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第44回数理の翼夏季セミナーあとがき

はじめに


忘れないうちに備忘録を書こうと思いました、という頭痛が痛い的なことを言って始めます。Rinです。垢はRIT名乗ってますが、RITと書いてもRINと書いても「リン」と読むのがこりゃまた一興ですね。フフッ。

岩手県近郊で行われた数理の翼夏季セミナーに招待アンド参加させていただきましたので、皆に倣って私もノートに残そうと思います。拙い文章で、とっても長いですが、44の人は回想しながら、その他の方は想像しながら、気軽に、ぜひ最後までお付き合いください。
なお、講義内容・場所などに関しては規則上お話しできませんのでご了承ください。

0日目

8月3日、ワクワクしながら松山から羽田、町田へ。
直後、毎休み会っている親友とお遊びして、就寝。
思い出は、残せるときに残すべき。

1日目

始発で最寄りから新宿、東京へ。
人生二回目の東北新幹線。速い。乗車中ずっとパソコンいじっていたが、リクライニング倒しすぎてたことに終始気づかなかった私は、終点盛岡まで一緒だった後ろのおにいさんに下車後舌打ちされる。(この場を借りてお詫び申し上げます。)

一ノ関ではやぶさがはやぶさの通過待ちをしたのは少々癪に障ったものだが、まぁそこらの中途半端なテーマパークよりは数倍スリリングな「新幹線通過」を体験できたのだからよしとしよう。

(↓新幹線通過動画。マジ怖い。)


さて、cipherは私が先着だったと言っているが、実は同じ新幹線に乗っていたのである。
意外とあっという間に盛岡に到着。
鉄オタのワイは、着くなり、鼻息荒くしてはやぶさとこまちの分割を見に行くわけである。
満足した私は、そういえばcipherとかいうやつがいたことを思い出し、人生で一番勇気を振り絞って、以下のようにDMした。

エスカレータを上がってくる「数学部」というTシャツを着た不審な男を発見したため、すぐさま声をかけた。やはり彼がcipherだった。

盛岡で食べた冷麺はおいしかった。盛岡冷麺とはよく言ったものだ。お隣にいたご夫婦が食べきれなくなってしまった牛タンをいただいたのもよく記憶に残っている。(またいつか会えますように。)

時刻は正午前。まだ集合まで時間があるからということで、酷暑の中、近く(要出典)のROUND1に向かった。maimaiを1年ぶりにしたり、湾岸で首都高60kmをぶっとばしたりした。

そうこうしているうちに集合時間がやってきて、盛岡駅のコンコースへと戻る。早速いろんなメンバーと出会う。意外と高3が多くて安堵したものだ。
高専のMとはここで出会った。

なにやら癖の強そうな(いい意味で)スタッフの方々に連れられて、何気なく貸切バスに乗った。
他の奴らも言及している通り、道中「無限」という単語に過剰反応する皆を見て、大変なところに来てしまったと感じたのは、今だから言える話である。

隣の生物の教科書ぶっこわす(概念)ニキと話していたら、目的地に着いた。
バスの中で、多数交流したおかげか、そこそこみんな打ち解けていたのが意外であった。
アイスブレイク。特級呪物を作った。あの時、あの場所で初めて開いたノートに初めて書いたものは「たつ」だった。
後日、予備校で名の無いノートを惰性で開いたら、そこには「たつ」がいて、少ししんみりした。

部屋に戻って、横には林檎ちゃがいた。彼もこの日までは敬語を使ってくれたのである。

ごはん。おいしかった。特記事項は、水風味の温野菜(または逆)である。(以下、ごはんに関する言及は以下同文のため、省略。)

初夜ゼミ。初日は、聞く側に回った。
スタッフのテスト勉強をひたすら聞くというなんとも面白い時間だった。
ちなみに、そこで初めて「ベンゼンがかわいい」という感情が生まれた。

初日は始発から動いていたのか疲れもあり、林檎ちゃ曰く一番初めに寝てたらしい。

2日目

最悪の目覚めだった。3時7分に、他の部屋から「iPhoneのアラーム音で一番うるさいアレ」がなった。起きた。すぐ消えたので、寝た。
5時にス〇ホのアラームが鳴った。ごめん。寝た。
5時5分に、3時のやつとおなじやつが今度は5分間も鳴った。消えた後、また寝た。
6時半、班長に起こされる。

御覧の通り3度寝4度起きした。七転八倒とはよくいったもので、達磨も驚いているに違いない。

意識がもうろうとしているなか、朝のつどいに向かった。意外と外は涼しかった。
スピーチを自ら名乗り出て、場をつないだわけだが、確か目が覚める方法に関してしゃべった気がする。あれは実体験に基づいて帰納的に得られた独自の理論であるので、あまりあてにしてはならない。

朝食をはさみ、さっそく講義が始まった。
内容に関しては、ここで触れることができない。が、数理の翼たるレベルの講義をしていただいた。
播金先生、森先生、ありがとうございました。

続いて、参加者発表。
トップバッターはスタッフのくえくと氏。
あの奇妙かつ人々の関心を奪った運動はここで生まれたはずである。
これは44のシンボルといっても過言ではなかろう。


続いて、参加者の参加者発表である。トップバッターは私。
実況中継人間関係」と銘打って、10分ほどお話をさせていただいた。
トップバッターは自ら名乗り出たのであるが、これは「私以降の発表をやりやすくするために雰囲気づくりをした!」などではなく、単にでしゃばりな性格が露呈しただけである。

結果的には、予想以上に盛り上がって、大変安心した。
緊張しない性分ではあるものの、初対面の人の笑いのツボは未知数であるから、多少なりと不安があったのだ。

ここで、参加者発表について、総じておこうと思う。
各日続いた参加者発表は、大変すばらしい内容で、すべて興味深かった。
印象的だったのは、「ゴル姉」、「さらっと気象予報士」、「サツマイモ」、「『カレーの肉は豚か牛か』を調査した張本人は鹿肉」、「タイマーの音に舌打ち」、「素人質問で恐縮ですが・・・」、「男の子は語彙力が・・・肩に手を置いて(苦笑)・・・」etc…

すべての発表を全員が前のめりになって聞いて、100%の反応をして、時間ギリギリまで質疑応答をしまくるという積極性には、私もそれを体得せねばという気持ちにさせられた。

入浴、夕食を済ませ、夜ゼミの時間である。
ここでは、自分で夜ゼミを開講した。「How to speak」と題して、人前での話し方講座を「してくれと言われたので」やった。←ここ大事
しかし、あまりブレイクしなかったので、「生きるとは何か」から始めて、生きる上で生まれてくる感情や、他人ともめた時の対処法など、心理学や生命倫理に関係する話を即興でやった。割と人は集まった。

最後の30分間は、「災害医療と数学的アルゴリズム」という私が本来やろうとしていた内容に軽く触れた。ここで、CNT先輩ことMaoと高専のMと会う。
部屋への帰り道、彼女は、研究の話や自分たちのやろうとしていることの方向性が似ていることから夢中で話してくれたことが記憶に残っている。

消灯後、新幹線の声帯模写をやっていたらそこそこウケした。
2日目にしては高すぎる私たちの結束をふりかえりつつ、寝た。

3日目

6時半に起きた。
朝のつどいも、誰もいなければ俺がやると名乗り出て、朝のつどいに出ている善良な他団体の方に、失礼ながらも「僕らも明日、英語でスピーチしていいですか?」などと聞き、無事快諾いただいた。

その後また講義を受けた。
午前の茂呂先生の授業は私が将来目指しているものと大いに関連があったので、非常に興味深かった。
茂呂先生、不破先生、ありがとうございました。

参加者発表を経て、夜ゼミの時間である。
ここでは、MaoのやっているCNTの話を聞かせてもらった。
私にはハイレベルであったが、時折質問しながら、なんとか理解にこぎつけた。
その後、I君の物理の学習法を聞き、感銘を受けた。説得力がすごすぎた。
3日目を終え、床に就いた。

私は、理科全体を苦手とする人間のため、3日目の夜ゼミで拝聴した話はとても刺激的であった。これが書き終わった瞬間から、物化にのめりこもうと思う(遅い)

4日目

起床した。私の悪い癖で、慣れると舐めてしまうのだが、裸足で歯を磨きに行ったのをよく覚えている。以後注意して生きてゆくものとする。

朝のつどいは欠かせない。
前日に、人生で1番勇気を(以下略)聞いた英語スピーチをしようと10%ぐらい意気込んでいたら、Tさんに取られた。ウケてた。悔しかった。

最後の講義を受けた。
僭越ながら、先生はとてもお顔立ちが整っていらっしゃった。
倉持先生、ありがとうございました。

最後の昼食をはさんで、企画。
加藤先生がどの班が優勝するかと聞かれ、我々4班を挙げていただいたので、私たちは全力で企画に臨んだ。

私の人生の中で、あれほどの大作を作ったのは、人生で2度目であった。
それほど、私の人生は「工作」に触れてこなかったのである。
にしては、上出来だったのではないかと思う。

結果は優勝。さすがは数学者の先見の明であった。

入浴を済ませて、最後はみんなでわいわいパーティーだった。
明日の朝にはお別れという気持ちを忘れ、各人思い思いの時間を過ごしていた。私も、仲良くなったやつらとの写真を撮っていただいたりした。
ちなみに個人的に一番おいしいと思ったのは、大根キムチであった。

夜ゼミは、やっと話したかったことを具体的に話せた。「災害医療と数学的アルゴリズム」「生命倫理」である。
前者は人が意外にも集まってくれて、質問も投げかけたり投げかけられたりする中で、議論は熱を帯びていった。
後者に関しても、医学部で実際に生命倫理を学ぶTさんも交えながら、限りなく本質に近い話ができたと思っている。

まぁ4日目夜は、気持ちよく寝た。なにか壮大な夢を見た気がするが、きっと思い過ごしである。

5日目

最終日の朝である。確か普通に起きた。うん。

朝のつどいでは、急遽司会をした。コールアンドレスポンスを朝のつどいでこなすという高等テクニックをみせつけてやったが、気づいてくれたのはスタッフのTさんだけだった。そーたくんが、円周率100桁(なお実際は98桁だった模様)を言い切った、ことにしておこう。

最後の晩餐(朝食)を済ませ、閉会式に臨んだ。
意識が朦朧とする中、詳細は省くが、色紙を渡した。
私の班長に渡す係だった私には、不覚にも号泣してしまった。
あとで写真を見返してみると、とてつもなく口がへの字に曲がっていたことに気づいた。情けない・・・

気づけばバスに乗り、盛岡駅に着き、あっというまにお別れだった。
盛岡では冷麺食べた。あれうまかった。なぁ?
新幹線で爆睡をかまし、東京に到着し、一番最後まで一緒にいたのはMaoだった。でも脳みそ寝ててほぼ記憶がない。
セミナー中にまるで私が建てたフラグを回収する大雨や地震の影響を受け飛行機が遅れに遅れていた。が、無事に松山に帰ってきた。

「家に帰るまでが、数理の翼」である。

総括

ただの合宿日記みたいになってしまいました。果たしてここまで読んでいただいているんでしょうか!?

参加者にはそれぞれの得意だったり興味がある分野があって、それらを他人と共有しあうという化学反応が目の前で起こっていることに興奮をも覚えましたし、なによりもそこから生まれる人と人のつながりを目の当たりにできたことがなぜかとてもうれしかった。
キレイゴトをいうのはマジで嫌いですが、人と人の出会いというものはすべてです。あらかじめ決まった出会いなどどこにもありません。「出会い」というのは、ありきたりな言葉で言えば奇跡です。だからこそ、ここで得た出会いを大切にしていこうと思います。

自分は医者になろうとしているのに、必要最低限の数理学的知見がなさすぎたのをみかねた弓道部の顧問がこのセミナーの存在を教えてくれたのが、参加することになった直接的なきっかけです。
そのおかげで数理学的な知見はもちろんのこと、たくさんの友達ができました。本当にありがとうございます。

最後に、wing44のみんな、スタッフの皆さん出会ってくれて本当にありがとうございます。りんは皆さんのおかげで5日間至福のひと時を過ごせました。

そのなんだろうみんなよろしくおねがいしますこれからも。



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