封印されるモノ by. 木森 林林
『封印』
ナニカを封じるというコトは
解き放つことが無いよう印を残し
"カタチとして" は残り続ける
それはいつかの日を待つかのように
封印が解かれる前提で在るようにもみえる
ではどのような意図でそのカタチに閉ざされ
『封印されなければならなかったのか』
時を経て解くべきモノであるならば
それらの過程や理由も
現代のワタシ達は知るべきなのかもしれない
- 封印されるモノ -
古くから歴史上の逸話として
"封印されたモノ" が存在する。
それはその時々により
何らかの理由で封じられるコトになった。
カタチとして今尚残るモノは、
閉ざされた理由以前に "解くコト" を恐れ
代々語り継がれ受け継いでいるようにも見える。
現代において、
来世に語り継ぐ手段はあらゆる術でより詳細に遺すことも可能だろう。
だが過去に封印されたモノは
口伝や書物に書き記す他なかったわけだ。
その多くが、
『恐れられるモノ』のような印象も同時に与えるが
決してそれは一概に言えないのではないか。
「いつかその封印が解ける時」といった前置きがされるコトも多くあり、
それはその時代に見合っていない価値観や存在だったコトが主な要因のようにワタシは考えている。
これは善と悪や、白と黒と二分化する考えの元、
“対局にあるモノ” が封印し
封印されただけに過ぎないようにも視える。
- 対極の調和 -
では封印されていたモノが解放された時、
一体どのような変化が起きるのか。
それは封印したモノが存在する以上は
その対立を避けられないのかもしれない。
しかし互いにその経緯や記録が残され、
"意図したモノ" であった場合には
対立ではなく『調和』が起きるコトも考えられる。
物質的なモノが封印されている場合も、
その奥にあるモノは「想い」や「願い」といった
"無形のモノ" が根源的な理由ではないのか。
そうであるならば、
その過程に起きた事実を両極の行動や解釈、向き合い方次第で統合させるコトは可能だろう。
勝者や敗者といった上下関係や、優劣をつけるには
その当事者でない限りは困難を極める。
これは過去、現在、未来でも
当事者の視点が完全に第三者に得られない以上は
永遠に続くはずだ。
封じられた多くの出来事やモノは、
実は解き放つコトで多くの叡智が宿っていることは言うまでもない。
そこには、
両者が受け入れるための姿勢や心が整いさえすれば、
本来は有益に働くようにさえ思う。
『封印を解く』という行為は、
一時的な混乱や動揺は避けて通れないだろうが
どこかの時期でその封印を解かなければ、
さらなる迷宮へと向かう可能性も多く秘めているように感じている。
- さいごに -
ここまで見てくださりありがとうございます。
今回は「封印されるモノ」とは一体ナニカ。
そして "ナゼ封印されたのか" を考え、
端的な内容ですがワタシの一つの結論を記事にしました。
これらは神秘的なモノから恐れられるモノまで、
世界各地に点在します。
封印される理由は、
それぞれに多くの逸話があると思いますが
"その中身" には恐怖と同時に
『多くの可能性』が秘めているようにも感じます。
日常でも、
「視界に入り目移りするために箱に片す。」
この行為も封印の一つです。
もしこのような程度に、
ナニカの働きが一方にとって一時的に不用なために封印されるのであれば、
歴史的な逸話や伝説とされるモノも、
その起源は同程度の理由のようにも感じます。
あまり恐れられる不穏なカタチではなく、
歴史的に封印されていたモノも
いつか『過去の偉大な叡智』として目にしたいものです。
木森 林林(Rinrin Komori)