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渦の目 by. 木森 林林

『渦』

古くから回る動きを表現するモノとして
"渦巻き模様" が存在する

言葉は「言霊」とされる原点が存在し
その変化する動きも渦を巻いている

自然現象でもあらゆる事象で
『渦』のカタチを形成し

そのナニカが混ざり合うかのような動きには
強大なチカラが影響している

自然発生的に起きる『渦』には中心が存在し
そこには意図するナニカの働きがあるのではないか

photo : 蝸牛 (Rinrin Komori)


- 渦巻きの起源 -


古くは縄文時代の遺物から
"渦巻き模様" はすでに見受けられ、

土器の表面の模様などが有名だ。

縄文時代と著すのも、
実際に土器を焼く際に型として縄も使い

縄も同時に焼く事で
その模様が残り土器の形状を維持したともされているが、

その "縄の形状" すらも渦を巻いている。

さらに古文書や壁画、歴史的な遺産などでも『渦』を表すカタチは散見され、

生活がより豊かになった時代に重宝された反物としての織物や、竹細工の様な編み物は格子状に形成されるが

そもそも、
人間も同じくそれらの素材や材質を
より細分化すると"渦" を巻いているわけだ。

過去記事の『螺旋』でも触れたDNAなども、
視点を変えれば "渦" になり、
(※以下参照)

過去の時代に
現代の技術や進化を超えるナニカがあれば

それらの根源的なモノを神格化し、
『模様』として用いたコトも理解できる。

現代社会の中でDNA構造などの
"偉大な発見" とされるモノも

資本主義社会の中で見出された視点では
「偉大」なのかもしれないが、

そうした概念すらも無ければ

"自然発生的に産まれたモノ"
として特別扱いされるコトも無く

一般的な生活の中に馴染んでいたのかもしれない。

古くは『言霊』としてのコトバすらも
“祝詞” として渦の形状をしていた時代もあり、

より深く掘り下げた記事はまた別の機会に記すことにする。


- 渦の目 -


"ナニカの渦中にあるモノ"
それは『渦』の中心を含む
その流れに巻かれている様子を指す。

時に事象として「混沌」という表現があるように、
混ざり合う際に一時的な不調和はあるかもしれないが

海流の渦潮のように、

複数の地点からの速度や質量のバランスが
一定周期で乱れるのであれば、

今後も渦の働きは無くなる事はない。

しかし "中心の目" はそれらの影響を受けず、

"目の地点" は意図した働きをしていない。

ただ大きな流れをつくり、
複数の地点からの流れや影響に身を置いているのだ。

台風で考えると分かりやすいが、
風の当たり方や流れは

“回転する向き” や目の中心にいるどうかで風速は変わり、
受ける影響も変化する。

日常生活であらゆる事象に巻き込まれ、
時に多大な影響を受けるコトもあるが

多くの人は、
天候や日々自然の変化も意識する中で

「現代社会の渦の影響」までも考えなければいけないのは
とても生きづらいのではないか。

では日常の社会生活の中で、
可能な限りその "不本意な渦" の影響を受けないためには

己自身が扱える範囲内で
規模が小さくとも自らの内側に渦を作り、

自ずと 『中心の目』の働きを発生させる事が
まず自分らしい生き方に導くための手段なのかもしれない。


- さいごに -


ここまで見てくださりありがとうございます。

今回は古くから自然現象や日常の事象を表現する
『渦』という成り立ちからワタシの視点で記事にしました。

数ある “渦” を成す事象は
外側から見ると魅惑的で美しいカタチの場合もありますが、

どこか近づき難いチカラも秘めています。

それは各々の特性に対して大きな流れが作用していることから、振り回されるような印象すら抱いてしまいます。

しかし時として
不本意でもその中心にいることや、

強大な流れに巻き込まれるコトも起こり得るのが自然の脅威であり現代社会であり、ワタシ達が生きている世界です。

事前に想定することができなくとも、

あらゆるケースで中心からの視点を経験することで
それらの働きの本質が理解でき、

「どのように回避すべきか」も予測できるかもしれません。

これらを俯瞰した視点で見ることができた時
『渦』の働きの必要性や全体に及ぼす未来も理解でき、

現代のワタシ達も “模様” 程度に共存することができるかもしれません。


photo : Untitled (Rinrin Komori)


木森 林林 (Rinrin Komori)

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