「〜した方が良い」を深掘ってみた。

私は、親からよく

「〜した方が良い」

と言われて育ってきた。

何なら今現在も、実家に帰省したときに母や父と会話していると、ことあるごとに、「絶対〜した方が良いよ!」と言われる。

つい最近、母と電話をしたときに、子供のトイレトレーニングのことについて話をしたときのこと。

「早くオムツが取れた方が絶対に良いんだから、ちゃんとやりなさいね」

「保育園だからやりずらいのかもしれないけど、もうそんなの気にせずに、パンツを履かせた方が絶対に良い」

などと言われた。
おそらく15分くらいはこのことを話されていたと思う。母にとってはほんの短い時間だったかもしれないが、私にとっては「永遠」に感じるほど、長くてしんどい時間だった。

母の話を聞いている中で、色んな想いと感情が出てきた。

大前提として、私たち家族のことを想って言ってくれているということにありがたさは感じた。

でもその言葉って本当の意味で相手のためを想って言ってる言葉なのかな?

自分のエゴになってない?

私たちの普段の状況を詳しく知らない人に言われたくない。

一般論を押し付けないでほしい。

こんなふうに、イライラしたくないのにすごくイライラしてしまった自分がいた。
なぜイライラしたのか?「〜した方が良い」というアドバイスそのものに、あまり納得がいっていなかったからだと思う。

話を聞いていて、ものすごく反論したくなったが、グッと堪えて
「そうだね」「うんうん」
と話を聞いてる風に対応できた自分をとりあえずほめたい。

昔はよく色んなことで言い合いになってバトってたなぁ、と、ふと過去を思い出す。

一通り母が話し終わった後、一言。

「わかってないでしょう(笑)」

ちゃんと聞いてないことは案の定バレていた。

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ここまで書いたことは、先日のとある日常の一場面。

こんなかんじで、「〜した方が良い」と言われ続けてきて育った私。

学生時代にさかのぼり、中学、高校生くらいのとき、こう思った。

私が何を言っても、私の意見は受け入れてもらえないし、肯定してもらえないんだ。

反論しても何も響かない、否定されるだけ。それならもう、どうでもいいや。


そう思った私は、親とコミュニケーションをとることをやめた。必要のないことは極力話さないようにした。話しても大抵「〜した方が良い」と言われてしまうし、自分をずっと否定されているような気がしていたから。反抗期もあったと思うが、一時期かなり仲が悪くなった。

さらには、人と話すことすら苦手に感じるようになっていった。(こうなった原因は他にも色々とあるが)

「〜した方が良い」と言われ続け、無視し続けたり、逆に言われた通りに動き続けると、最終的にどうなるか。

自分の中の思考が停止していくと私は思う。

私の場合はかなり頑固で自分の意見を持っているタイプだったので、思考が停止することはなかったけど。
もしこうなったとしたら、シンプルにやばいと私は思う。物事を常にボーッとみて、自分で考えもせず、行動もしなくなるのではないかな。ひどい場合は、思考しない自分が悪いのにも関わらず、勝手に他人を羨んだり憎んだりまでするようになるんじゃないかと思う。

もちろん生きていく上で、本当にこうした方が良い、ということは話が別。

けど、人それぞれに色んな状況があって、色んな選択肢がある中で、「〜した方が良い」と自分の意見を人に押し付けるのはどうなの?

それって本当に相手のため?

それは、もしかしたらあなたのエゴかもしれない。

主観で、狭い視野で、物事を見ているかもしれないよ。

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けど最近ちょっと見方が変わった出来事があった。

旦那と育児のことについて話していたときの話。

子どもがイヤイヤ期真っ只中で、最近ちょっと子どもから嫌われている旦那。
そんな旦那へ、「色々先回りしてやってあげすぎてる気がする。まずは共感して、見守って、やりたいようにやらせてみたら?」と声をかけた。

すると旦那。
「絶対にこうした方が良いということは、先回りして教えてあげたい。そうしちゃダメってこと?」

ん?

ものすごく引っかかる私。

ちょっと考えてこう言った。
「生きていく上で本当にこうした方が良いと思うことは別として、子どもにまずはやらせてみて、失敗から学んで気づかないと何も考えない人になると思う」

その後はなんだか気まずい空気になり、これ以上の口論にはならず、お互いモヤモヤが消えないままお風呂の時間になったので、切り替えてお風呂に入り、この話はそのまま流れた。

私は正直、旦那が反対意見だったことに驚いたとともに、どうして旦那はこういう意見なのだろう?と疑問に感じ、旦那の気持ちを考えてみた。

「子どもには、最も安心安全で、良い道を歩かせたい」

「人生をある程度経験してきた自分が、先回りして子どもに教えてあげることで、子どもが幸せになる」

そんな気持ちがあるのかなぁ、と自分なりに考えた。

この出来事から時間が経ち、文章として書いていた中で気づいたこと。

それは、
愛があるんだ。
だからこそ伝えてるんだ。

ってことだった。

人に対して愛をもってる。だからこそ、色んなことを先回りして考えて、その人のためを想って「〜した方が良い」と本気で伝えるんだと。

このことに気づけて、私は親から愛を受けてきたんだなぁ、旦那は愛がある人だなぁと、思うことができた。

ちょっとだけ、昔あったことを浄化できた気がするし、自分がアップデートされた感じがする。

でもちょっと待って。

その愛って本当にその人のためになるの?

その人の可能性や未来をつぶしてない?


「〜した方が良い」って言葉は、相手を良い方向にも、悪い方向にも導く言葉なんじゃないかなと私は思う。

「〜した方が良い」に限らず、

言葉選び、伝え方、伝えるタイミング

これって実はものすごく繊細。

何かを正しいニュアンスで伝えたいとき、相手の心を傷つけないためには、とても大切なことだと思うなぁ。


ここまで読んでくれてありがとう。

みんなはどう思う?

それじゃあまた。

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