
摩天楼の内部構造 by. 木森林林
『摩天楼』
"摩天楼" とは
天と表現される頭上高くに立つ
高層建造物の総称を指す
それは高さを競うかのように隣接され
建造物の高層階から見渡す景色はさぞ良いのだろう
羽を持ち空高くから眺める視点は
一度は自ら得たいモノだが
この二つの視点は同義なのか
高い場所から見下す視点と
低い場所から見上げる視点
構築するモノにおいては
そのどちらも広い視野で眺めることができる

- 高層の存在-
『摩天楼』とされる建造物は、
その街の象徴として主に君臨している。
それらは多くの労力と巧みな設計で構築され、
未来永劫その形態を保つには
『あらゆる計算された仕組み』も必要となる。
ワタシが考える "計算された仕組み" とは、
「建てるコト」だけではなく "維持する仕組み" だ。
社会的に見ればそれらの高層建造物は内外問わず
名所としても関わる人にも恩恵を与えている。
その反面、
『摩天楼』と称されるモノは規模とスケールだけに、
反対の意見や異なる視点も多く存在し
一概に建造物としての必要性やその存在の良し悪しについて多様な見解もあるが、今回そこには言及しない。
ワタシは "高層の存在" が建造物だけでなく
モノの優劣や人間関係、言葉にも
同様の位置付けで長く君臨するモノが存在すると考える。
一つの事象としての
高い地点から眺める視点
低い地点から見上げる視点
その感じ方から周囲に与える影響は各々によって違う。
これらは実際にその地点に行くコトで、
事前に想像していなかった視え方をする場合がある。
"やりたくないコトや行きたくない場所"
"求めていたモノや会いたい人"
「理想や思い描く事象は現実になる」という思想もあるが、もし本当にそのようなコトが可能であるならば、
未然に抱く不安や
ネガティブな想像すらも変化させるコトは可能だろう。
ナニカの行動を起こす前の
感情的な否定や肯定という意思は、
もし一時の衝動であるならば
『摩天楼』の存在とその周囲を俯瞰で見るコトで、
日常生活における身の周りや未来のイメージに変えるヒントがそこにはあるようにワタシは思う。
- 摩天楼の内部構造 -
ここまでは『摩天楼』とされる “高層建造物” を、
外側から得られる視点で記している。
では建造物として、
その中に内包されるモノの「高層階と低層階」には
同様の視点が得られるのか。
低層階から高層階を内側から考えれば
外側から視る以上に身近に感じられ、
実際の距離として環境に寄っては
ボタン一つで高層階へ行くコトも可能だろう。
だが実際にいる場所は "低層階" だ。
一見すると高層階への憧れや眺める景色を考えると、
社会的にはより優美な存在と考えることもできる。
しかしその優位性は観光地的な公共物として、
理想や夢として位置ずけられている場合もあり、
一概に高層階が良いとされるべきでもない。
低層階にも同様に多くの可能性を秘めており、
人間が日常生活を送る上での『外』は、
建造物の外側へ歩く距離としては低層階の方が近いわけだ。
これは物理的に高層階では不便であり、
場合に寄っては低層階だからこそ得られる特権であり視点である。
『摩天楼』とされる大きな枠組みの中では競い合うかのような高さの違いはあるが、
その中では競い合いを経た学びも必要になり
体験するコトで共存や共有する意思も生まれる。
「計算された仕組み」は建築的な設計だけでなく
このような内側の相互の利点や得られる学びが必要になり、
各々の観測地点を前向きに解釈し、
“高層の存在” として外側に与える影響すらも
長期的な視野で考えるコトで末長く愛され活かされる存在になるのではないか。
- さいごに -
ここまで見てくださりありがとうございます。
日常生活において、
何層にも高く積み上げられたモノは身近に多く存在します。
今回は高層建造物としての『摩天楼』を、
建造物としての視点と
それらを別の角度から再解釈するカタチでワタシの視点で記事にしました。
人は空を飛ぶことに憧れ
長い時間をかけ飛行できる仕組みを構築し
現在でもその恩恵を頂いています。
上を見上げたときに優美に飛ぶ鳥を見ると
過去の偉人のような希望を抱くことに共感できます。
同じくして地上をより速く動くために
そして大きなモノを動かすために生まれた技術もあり、
どちらも現代社会でワタシ達は大きな影響と恩恵を頂いている事は事実です。
これらを『空と地上』というカタチで切り離し、
"上下" や "高層と低層" という概念で考える必要があるのかという疑問が今回のワタシの視点です。
社会的な仕組みの外側にある
空気や大地の自然環境から見ればまた新たなワタシの視点もありますが、
現在の社会の変化の中で
今回の記事から一人一人がナニカ新たな視点を考えるキッカケになれば幸いです。

木森 林林 (Rinrin Komori)