連載「若し人のグルファ」武村賢親23

 池袋の西武百貨店にお茶菓子を買いに降りるのはこれで三回目になる。

 最初は丑尾の工房で模様替えを手伝った際に送った黒糖饅頭を買いに。次が東京旅行の中継地点として俺の部屋をのぞきに寄った両親用のチーズタルト。そして今回は、明日の昼ごろに顔を見せると連絡してきた丑尾のおやじさんに出す焼きプリンだ。すこし余分に買っておいて、留守番のおかみさんへの手土産にしてもらうことも忘れてはならない。

 エスカレーターに乗って地下へ降りる途中、聞き知った声が耳に入って鳥肌が立った。

 見ればエスカレーターの踊り場に背の高い異邦人の女と腕を組んだ小糸の姿がある。隣の女も知った顔で、たしかマティファと呼ばれていた従業員だ。

 まさかエスカレーターを逆走して逃走を図るわけにもいかず、流されるままに下りきり、待ち構えていたふたりにつかまった。まったくもって偶然の出会いだというのに罠に嵌められたような気がするのはなぜだろうか。

「奇遇ね。こんなところで会うなんて」

 小糸はいつものように唇の端を吊り上げて見せて、マティファにしているのと同じように俺の腕を絡め取った。

 ふたりの服からシーシャの甘いフレーバーが漂ってくる。いましがた通過してきた化粧品売り場とはまた違った独特な香りで、この匂いを嗅ぐとたちまち小糸の術中に引きずり込まれるような錯覚を起こすから不思議だ。

 右にマティファ、左に俺を従えた小糸は、通行の妨げになるのも厭わず売り場の通路をゆっくりと進んでいく。ショーウィンドウのギフトボックスや暑中見舞いの品などを眺めながら、抵抗しない俺をからかうようにわざと身体を寄せてきた。

「今日、店は?」

「休みにしちゃった。空調と焼き台のメンテナンスをお願いしているの。お世話になっている業者に頼んだからお礼の品でも送ろうと思って。あなたは?」

「似たようなもんだ」

 マティファは物珍しそうな顔をして左右のショーウィンドウを交互に眺めている。

 目的のブースを通りかかり、小糸を腕にぶら下げたまま焼きプリンを六つ購入する。小糸も二つ隣のブースで洋菓子の詰め合わせを買った。紙袋に入れられたそれらは自然と俺が持つことになった。

 このまま「ガラスとクルミ」まで連行されるのだろうなと憂いたのも束の間、マティファがどうしても寄りたい場所がありますと言って、俺はふたりに引っ張られるまま、地下一階から屋上庭園までつれていかれた。

 西武百貨店の屋上庭園は四季を感じられる造園としてSEGESの「都会のオアシス」に認定されているらしいが、四季を感じるだけなら屋外へ出たときのじっとりとまとわりつくような暑さだけでも充分にこと足りる。
一瞬で吹き出してきた汗を嫌ってか、さすがの小糸も組んだ腕を解いてパラソルつきのテーブルへと避難した。

 頭上から降り注ぐ強烈な熱波に怯む様子もなく、待ちきれないとばかりにマティファが足を向けた先はサボテンや観葉植物などを扱っているガーデニングショップだった。

 店先には店内に収まりきらなかったサンスベリアやウチワサボテンの他にも、それは本当に植物かと疑いたくなるような姿形をした風変わりな植物も並べられている。

 バオバブを盆栽にしたような幹ばかり太いものから、沖縄の珊瑚を連想させる網目状のものまで、形は様々だ。もはや岩にしか見えないようなものでも、その頭頂部あたりから茶褐色の蔓を伸ばしていて、その先に緑の大きな葉を茂らせていたりする。

「どうしてまた、あんな変わった植物を欲しがるんだ」

「ちょっとホームシックなのかもね。あの子の故郷ではああいう植物って珍しくないから」

 意外の感に打たれた。あくまでも従業員は従業員、どんなに長く勤めていてもプライベートには一切干渉しないという小糸が、店で働く個人の、しかもまだ勤務して一週間も経っていない新人の故郷を語るなどということは、これまでにないことだった。

 思い返せば、腕を組んで歩くにしろ、ちょっとしたわがままを聞いてやる態度にしろ、マティファに接する小糸には、他の人間には見せない親しみのようなものが感じられた。

「よっぽど気に入っているんだな。あいつのこと」

「えぇ。わたしの妹だもの」

 小糸の言葉に、中空を泳がせていた視線を戻す。またからかわれているのかと思ったが、小糸の顔にはあの誘うような薄ら笑いは浮かんでいなかった。

「あの子はね。わたしがモロッコから連れ帰ってきたの」

「連れ帰ってきたって」

 やっぱりからかわれているのだろうか。店で初めて話したときにはどことなく小糸に似ていると思ったが、どう見たって小糸とマティファでは体格も肌の色艶も違う。言葉そのままに受け入れるにしても、それは少女漫画的な女子校の、慕う先輩を後輩がお姉さまと呼ぶような関係だろうか。

 小糸は表情を崩さず、俺の次の句を待っている。試されているような居心地の悪い時間だ。

 そういえば、マティファの首元を飾るアフロビーズと小糸のマニキュアが同じような色をしていたことに、いまさらながら気づく。ピンクにすこしだけ肌色を混ぜたような、不思議な色合い。

「腹違い、とか」

 俺の言葉に、小糸はにっと微笑んだ。

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