何に価値をおくのか
世の中のあらゆるものに価値がある。
自分には理解できないものも、たくさん理解共感できるものも、いろいろと。
生きていく上で、生活をする上で、お金を利用して過ごしていく上で、この「価値」の所在によって、QOL(生活の質)が変わる。
10代まではシンプルだった。単純だった。ただただ夢の実現へ向けて走る。
20代は10代終わりのショックな出来事のダメージがたたり、たった18年とはいえそれまで積み上げた、培ったものが崩壊し、何がなんだかわからない状態で20歳を迎え、そこから暗黒の時を過ごした。結婚も話はあったがまとまらなかった。
30代は、結婚を望むことを放棄することを選ぼうとした矢先の意外な出会いから、突然の入籍。どこか置いてけぼりだった「家族」のことを考えて、生活をするように切り替わった。仕事も少しずつ方向性が見え、でも自分の未熟さの壁にぶつかり、なんとか突破しようと、七転八倒の日々を過ごすようになった。夫氏も自分の仕事に邁進。そのまま行けば、大きくて伝統的な会社でおもしろいことになりそうな雰囲気を醸し出していた。
そして今、今年。まさかの事態に動揺が収まらなかった夏を過ごし、社団法人の事務局のお話で戸惑いながらも受け、やっと前向きになってきたが、相変わらず、それまでになかったニュータイプの苦難が降りかかり、年の功を生かして、笑い飛ばしつつ、前向きにしっかりとやっていこうという元気がちょっとずつ沸いている。が、20代で入院したうつ病の症状がちょいちょい目の前を通過して、気持ちや動き、毎日の生活の中でムラが残っているのは確かだ。おそらく、これは一生続くだろう。
価値とは何か。
何かを見出すものなのか、もとからそこにあるものなのか、信じるものなのか。いろいろと考えることはできるが、生きていく上で、QOLを上げようと思うと、どれを優先するのか、重きをおくのか、選ぶというプロセスがあるように感じている。
QOLだけに重きをおいても、その上げ方が様々だし、人の状態や条件、環境によって同じことをやっても、上がる人と上がらない人がいるからおもしろい。
温故知新という言葉がある。
これは物事だけでなく、出会いにも言える。最近、10代の頃にファン(当時9歳から舞台ごとで活動していた)として応援してくれていた人にネット上で再会した。あの当時は、ひたすら結果主義で、できないことばかりが目についてナーバスだった自分に、他県からわざわざ本番に出向いてくれたような人物。でも、当時は素直に受け取れなかった。
移籍以降に出てきた元気と活力のようなものが、億劫になっていた自分を軽く払拭していた。そのおかげでやりとりができた。自分の「調子」というものを久々に見た気がする。見えてなかった世界が見えたような気がした。
価値とは何か。何を選ぶのか。この情報がいくらでも転がっている時代で自分はどうしたものか。羅生門でも探して考えるとするか(笑)。
久々に「外郎売り」のくだりが頭をかすめた。
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