昔「」良かった 台本のあれこれ
※今回の記事は前回の続きとなります。前回の記事を御覧頂いてからの閲覧をお勧めします。
さて、早速今回の台本を書こうと思ったきっかけなのですが、私は演劇を学べる大学に入学し、卒業しました。そして卒業後私のように続けるものもいれば、辞めていく人間もいました。勿論それぞれの進路なのでどう歩んでも良いとは思うのですが、その際に昔やっていたことが無駄だったとか黒歴史だったとかそういう風に思ってたら悲しいなと思って、あと自分がもし辞めるってなった時にその時の自分を否定したく無くてこのような内容にしようと思いました。
ここからは細かい話ですね。私が未熟ゆえ上演内容だけではわかりづらかったところもあったと思うので補足説明だと思っていただければ。
・光璃が価値なんてないと言い始めた理由
これ、なんで急に光璃がこんなこと言い出したのかわからない人いるかも知れないんですけど、まあ、価値ってものは自分じゃわかりづらいけど人からみたらすごい光って見えてたりするんだよって意味合いと、あと人生に意味も価値もないんだからなにやったってええやろがいって意味合いがあります。よく生きている意味を問う人がいますが(私含め)そんなモノないのですよ。そんなものに悩むのはスーパーマンぐらいで十分でしょう。だから好きなことをやれば良いのです。どんな生産性のないことでも。意味ないことをやるなといいますが、無駄なことをやってこその人生だと僕は思ってて、だって必要なことだけやって生きてたらつまらないでしょ?無駄があるから人生に色が生まれるのです。そしてその色を見て他人がその人のことを語るのです。あの人はこういう人だって意味とか価値とかが生まれるのかなと思ってます。その意味や価値が気に入るものじゃなくてもそれはそれでいいんですけどね。だって所詮他人の評価だし。
・1回目と2回目のお焚き上げの違い
これ稽古中も何が違うの?となって、脚本家下手だなあとなった点なのですが、1回目は要は動機が前向きでなくて2回目は過去の自分と決別して前を向こうという動機なのです。
作中優雨はどうしたって過去の自分を超えられないと思ってて、過去に囚われている状態だったのです。そして、夢を続けることがとにかく苦しい状態だったのです。一方光璃も他人が当たり前にできていることが出来なくて仕事を続けるのが苦しい状態でした。そしてとにかく抜け出したくて辞めたのですが辞めたは辞めたで地獄だったんですね。無限に続く夏休み想像してくれればわかると思います。そんな中優雨はただ苦しみから逃れるためお焚き上げしようとしました。しかも光璃が心から尊敬していた優雨の夢は全部無駄だったと苔にする方法で。だから気に食わなかった。別にやりたいことができたとかだったらこうはなっていなかったと思います。しかし2回目のお焚き上げは辞める云々じゃなくて過去との決別になっていました。なんだ。すごいと思ってた私は大したことはなかったと。「昔は良かった、じゃなくて昔も良かった。でも今のほうがもっと良い。」この作品のタイトルの意味はそういうことです。どうしても変化してしまうことはあるけれど、それはそれで良いのです。一切変化がないよりはその方が。
さて、台本についてはこんな感じでしょうか?脚本書いたはずなのにこういう文はどうしても書き散らしてしまいますね。見づらかったらごめんなさい。もし台本についてココ知りたいとかあったら…うーんコメントできないみたいだし…私のTwitterとかにDMしてください。次回覚えていれば初作演出を終えての感想書こうと思います。
あと、需要あるかわからないですけど、可能ならnoteで今回の台本を有料にはなりますが公開しようかなと考えております。
では、またの機会に
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