でもやっているのではないだろうか。
「それなら今度は、あなたの話をして」
そんなことを言った小糸は、ゆっくりと俺のうしろにまわり込み、緩慢な動作で重心を預けてきた。やわらかい感触が押しつけられて耳たぶに熱い息がかかる。
「俺の話?」
「そう。あなたの」
冷たい手のひらが鎖骨から胸へとすべってくる。体温を奪おうと言うのか、伸びた腕は俺の胸の前で緩く交差し、指先はぴたりと鳩尾の上で止まった。
俺の話が聞きたいだなんて、いったいどういうつもりだろう。これまでのつき合いで小糸が俺に関心を寄せてくるなんてことはあの四畳半の夜以降ない。だから俺も小糸のプライベートを詮索するような話題には触れずにきた。昨日のマティファとの話の中で思い至った小糸に関する俺の無知も、お互い相手の深奥には踏み込まないという不文律が密かに息をしていたためだ。
黙り込んだ俺をからかうように、小糸は耳元で舌なめずりをした。
そして秘密を呟くように問いかけてくる。
「ユウちゃんとは、いつから一緒に住んでいるの」
耳を疑った。ユウと言ったか。どうして小糸がその名前を知って――。
首だけをまわして勢いよく振り返ると、巻きついた腕の拘束がきつくなり、口から飛び出そうとしていた言葉は噛みつくような小糸の接吻によって舌と歯の間に閉じ込められた。
咄嗟に立ち上がると、小糸はひらりと身を翻して、ふふふっといたずらに笑って見せる。
口紅の輪郭がこすれて滲み、薄ら笑いの不気味さが一層際立った。
「どうしてお前が、あいつのこと知ってんだ」
丑尾のことを、俺は一度だって小糸に話したことはなかった。
「マティファか」
「いいえ。あの子は関係ないわ。直接本人から聞いたの」
小糸は事務所の隅にあるオリーブの飾り戸棚をあごで示した。
修繕に出すと言っていた戸棚は、細かな擦り傷がきれいになくなり、飾彫りの陰影もよりはっきりと浮き上がっている。そしてなにより目を引いたのは、大きな割れ目があったはずの側面に、板材とまったく同じ色の、リボン型の千切り接木がなされていることだった。
まさかと思い、小糸を見る。
リニューアルしたっていう家具屋さんがあってね、お願いしたの、そしたらその子が引き取りにきてくれて、修理の様子が見たいって言ったら工房の場所を教えてくれて、案内までしてくれたわ、すぐに仲よくなったのよ、わたしたち。
もはや小糸の声は遠く聞こえ、立ち眩みのような感覚に思わず椅子へとへたり込んだ。
「とっても面白い子だったわ。初めて見たときは女の子だと思ったけれど、話す度に男の子の印象が足されていって、不思議に思って訊ねたの。どうしてそんな男勝りに振舞うのって」
「そんなこと、訊いたのか。あいつに」
腹の底が煮え返るようだった。しかしその熱は大きく燃え上がったりはせず、ただ鳩尾のあたりでブスブスと音を立てて燻ぶっている。
自分身体が小さいっすから、威勢よくしとかないとナメられるんですよ。
丑尾は小糸の問いにそう答えたという。
「それだけならわたしもふぅんって言って終わりだったかも。けどその子が振り向いたとき、お尻のポケットが黄色い糸で縫い合わされた跡があるのに気がついて、かわいいわねって言ってあげたら、あの子、『恭介の野郎!』ですって」
小糸はくすくすと笑いながら、再び俺の背後に立った。まるで獲物のまわりを回遊する鮫のようだった。
「弟、なんですってね。あなたの」