無難な人生を生きる自分に気づいた
周りからの評価を気にして、
周りに迷惑をかけずに生きる。
それが私の生き方だった。
いや、現在進行形で今もそうなのかな。
大分改善はされてきているとは思うけど。
職業訓練に通い、就活に励むこと早3ヶ月。
就活においては職業訓練前からやっているので4,5ヶ月。
でも何も好感触がない。日商簿記2級の試験も落ちた。
まぁけど働いてたときと比べると全然辛くない。
家計を助けるためにも早く就職しなければ。
今はただそれだけ。
そんななか、昨日夫がすごく疲弊して帰ってきて一言。
「全然できない。(私の名前)がいなかったら明日休んでたと思う。」
初めて夫の弱音を聞いた気がする。
私が「休みな」と言っても、今日は重い腰を上げて出社した。
私はせめてと思い、
いつもは朝早いのでベッドでいってらっしゃいと言って送り出すが、
今日は玄関まで見送った。
LINEを送ったが既読がつかない。心配だ。
そんな昨日のこと、私は、
夫がずっとしたいと言っていた世界一周について切り出した。
夫は今の仕事を続けないと思う。
それならば、このタイミングで夫のしたいことを実現させたらどうだろうか。
私は今職に就いていない。そして夫も仕事を辞めたい。
今がチャンスなのでは。
すると夫もすごく食いついてくれて、昨日は世界一周の計画を立てた。
でも、計画をすすめるうちに、
「お金は大丈夫だろうか。」「帰ってきた後どうするか。」
いろんな不安が頭をよぎる。
世界一周は私もしたかったことのはず。
なのにいつのまにか、「夫のために」実現しようとしている。
小さい頃からずっとそうだ。
子供の頃、友達と遊ぶにしても、
「お母さんは私がいなくても寂しがらないかな。」
と思って遊ぶのが億劫に感じていた時期があった。
家で机の角に頭をぶつけて頭から血が出たけど、
心配をかけたくなくて誰にも言わず
ひっそりとタオルで血を拭き隠したことがあった。
(結局その拭いたタオルが見つかりバレたけど)
高校も大学も就職先も、周りが薦めてきたところに決めた。
そうすれば周りも無難に喜んでくれるから。
友達と遊ぶにしても、友達がしたいことがあれば
全部それに応えて友達に合わせてきた。
ずっとずっと、周りが求めてもいないのに、
私は勝手に周りの人のために生きてきた。
そして周りの目を気にして生きてきた。
私はそれを別に苦には感じていない。
むしろそのほうが私も楽なのかもしれない。
でも最近、ふとスカートを短くしてオシャレして歩いている女子高生や
2ケツしているカップル、昔はワルだったと語る先生、
みんなで鬼ごっこしている子供たち・・・
いろんな人を見て、自分のために生きてみたいなと思うようにもなった。
若いうちにお酒で失敗とかしてみたかったし、
2ケツで警察に注意されたり、スカート短くして先生に怒られたり、
周りのためにやってこなかったことも、
大人になっていい思い出になるんだな、と大人になって思う。
迷惑かけたくなくてお酒の飲み方も気を付けてきたし、
2ケツもしなかったし、スカートも無難な長さを保ってた。
もっと、ワルくてよかったんだな。
親って、別に子供がちょっとワルになっても、
きっと楽しく生きてくれるだけで十分なんだろうな。
そんなことに気づき始めた最近、
自分もやりかったはずの「世界一周」が、
最近は夫のためにやりたいのか、自分のためにやりたいのか、
わからなくなってきた。
もちろんお金のことも時間のことも何も考えなければやりたい。
やりたすぎる。夫と思い出作りたいしいろんな世界を見てみたい。
夫は元バックパッカーで、世界一周経験者だ。
そんな心強い存在がいるのに、まだ、
「親はなんていうだろう。心配だろうな。」
「お金は大丈夫なんだろうか。子供は30までに〜・・・」
「仕事はどうしようか。戻ってきてから再就職できるのか。自分で稼げるのか。」
いろんな不安を理由に旅行期間を短くすることとか、
色々考えてしまっている。
自分のために生きたい。
そして、「自分が」大切に想う夫に、子供に、地元の家族に、義両親に、友達に、
ちゃんと愛を伝えていけばいいじゃないか。
自分は何をやりたいのか。
少しの期間、「自分のために」生きていこうと思う。
そうすれば、自分が何をしたいかわかってくるかもしれないから。