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モニタリング(DECO*27)物語的考察

まずは初見でこの曲を聴き、MVを目にした後の簡単な感想を書く。
これはYouTubeのコメント欄に投稿したものとほぼ同一である(一部見やすさのために修正)。

それが自分の妄想や願いの投影だって本心では分かってる主人公が愛らしいなぁ。
真面目な人ほど病みやすいという。
主人公は心を病み、孤独に引きこもる日々。
愛されたい・自分を理解ってほしいという強い渇きのような苦しい欲求がある。
それらは時に、他者に自分の心を反映したようなヴェールを被せてしまう。
それでも、ありのままを見よう(モニタリング)とする強さが、この主人公にはきっとあったんだね。

YouTube, コメント

大方このような感想を抱いた。いわば、本考察の要約のようなものである。
YouTubeのコメントにはネガティブというか、物語的には異常な曲と捉えている者が多いが、私はそう捉えていない。
むしろ、明るい未来を想起させる曲であると考えている。
15000字を超える長文になるが、よければお付き合いしていただけると幸いだ。
以降は、このDECO*27の「モニタリング」について詳しく考察していく。


前提:物語的考察について+注意書き

筆者は創作を1つの物語として捉える。
キャラクターがいて、世界観があり、心の動きがある。
登場するキャラクターにはどういう過去があり、現在はどんな状態で、未来どのように進むかの示唆があれば、それを読み取りたいと考えている。
本考察でもそのように、物語を読み解くように(物語的に)考察していく。考察範囲は歌詞と映像のみを対象とする。

また、本考察は「モニタリング」(以下、本動画)を視聴した方向けに書いている。
いないとは思うが、もし未視聴者でこの記事を見進めようとする方がいるのであれば、まずは視聴していただくことを推奨する。

めっちゃ見てくる……怖い……

考察本文

イントロ~Aメロ~1・2回目のサビまで

場面はインターホンが鳴るところから始まる。
3回のノック音の後に暗闇が明けると、
千変万化でお馴染みの初音ミクが主人公の家の前にいる。
背景から、主人公の家はマンションだろう。
(アパートは2~3階建て、マンションは3階建て以上が一般的だという。外から見える建物の高さ的にマンションであると推測)

どうやら、主人公の家を初音ミクが訪ねてきているようだ。

そして、
【主人公はドアに付いたドアスコープから初音ミクを見続けている】
という形が、本動画の基本スタイルのようだ。
※ここでは主人公≠視聴者として扱う。主人公はあくまでドアスコープからミクを見ている人物だ。

今回登場する初音ミクは、初音ミク(概念)ではなく、一人の生きている人間という設定なのだろう。
学生服を着ているということは、学校に通うただの学生という設定か。
サムネや歌詞全般から、ミクがどうやらヤバイ(ヤバイ)人物であることを匂わせてはいるが……
とはいえ背景が極めて写実的(現実的)なことから、
少なくとも現実世界が舞台であることは確度の高い推測だろう。

現実世界と相違ない外の描写
学生服を着たミクが家を訪れている
かわいい

以下はボーカロイドとしての初音ミクと区別するために、本作品に登場する初音ミクのことは"ミク"と呼ぶこととする。

歌詞について見ていこう。
いきなり扇情的な歌詞で、面を喰らった人も少なくないのではないか。

ねえあたし知ってるよ きみがひとり“XX”してるの知ってるよ

イントロ

曲開始一発目の歌詞がこれである。XXはピー音として動画内に流れる。
言うまでもないが、ピー音とは基本、不適切な表現を隠すために用いられる音である。
また続く歌詞も明らかに“そういう方向”を匂わせたものである。

ビクンビクン震えてさ 声もダダ漏れなんだわ

イントロ

普通普通恥ずかしい? みんな隠しているだけ

イントロ

一人で行う行為。それを行えばビクンビクン震え、声が漏れてしまい、かつ恥ずかしいがみんな隠しているもの。
率直に言おう。
先程の「XX」とは、まず自慰行為であることを暗示させている。

録画された笑顔のミク……
この時の歌詞が「いっぱい出してね」なのも(意味深)である

ミクはどうやら、主人公がそういう恥ずかしい行為をしていることをどういうわけか知っているようだ。
続く歌詞の

言っちゃえよ バレてるんだし言っちゃえよ
効いてんの?

イントロ

からはミクの威圧的な印象を、

もう我慢しないでいっぱい出してね

Aメロ

舐めとって 飲み干したいんだってだってば

1つ目のサビ

からはミクの煽情的な感情を、

泣いてくれなきゃ 涸れてしまう

1つ目のサビ

君の“痛い”感じていたい

2つ目のサビ

からは、主人公の苦しんでいる姿を見たいというミクの加虐欲求があると読み取れる。

これらを総合すると、
ミクは主人公の家の扉越しから「ねえあたし知ってるよ」と、
誘惑や挑発、脅迫が入り混じったような感情とともに主人公に伝えている図式となっていると考えられる。
このような描写から、人によってはミクのことを悪質なストーカーと捉える者もいる。

しかし、それは本当に
本作品のミクの姿を表しているのか。


XX(ピー音)が流れた時、映像では今まで映っていたミクとは違う、
ノイズがかったミクが映し出される。
これは明らかな伏線だ。この意味は後半になると判明する。

ノイズに加え、ミクの目が黒線で隠されている
紫がかっていた背景はこの一瞬、元に戻っている

以下は、ここまで(2回目のサビまで)で私の生じた疑問とその考察を1つずつ挙げていく。

Q. 奇妙な演出の意図

DECO*27氏の作品の魅力の1つに、複雑怪奇な映像があると筆者は考えているが、本作品「モニタリング」の映像も、例にもれず奇妙な雰囲気が十分に醸成され、人を惹きつけている。
まずは外の背景である。
冒頭にも触れたが、この背景はあまりに写実的に描かれ、明らかに現実世界を意識している。
しかしながら、本映像の大半を占めている、本作品の特徴というべきものは、背景とは対照的な非現実でサイケデリックな演出である。

サイケデリック(英: psychedelic)、サイケデリア(英: psychedelia)は、LSDなどの精神展開薬(英語版)(精神拡張薬、サイケデリックス、サイケデリック・ドラッグ、幻覚剤(hallucinogen)[1])によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のグルグルと渦巻くイメージ(またはペイズリー模様)によって特徴づけられる視覚・聴覚の感覚の形容表現である。

Wikipedia
ミクの頭を中心に生まれる謎の輪
サイケデリック≒極彩色のカオス

背景は現実だが、演出は非現実でサイケデリック。
この対比構造が表すものは、いったい何だろうか。
冒頭でも述べたが、
本作品は
「主人公がミクをドアスコープで覗いている」
という形式をとっている。
とすると、このリアルな背景と非リアルな演出は、
現実世界を生きる主人公が、いま陥っている状態の暗示
だと推測する。

Q. 主人公は現在どのような状態なのか

 単刀直入に言えば、主人公は
引きこもり・うつ病・精神的に疲弊し、荒れた生活をしている状態
だと考えられる

2回目のサビまでに登場した特徴的な演出は、大きく分けて以下3つのパターンだろう。
1つ目は、半透明な細胞やミミズのようなものがうにょうにょと動いている演出。
2つ目は、色彩豊かな煙のようなものがもわもわと円環に広がる演出。
3つ目は、目の血管が浮き出ているような演出である。

1つ目の演出の話をする。
あなたは以下のような透明な細長い何かが視界に映ったことはないだろうか?

こんなやつ
≺出典:ひとみの専門店≻

案外多くの人が一度は見たことがあるのではないだろうか。
これは飛蚊症ひぶんしょうといい、視界にこのようなミミズや細胞に似たようなものが見えるという。飛蚊症になる原因の1つは網膜剝離といった目の病気にあるようだが、
別の原因としてストレスが挙げられるという
(詳しくは飛蚊症を検索)。
飛蚊症を発症する人の中で一番多いケースはストレスであることは想像に難くない。簡単に網膜剝離が起きてたまるか

つまり、
主人公はまず何かしらのストレスを抱えていることによって、演出として飛蚊症のような細胞のうにょうにょが見えるのではないかという考察である。

2つ目の演出は分かりやすい。
直感的に分かる者もいるだろうが、これは主人公は幻覚を見ているという考察である。
サイケデリックの話を思い出してほしい。
そもそもの言葉の意味として「サイケデリック」とは、違法ドラッグを使用した際に見る幻覚をモチーフにしている形容表現である。

とすると、主人公は違法ドラッグを使用してヤク漬けになっているという解釈はできるだろう。
だが私は、主人公は違法ドラッグを使用していないと考えている。
ただし、幻覚は見ている、もとい幻覚を重ねているのである。
このことは一つ目のサビ群以降の展開を読むとより分かりやすいので、理由は後述。

3つ目の演出も同様に分かりやすい。
これは目の充血を表しているのだろう。つまり、目が血走っているのである。
目の充血の原因としては、ストレス睡眠不足血圧の上昇などが挙げられるという。
このことから、主人公は荒れた生活をしていることが容易に想像できるだろう。

Q. なぜミクは主人公を訪ねるのか① ~主人公の恐怖~

本作最大の謎である。
Aメロ~2回目のサビまでの歌詞は、いわばミクの主人公に対する支配的な姿をあらわしていることは、上で考察した通りである。
故に、まず主人公目線で考えるのであれば、以下の様に考えるのが自然だろう。

主人公「ミクは自分を虐めるため、或いは苦しんでる自分の姿を見て楽しむためにここに来ているのか……?」

恐らく主人公は、ミクがなぜこちらを訪ねてくるのか分かっていない
主人公とミクの間柄は不明だが、少なくとも親でも、病んだ人を助けてくれるような職業の人でもない。

一定の間柄(友達、あるいは幼馴染など)であることは確定だろうが、それが心に不調をきたしている自分を訪れる理由にはなっていないのだ(「友達なら助けてくれる」のであれば、主人公の家の前には大勢の“友達”が駆けつけていることだろう)。

故に、主人公は恐怖を抱いている
心が病んでいると思考もネガティブになるものだ。
色々な意味で、自分が今とても人前には出れない情けない姿だから、
それをネットに投稿して笑おうとしているのではないか(ミクがスマホを向ける姿から)。
自分の恥ずかしいことをミクは知っているのではないか(ねえ、あたし知ってるよ)。
自分の弱みをミクが握っているのではないか……。

そうした主人公の不安や恐怖から、歌詞やミクの姿・目が支配的なものになっているのではないか、と考える。





……

……


なっている?(伏線)



※少し寄り道
ミクは主人公に何らかの被害を受けた被害者で、家の前にいるのは主人公に復讐しようとしているという考察がある。
私はこの考察は納得度の低いものだと考えている。

少しだけネタバレしてしまうが、もしミクが何かしら怒っていてミクに復讐されるのを恐れているのであれば、Bメロからのハート目ミクの描写に大きな疑問が生じる。
怖い目をしたミクが急に愛を向けてくるのだからあまりにもおかしい。ハニートラップのようなものだと考えられなくもないが、それにしてもどこか不自然であるというわけだ。もっとネタバレするなら復讐が怖いなら最後に扉を開けるわけがない。

Q. スマホのバイブレーションのような音の意図

よく耳を澄ましてみると、実はAメロ中にのみ、スマートフォンのバイブのような音が断続的に聞こえている。この音は何を表しているのだろうか。

ミクはスマートフォンを持っている。
また、Aメロ時の映像は主人公を晒し者にするためにスマホで録画しているように映る。
とすると、このバイブレーションはミクが発信源なのだろうと推測される。
LINEか電話かは分からない(LINEの可能性が高い)が、Aメロの歌詞や映像をもとに考えると、
その振動音をこの時の主人公は自分を責め立てているように
聞こえたのではないだろうか。
 
しかし実際に、ミクは何を伝えたかったのだろうか?
本当に主人公を追い詰めるためだったのだろうか?

見たい見たい見たい見たい見たい……×∞

普通に解釈するのならば、ミクは狂気的に主人公のことを「見たい」と言っている。理由は全くもって不明だが、とにかく主人公に執着しているように思える。
しかしここまでの考察を見てきた方ならば、別の可能性が頭に浮かぶのではないか。
つまり、ミクが主人公のことを執着しているように見えて、
実態は真逆という可能性だ
主人公自身も、ミクは何を考えているのか分からない。分からないから恐怖を抱いている。
とするならば、この「見たい」とは、
ミクの本当の心情を知りたい主人公の気持ちを表しているのではないか。

ミクの目をズームアップしていくと現れるシーン
初見では気づきにくいが、
ミクをドアスコープから見続けていることの
異常性を見せている

Aメロ冒頭歌詞やBメロ歌詞を見れば、
同時に性的対象としてミクの○○を見たいという意図も掛け合わされてる可能性もある。

Bメロから3回目のサビまで

支配的なミクと打って変わって
ここでは一方的に愛を傾けてくれるミク、
偏愛的なミクが現れるようになる。
まずは歌詞を見ていく。

ねえあたし知ってるよ きみがひとり悔しがってんの
知ってるよ

Bメロ

ミクは主人公が悔しがってることを知っているという。
主人公が引きこもりに至った経緯は、
何かに失敗したり負けてしまったからだろうか。
ただ、ここで考察できることはそれだけではない。

これまで支配的なミクが話してきたAメロと比べると、
いくらか同情的な言葉であることに違和感を覚えないだろうか。
何故なら、悔しいとは心情を表す言葉であるからだ。「XX」や「涙」は明らかに外から見えるものであるが、それと比べれば「悔しさ」は他人からは明らかに見えないものだ。
心の動きは他人からは見えないもの。

もう少し詳しく説明しよう。
人が悔しい気持ちを抱いた時、
その人には何が起きる、あるいはどんな行動を起こすだろう。

例えば、ある人は涙を流す。
残念さに打ちひしがれたり、目指していた目標を達成できないことの不甲斐なさに涙を流す。
ある人は怒り狂う。
目標達成を阻害した要因に怒る。もっと研鑽を積まなかった自分に怒る。怒りのままに暴れて、人や物にあたったりする。

他にも様々あるだろう。
だがそれらの行動や事象は全て、
悔しい気持ちのみが引き起こすものではない
要するに、人は感動する映画を見て涙を流したり、誰かに物を壊されたりしたら怒る、ということである。

筆者の言いたいことがわかるだろうか。
つまり、ミクは主人公が引きこもりに至る過去を知っており主人公の心情を想像したからこそ、「悔しがってんの知ってるよ」と語りかけている。
感動映画を見て涙を流している姿を悔しがっているとは言わない。
何か必然的に悔しいと思う出来事によって、人は悔しいと思うのだ。
して、これはAメロの支配的なミク、主人公を虐めて楽しみたいとするミクからは出てこない言葉ではないだろうか。
相手のことをよく理解して虐めている加害者なんてほとんど存在しないだろう(ヒロアカの爆豪を見ながら)

このことから、BメロのミクはどうやらAメロのミクとは中身が違うことが想像できる。
決定的なのがその直後の歌詞、そして映像である。

ズキュンズキュン高まるじゃん きみを推すことをやめない

Bメロ
君が好きすぎて胸が苦しいと
さも言いたげな姿である
頬も赤く染めているが、
まるでクレヨンで雑に付け足したよう……

先程とは一転。
ミクは主人公に多大な好意を寄せている(ように見える)。
いつの間にかミクの主人公への推し活が始まっていたようだ。
映像も苦しそうにおさえている胸から色とりどりのハートが溢れ、
露骨すぎる好意の見せようである。

ねえあたし 知ってるよ
きみはできる子 知ってるよ

Bメロ

やはり、主人公は何かを成し遂げられず、それによって塞ぎ込んでしまったのだろう。あるいは最初からずっと踏み出せないでいるのかもしれない。
それにしても、このBメロは主人公にとってひどく心地の良い言葉が並べられている。
主人公の現状を考えるに、主人公が今欲している言葉を的確に投げかけているように見える。
見る人によっては都合が良すぎると思うくらいに。

つらい時は弱いくらいで丁度いい あたしそれでも好きだよ

Bメロ

「好きだよ」という言葉がトリガーになったかのように、この時点では未だ怖い目だったミクの目が、ハート目に切り替わる。
もはやメロメロのようだが、色合いは変わらず健康に悪そうな極彩色。むしろAメロに比べて悪化しているような印象さえ受ける。

うーん、病的
顔面も真っ赤である

名前を呼んでよ いつだって会いに参上
きみはひとりだ だから歌う「ひとりじゃない」
ソロプレイはお仕舞なんだってば

3回目のサビ

また、名前を呼べばいつだって会いにきてくれるようだ。チェンソーマン?
引きこもり、立ち上がれず、孤独に蝕まれている主人公に寄り添ってくれて、一緒にいてくれるという。
こんなミクが引きこもりのいる家に1人いれば、引きこもり(社会問題)は解決する……かもしれない。

さて、以上を総合する。
曲と映像がAメロ地点からBメロ地点、そしてサビに移るとともに、
ミクも
支配的なミクから
偏愛的なミクに変身したようだ。

さすがに変貌しすぎである

これでは二重人格を疑われても仕方のないほどの変わりようだ。
しかし筆者はこの変貌はミクの二重人格の発露でも、実はミクが変身したわけでもないと考えている。
むしろどちらかと言えば、
変わったのは主人公のほうなのである。

以下、Bメロから3回目のサビまでに生じた疑問とその考察

Q.ミクの変貌の真相

Bメロに移行してから、なぜミクはここまで劇的に変化したのか。
その答えを語弊を恐れずに言うのであれば、
それはAメロで登場した支配的なミクと、
Bメロで登場した偏愛的なミク
どちらも、主人公の作り出した幻覚であるからだ。
「幻覚」と言うと、ミクそのものが主人公の作り出した虚構なのか、と考える人がいるかもしれないが、そうではない。
正しく言えば、この支配ミクと偏愛ミクは、
主人公の心が作り上げた偽りのミク
であるということだ。

これが、ここまでミクが変貌した理由である。
つまり、
Aメロ時に主人公が抱いていたミクへの印象が
Bメロ時には大きく変わったことで、
同時にミクが支配ミクから偏愛ミクに変わったという考察である。

ではなぜ主人公は幻覚を見てしまうのか?
その幻覚で目に映るミクの姿が変わってしまうのか?
そもそもミクそのものが幻覚なのか?
その理由を以下に考察する。

Q. 主人公の幻覚とミクの姿が変わる理由

人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる

リーガル・ハイ, 第2部第9話, 古美門研介

人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる。
ドラマの名言ではあるが、馬鹿にできない言葉のように思える。
人は不快なことは避けたいものだ。
しかし、そんな不快な出来事に直面せざるを得ないとき、人は自分の都合の良いように物事を認識してしまう。
しっかり意識していなければ、都合良く認識していることにすら気づかないだろう。
そしてその都合良く認識する「物事」の中には
特定の人間を対象とする場合もあるのではないか。

Aメロの時点で、主人公がありのままのミクを見ていない(幻覚を見ている)伏線は確かにあった。
そう、サイケデリックな演出そのものである。
もし忘れていれば、冒頭に引用したサイケデリックの意味をもう一度確認してほしい。
簡単に言えば、サイケデリックとはドラッグの見せる幻覚をモチーフとしているのである。

また、先ほど「しっかり意識しなければ都合良く認識していることにすら気づかない」と述べた。
そして主人公は、現在精神が弱っている状態である。

つまり、
主人公が実際にドラッグを使用したかしてないかに関わらず、自身の都合の良いようにミクに幻覚を重ねてしまっている
と言えるのである。

→Aメロの支配的なミクの正体

主人公の都合の良いようにミクを認識するのであれば、Aメロであのような支配的なミクが映るのはおかしくないか、最初から偏愛ミクが出てくるべきではないか、主人公はドMなのかと言う者もいるかもしれない。
しかし、別におかしいことはなく、(おそらく)主人公がドMなわけでもない。
むしろ、都合の良いようにミクを認識したからこそ、あのようなミクが生まれたのだ。

つまりはこうだ。
主人公は、ミクが来てくれる理由(動機)が本当に分からないために、
その時点で主人公が一番納得できるミクが、支配的なミクだった

ということである。

常識的に考えれば、ミクは主人公の身を心配して来てくれたのだろうという推測は、すぐに思いつく。もしかすると主人公自身も、そのような推測は出来ていたかもしれない。
しかし、それでは理由が不完全なのである。

考えてみれば当然だ。
あなたと同じクラスに、最近引きこもってしまったクラスメイトがいたとする。特別親交が深い友達でもない、ただのクラスメイトだ。
あなたはその子の家まで行って心配の言葉をかけるだろうか?
否である。

……言い切って申し訳ない。
もしかすると慈愛の心を持った者や、クラスの委員長としての責任感で、そこまで仲良くない人の家を訪ねるケースはあるのかもしれない。
しかし、基本はそんな人はいないのである。例え責任感を持ったクラスの委員長でも、そこまでする者はいるだろうか? いや、いない(反語)

つまり、それ相応の強い動機がなければ、引きこもった者の家を訪れるなんて行為はしないはず、ということだ。

主人公とミクとの間柄は不明である。
客観的には、ミクが主人公を訪れる確かな動機があるのだろう。
ミクは住所を知っており、主人公の連絡先も知っているのだから、ミクの中には確かな動機があるに違いない
しかし、主人公にはその動機が“視えない”。引きこもり、涙を流しているような者なら、尚更視えないだろう。主人公が現在正常な思考ができない状態であることは、簡単に予想できるからだ。

故に、主人公は恐怖を抱く。
なぜこんな自分を気にかけてくれるのか、分からないからだ。

分からないというのは怖い。
分からないというのは人類に普遍的なストレスなのである。

なぜ人類という私たちが生まれたのかは、神が作ったということにしたり
疫病は誰かの祟りとみなしたり。
現代においても、よく分からないものにレッテルを貼り叩くような行為はSNSで随所に見られる。

昔から人間は、分からないものを分からないままにしておくことが難しい生き物だ。

となると、ミクが来る理由の分からない弱った主人公にとって、一番答えとして納得のいく理由が、「主人公を虐めたいから・苦しむ姿を見たいから」と主人公が考えつくのは不自然ではないだろう。
そうすれば、わざわざ主人公の家の前まで来ることの動機になる(と納得できる)。
そして一回そのように考えてしまえば、ミクの一挙手一投足が主人公を虐めるための行為と、主人公は都合良く結びつけてしまう。

その結果、
主人公の視界には支配的なミクが作り出されてしまったのである。

スマホで主人公を録画している・しようとしているように見えるが……
実際はこのような姿だったのかもしれない
表情も対比的だ
主人公の恐怖心がミクを恐ろしく見せていたのだろう

→Bメロの偏愛的なミクの正体

では、主人公のどのような心の変化が、偏愛的なミクを生み出したのだろうか。
より主人公の立場で考えてみると、見えてくるものがある。

まず前提として――これは確定的と言ってよいことだが――ミクが主人公の家を訪れたのは少なくとも一度ではない
この先の映像で映るミクのためネタバレ画像ではあるが、本作品中にたった一回だけ、ミクが主人公宅の玄関前から帰る描写がある。
あなたは見つけることができただろうか。

左手にビニール袋らしき物を持っている

何回ミクは主人公の家に行き、開かないドアの前に声をかけ、帰っていったのだろうか。
最初はミクに対し恐怖感情もあった主人公だが、何度も訪れるミクに次第に思考を変えていく。それは


「ミク、もしかして俺のこと好きなんじゃ……?」

というやつである。


冒頭でも述べたが、ミクは学校に通うただの学生であるだろう。
そうすると、主人公も学生であると考えるのは不自然な解釈ではないはずだ。
中学生から高校生の間は特に思春期の真っただ中と考えれば、
ミクの「行為」を「好意」と勘違いしやすいことは理解できることだろう。
さらに人は弱っている自分に寄り添ってくれる人には惚れやすいものである。
俺のことが好きだから、こんなに構ってくれる心配してくれる。交流を図ってくれる。
そうなるとこれまた自分の想像の通りに、ミクを捉えてしまう。
さらに悪いことに、ミクはおそらく主人公に対して「好きだよ」と言っている。

つらい時は弱いくらいで丁度いい あたしそれでも好きだよ

Bメロ

歌詞にあるように、実際の意図は「あなたを見捨てない」とか「君はひとりじゃない」とかそういう意味で、
好き自体の意味も love ではなく like の可能性が極めて高い。
それでも弱った思春期男子に「好きだよ」は、致命の一撃になるのだ。
同じことを少し前に述べたが、
実際にこの「好きだよ」直後からミクのハート目が解禁される。

再掲:真っ赤なお顔のミク
サイケデリックも増し増し=幻覚も増し増し
分かりにくいが、ここでもしっかりハート目である

全体的に映像も赤みがかり、主人公が興奮状態にあることが示唆されている。演出主人公の心の状態に左右されていることは、もはや疑いないと言えるだろう。
また主人公は絶賛孤独に引きこもり中である。
愛されたいという欲求は喉の渇きのように、人並み以上に膨れ上がっているに違いない。

主人公の盛大な勘違いと渇愛が、
主人公の視界に偏愛的なミクを作り出してしまったのである

Q. 本当のミクはどこに?

AメロBメロで登場したミクが主人公が作り出したミクであるのなら、
本当のミクは一体どこにいるのか。
そもそもミク自体が主人公の幻覚の産物なのか。

その答えのヒントはこれまでに3度だけ示されている。
1つ目のヒントは、既に冒頭に貼ったXXと共に映る画像である。

再掲:ノイズ黒線ミク

この画像と似たような情景が、3回目のサビまでにあと2回提示されている。
それが

ノイズミク2
ノイズミク3

これら3枚の共通点はなんだろうか。
見て分かる通りであるが、以下の2つである。

  1. 背景の色合いが通常に戻り、うるさい演出がほとんどない

  2. ミクにノイズがかかっている

まず「1.背景の色合いが通常に戻り、うるさい演出がほとんどない」の意味するところは、
主人公の心を投影していない、ありのままのミクがいるのではないか
ということだ。
演出は主人公の心に左右されると先ほど述べた。
その演出が少なく、これまで色味がかっていた背景が元に戻っている。
という事は、
主人公が見ているありのままの光景であることを表していると考察できる。
またノイズミク③の目が、ハイライトありの黒目というこれまでになかった普通の目であることが、この考察の妥当性を支持している。
ミクそのものは、主人公の幻覚ではない可能性の方が高いと言えるだろう。

では、これらハイライトあり黒目ミク、いわゆる普通ミクにノイズがかかっているのはどういう意味だろうか。
確かにこのシーンのみで考えれば、ミクが主人公の幻覚という可能性も捨てきれないだろう。
しかしこの後の展開も合わせて考えれば、その可能性は限りなく低くなると考えている。
ミクにかかるノイズの意味は終盤に考察する。

Q. なぜミクは主人公を訪ねるのか② ~主人公の渇愛~

初見の人がBメロから2回目のサビまでの映像を見れば
「ミクは主人公が最推しで、胸が苦しくなるほど会いたいから訪れている」
「ミクは主人公に対して重度のストーカーである」
と捉える人も少なくないだろう。
しかし、ここまでの考察を踏まえてきているならば、もはやそのように考える人はいないだろう。
Q. なぜミクは主人公を訪れるのか①で「主人公の不安や恐怖から、歌詞やミクの姿・目が支配的なものになっている」と書いたのは、主人公がミクの姿を捻じ曲げて見ていたことを暗に表すために上のように記した。
この書き方の通りに、この偏愛的なミクについて述べるのであれば、
「主人公の勘違い渇愛から、歌詞やミクの姿・目が偏愛的になっている」と書けるだろう。

では結局、ミクはなぜ主人公の元を訪れるのか。
答えは既に分かっているようなものだが、その答えはQ.③にて記す。

Cメロ

背景は赤みがかり、ミクは花嫁のような姿になっている。
歌詞は以下の通りである。

きみが病めるときも あたし側にいるわ
いつも見守っているわ そうよ 怖くないのよ

Cメロ

歌詞は結婚式における口上のようなものを匂わせている。
まさに愛を求める主人公のための理想的で完璧なミクの姿だろう。
しかしミクの持つ花束は粗末な手描きで描かれたもので、
映像の歌詞はまるで付箋のごとく、ペタペタと貼られるように現れる。
これは花嫁姿は主人公が着せた虚構で、言葉は主人公の望むように作られたものであることを暗示しているのと考えられる。

そんな絶頂から目が覚めるように静かなサビに入る。

4回目のサビ(落ちサビ)

これまで3回(それも一瞬)しか映らなかった、主人公の心を反映していないありのままの光景が、ここでなんと10秒以上映し出されることになる。
この2:11~2:23秒の映像は、特に示唆的である。

主人公の視界は何かを探すように動きまくる。
何を探しているかと言えば、当然ミクだろう。
そうして視界を動かせば、そこには支配ミクでも偏愛ミクでもない、普通ミクがいる。
しかし主人公が普通ミクを中心に捉えた瞬間、ミクは忽然と消えてしまう。
主人公はもう一度ミクを探すために視界を動かし、また普通ミクを捉えるが再度視界から消えてしまう――というのを3回ほど繰り返す。

注目すべきは一瞬映る普通ミクの姿だろう。

再掲:帰るミク
うつむくミク
下向くミク
座るミク

やはりと言うべきか、支配ミクの煽るような雰囲気も偏愛ミクの媚びるような雰囲気も、普通ミクには一切ない
曇りなき眼で見るミクは、本当は憂いている顔・姿をしているのである。
ある意味視聴者にしっかりと、本当のミクはいるよと伝えている一幕だろう。
そして主人公も気づいたのである。
自分の心、防衛機制や欲求不満ミクを捻じ曲げてモニタリングしていたことに。

サビの歌詞はAメロの時とほとんど変わっていない。変わっていないのに、ここまでの考察や普通ミクの姿を見ると、歌詞の意味合いも変わってくるように聞こえるのである。

そして曲、映像、そしてそこに秘められた物語は、
最後のサビの始まりと共にクライマックスに突入する。

最後のサビ

登場した全てのミクが入り乱れるシーン。
それはまるで、自分自身が作り出した幻覚をどうにか取り払おうと、懸命にもがいているように見える。
主人公の心が最も動いているシーンだろう。

ここではほとんど現れなかった普通ミクの姿が、随所に描写されるようになる(2:23秒以降)。
そして何より、支配ミクや偏愛ミクにノイズがかかるようになるのだ。

君の”痛い”
感じていたい
覗いていたい
ついにこちらを覗くハート目ミクにノイズが走る
目も溶けているように見える

対してノイズがかっていた普通ミク徐々にノイズが取れていく

初出しミク画像 少しだけひずんでいる
次登場時に顔が大きく崩れるが
遂に顔のノイズが取れ(この後ひずむが)
サイケ色の歌詞も減り
最後にはありのままのミクのご尊顔が映し出される
なんの演出のない覗き込むミクの顔は、終盤のただ一回だけ映る

ラストメロディ

支配ミク・偏愛ミク・普通ミクがより入り乱れる。
かつて支配ミクと偏愛ミクが大半の時間映っていたが、終わりに向かうにつれて普通ミクの姿を映すものが多くなっていく。
ここで最後の歌詞を見てみよう。

ねえあたし知ってるよ きみがひとり“涙”してるの知ってるよ
グスングスン凹んでさ 弱音ヒトカラ in the night
朝が来るまで一緒コース もっと泣いたって
何度だって受け止めてあげる
もう我慢しないで出してってば

さあ

最後のメロディ

こちらの歌詞もこれまでのAメロとほとんど変わっていない。
しかし冒頭でAメロを聞いた時の印象と、最後のAメロを聞いた印象はもはや180°変わっていると言っても過言ではないだろう。
何故なら、そこに映るミクが大きく変わっているからである。

冒頭のAメロは支配ミクが歌っているように聞こえることで、その歌詞もとてもサディスティックに映る。「涙流してグスングスン凹んでる情けない姿を知っている」と嗤っているように見える。

再掲:Aメロ時のミク

しかし最後のAメロ時点の映像は、普通ミクが優勢となっている。そのため歌詞も、主人公に寄り添ってくれるミクの優しさを帯びたように見えないだろうか。

君が涙を流していることを知っている→君は一人じゃない。
もっと(君が)泣いたって
何度だって(悲しみを)受け止めてあげる。
もう我慢しないで≒一人で抱え込まないで
その痛みを、涙を、出してってば

再掲:ラストのミク
ドアスコープのふちには優しい虹がかかっている

ほぼ全く同じ歌詞なのに、映像や演出を用いれば、ここまで受け取れる印象を変えることができるという。
まさにDECO*27氏の神業である。

最後に主人公は固く閉ざしていた扉を開け、ついにミクと対面したところで、本作品は終了する。

以下、最後に残った疑問とその考察である。

Q. 度々ミクに重なるノイズ

作品の中で度々ミクにノイズがかかっていた。
特に前半は普通ミクにノイズがかかっていたが、終盤になると支配ミクや偏愛ミクにノイズがかかるようになる。
これは、主人公の心の中で見たくないと思ったものに、ノイズがかかるのではないかと考察している。

最初はありのままを直視できず、無意識的にか、普通ミクをノイズで隠す。
支配ミクの時は恐怖で、偏愛ミクの時は矛盾を隠すため。
しかし、Cメロ直後のサビで主人公自身の客観視を経て、主人公は幻覚を取り払うことを決意する。
己の心の恐れや欲に立ち向かうことは並大抵のことじゃないことは、他の物語でも、なんなら実生活でも分かることだろう。
次のサビで普通ミクが何度も現れ始めるとはいえ、最初は普通ミクにノイズがかかっていた。しかし次第に普通ミクが鮮明に見え始め、さらに偽物ミクにノイズがかかるようになっていく。
そして最後には扉を開けることができた。

このような流れから、ノイズは主人公の見たくないものを表す象徴として描かれているのではないかと考察する。

Q. なぜミクは主人公を訪ねるのか③ ~ミクの正体~

結局のところ、ミクはストーカーでもヤバイ奴でもなんでもなく、主人公を気にかけるただの学生だった。
ミクは引きこもってしまった主人公を心配して、家を訪れていただけということだ。

だけ、とは言ったが、これも誰でもできる事じゃない。
行動自体は誰でもできるだろう。しかし、しようとしない。
Can'tではなくDon'tということだ。

しかしミクは行動を起こした。何度も主人公宅を訪れ、会話を試みた。
その本当の動機は私たちが空想するしかないが、もしかすると歌詞に幾度と登場する「愛の才能」とはミクの「友愛の才能」を表していたのかもしれない。

慰めさせてシェイクシェイク 愛の才能で

1・4回目のサビ

それまでこの歌詞は、ミク(支配ミク・偏愛ミク)が主人公を「慰めさせて」(意味深)と言っているように聞こえた。この場合の愛の才能とは無論、「性愛の才能」だろう。
しかし本当は、主人公がミクに慰めてほしいという願望を表したものだったのかもしれない。それも別に性的な意味ではなく(あったかもしれないが)、文字通りの意味で慰めてほしかったのだろう。
大きすぎる心の痛みや悲しみは、自分だけで消化することが難しい人もいる。それはなにも珍しくない。そんな人は、言葉として吐き出したり、人に吸い取ってもらわなければ、救われないのだ。

人の手を借りなければ立ち直れないなんて情けない、
自分で立ち上がれないなんて恥ずかしいことだと言う人もいるだろう。
しかしそれが普通なのだ

普通普通恥ずかしい? みんな隠しているだけ

イントロ

人は1人で生きていけるように出来ていない。
1人で自立することが求められるこの時代でも、みんな隠しているだけで、つらい時、苦しい時であっても、誰かの手を借りて生きているものだ。
ミクはその事が分かっていたからこそ、主人公に手を差し伸べ続けたのかもしれない。

Q. 主人公が扉を開けた意味

硬いドアの先にいるミクをドアスコープから見続け、
絶対安全圏からモニタリングしてきた主人公。
しかし遂に、自ら安全圏を壊し、閉ざしていたドアを開け、
主人公はミクと本当の意味で対面する。

それは恐怖や妄執からの決別。ありのままの現実に向き合う勇気。
そして、これまで一方的だったミクからの愛に報いるために、主人公は扉を開けたのだろう。

主人公とミクはこれから何を話し、主人公はどのような道を歩むのか。
希望を示すさわやかなラストであったと、筆者は確信している。

画像では分からないが、動画をよく見るとミクの目がうるうるとしている
(目の中の光が拡大と縮小を繰り返している)
ミクの中で様々な感情が巻き起こっていると推測できる

本作品を振り返って

素晴らしい作品だった。
DECO*27氏の作品では物語的にバッドエンドな結末を迎えるものも多いのだが、今回はハッピーエンド(主人公にとってはスタート)の作品で、こんなに後味爽やかなのは正直言って珍しいと思う(全ての作品を鑑賞したわけではないが)。
サムネの強い吸引力に抗えず本作品を視聴したが、出会えて良かったと思う。
ただし、コメント欄では結構バッドエンド的な考察や極端な考察が目立ち、この爽やかさを感じられないのは勿体ないなと思ったために、
拙いながら己に湧き上がる衝動のままに執筆した。

本作品の物語は、引きこもりの主人公がミクの愛で一歩踏み出す物語と言えるだろう。
映像は、主人公の目に映るミクや世界を描写し
歌詞は、主人公の思いと都合よく改竄されたミクの言葉が合成されたものだと推測している。

誤解のないように言うと、歌詞に出てくる言葉は(やや言い回しが改竄されているのもあるだろうが)実際に主人公がミクからもらった言葉だと考えている。
言葉自体は変わらなくても、感じ取れる意味が変わることはよくある事だ。
「好きだよ」はまさに最たる例だろう。
また動画の概要欄にも記されている「ねえあたし知ってるよ」なども例に挙げられる。
問題は、その意味を正しく読み取ることができるかという事だ。

私たちは、物事を都合の良いように、捻じ曲げて見てしまうことがある。
その事を客観視できれば、間違ってしまう前にそんな色眼鏡を外すことができるのかもしれない。



拙文ながら最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
感想やいいね頂けると嬉しいです。

追記:ミクの眼帯の考察
主人公は映像の演出から飛蚊症を患っていると考察にて話した。
飛蚊症を引き起こす原因は網膜剥離やストレスが原因だとも。

ちなみに網膜剥離だった場合、治療後は一定期間眼帯をつけて生活することになる。
ミクの眼帯の理由を網膜剥離と仮定するのであれば、ミクも同じく飛蚊症を患っていた可能性がある。
主人公とミクは同じ病・痛みを共有できる関係性ということを暗示しているのかもしれない。


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