昔書いた小説をアーカイブ『放課後のベツレヘム』

「クリスマスをゆっくり済ます。」(当時の投稿者コメント)
2019年頃にサークルに寄稿したやつ、その3。テーマは忘れたけどたぶん「冬」とかだった気がする。

 ◇◆◇◆◇

「天辺で輝くあの星に、手が届いたら――」
「無敵になれるからかしら?」

 ◇◆◇◆◇

 クリスマスに一人で過ごすことがこれほどまでに糾弾されるようになったのはいつからなのだろうか。テレビをつけてもインターネットメディアを読んでも、そこかしこで恋人のためのクリスマスが祭り上げられているのを見る羽目になる。さながら独り者は街から追い出されるかのように、透明化される。
――最初から、いなかったみたいだ。まるで世界はハナからみんな幸福に満ち満ちていたかのように、イルミネーションは聖なる夜の恋人達を飾る。僕は存在してはいけなかった存在だったんだ、そんなメッセージを、僕は受け取る。痛いほどに。
面白い。
恋人がいる幸せな奴が優遇されて、ひとりで寂しく生きている人間はさらに生きる場所を奪われていく。トランプゲームの大富豪みたいだ。貧民はさらに富豪に手持ちのカードを渡さねばならず、より追い込まれた状況での生活を余儀なくされる。だが――だが、貧民のほうがまだ救いがある。革命を起こすことができるのだから。現実世界に生きる僕たちは、そんな救いに手が届かないまま、ただ地底を這う。
……星を遥か頭上に臨んだまま。
「……まだ居たのか、伊丹垣(いたみがき)」
「木津口(きづぐち)先生」
 せっかく感傷(現実逃避ともいう)に浸っていたというのに、無骨な声に孤独の世界は掻き消されてしまった。木津口先生は家庭科の先生で、僕のクラスの副担任である。彼はゆっくりと視線を下ろし、僕がクリスマスパーティーについてのタスクを整理しているのを確認した。
「熱心だな、お前は」
「選ばれたからには仕方がありません。それに、こういう仕事は嫌いじゃないんですよ。特別な資格は必要なくて、ただ勤勉に働いていれば評価される。何もできなくても何かができる。それで僕に居場所ができるんですから……放課後に予定のあるみんなはやりたがらないだろうけど、僕にとってはそれもろくな問題になりませんし、僕がやるのが最も効率的だ」
「そういうこと言わなきゃ、勤勉だって評価してやるのに」
「加点してくださいね」
「家庭科にか? 残念ながら、だ。ただでさえお前は調理実習に出席してねえんだから」
 木津口先生は表情の動きが少ない。ただ声色から察するに、僕の授業態度に対して不満を持っているのは明らかだった。
「……好き嫌いが、多いんですよ」
 僕は扉のあるあたりに立っている先生を暫く見つめていたけれど、また手元の書類に視線を戻した。
「食い物にか? それとも班行動にか?」
 ひとつ溜息を吐いて、先生は重い足取りでこちらに向かってくる。な、殴るつもりか! ……などと思ったけれど、このご時世さすがにそんなことはなかったみたいで、だけどやっぱり威圧的に、彼は僕の座っている席の前に立った。
「……はは、それは、家庭科には……関係ないでしょう」
 思わず目を逸らす。隣の椅子は足の滑り止めがひとつ取れてしまっていて、これに座るとがたがたするんだ。
「そうでもないんだな、これが。家庭ってのは突き詰めれば知らねー奴と一緒に暮らすってことだ。それを可能にするのは他人との関係の構築なんだよ。それを拒んでいる限り、伊丹垣の家庭科は赤点のままだ」
 なんだその説教。金八先生に憧れたなら国語の教師になれよ。
 職権濫用だ職権濫用。
「……ま、それは別の話だな。もう夜だろ、早く帰ってくれよ、俺の仕事が増える。クリスマスの委員だって伊丹垣ひとりなわけじゃないんだ、そんなに根を詰める必要はないだろ」
 大欠伸をしながら、先生は僕の目の前の書類を見下ろし、もう一度僕の方を見遣った。僕は目線を合わせずに答える。
「とは言っても、このクラスのクリスマス会の委員は僕なんですから……仕事は待ってはくれませんし」
「クリスマス、再来月だぞ」
「……」
 ――十月二十八日、漸く独りの夜が寒くなってきた頃だった。
 
 ◇◆◇◆◇

「冬の大鋭角三角形ABC」
「数学のテストみたいな呼び方をするな」

 ◇◆◇◆◇

 我らが兎挽(とびき)高校にはクリスマスパーティーを行う風習がある。生徒が自分たちで企画し、実施しているだけのものなのだが、クリスマスには学校の敷地が開放されるため、実質的には学校の企画だという側面もある。
まあ、文化祭みたいなものだ。学校が公認してこれをやっている分、秋に文化祭が行われないから、それでいいらしい。
時期のせいで三年生が参加できないが、その分二年が尽力する仕組みになっている。委員であれば猶更で、僕は放課後になると毎日のように教室に残り仕事をしているのだった。
「――伊丹垣くんってば!」
「はっ、はいっ!」
 脇腹をしたたかに殴りつけられて我に返った。誰だ、この法治国家でいまだ武力による制圧を是とする奴は。戦慄しながら振り返ると、そこにいたのは、やや怪訝そうな表情をこちらに向けている躑躅坂(つつじさか)さんだった。いつのまにかこの教室に入ってきていたらしい。扉が開いていて、今まで気付かなかったけれど、そこから風が吹き込んでいた。
「こんな時間まで居たんだ」
「まあ、ね」
 そんなことを言っている彼女の方こそこんな時間まで学校に残って何をしていたのだろうか、と思ったのだけれど、おおかた、部活帰りなのだろう。確か彼女は料理部に所属していたはずだ。
「でも、伊丹垣くんって帰宅部だよね? 何してるの?」
 彼女は首を傾けて、僕の目の前に広げられた書類に視線を向けたのだけれど、すぐには合点がいかないようだった。
「クリスマス会の委員だよ」
「いや、そんなのまだまだ先じゃん」
 即答だった。そうだ、今日はまだ十月なのだ。
「それでも、今からできることだってあるからさ」
「本当に?」
 躑躅坂さんは、そこでにっと口角を上げる。なんなんださっきから、人を見透かしたような奴しかいないのか。
「本当だよ、クリスマス会を成功させたくて仕方がないんだ。僕の高校生活はクリスマス会のためにあると言ってもいい」
「嘘つき」
「なんだと」
 やはり即答だった。僕は知らなかったのだが、彼女はどうやら、閻魔大王だったらしい。さすがに僕の思考を勝手にスキミングしているというわけではないだろう。
「クリスマス、嫌いなんでしょ」
「そんなこと、ないって。人々を祝福してくれる聖夜なんだ、こんなにロマンチックな日……そうないだろ? 灌仏会じゃ、こうはいかない」
 僕は観念して顔を上げて、彼女の様子を窺う。なんだ、僕は仕事をしていると言っているというのに、どうして構ってくるんだ。僕の仕事を邪魔しようったってそうはいかない。……まあ、幸いにも、まだ締め切りには追われていないのだが。
「……乾物?」
 ――言葉が通じなかったらしく、彼女はクエスチョンマークを浮かべた。やれやれ、高校生には難しい語彙だったか。
「かんぶつえ。釈迦の誕生日だよ」
「伊丹垣くんは物知りだねえ。役に立たないことは特に」
 ディスられた。なんでいま僕が刺されたんだ。
 知らなかったそっちの落ち度だろ。
「でもね、私は知ってるんだよ。伊丹垣くんはほんとにクリスマスを嫌いだってこと」
「気持ち悪いな」
「ひどぉい!」
 何でそんな私的なことを当然のように知っているのだろう。
「だって、暗い男の子はだいたいクリスマスのこと嫌いじゃん」
「偏見ッ!」
 否定はできないけど。
 僕は暗い男子ではないから。
「私は好きだよ、クリスマス。ケーキが食べられるし」
「まあ、僕もケーキは嫌いじゃないよ」
「……だったらさ、来週の調理実習は来なよ。なんとケーキを作ります。私と同じ班だし、できなくても教えてあげるからさ」
 僕はペンを置いて、仕事の続きをすることをようやく諦める。調理実習は苦手なんだ。
きっと、このクラスの家庭委員を任命されている彼女にとっては、家庭科の授業で誰がどのように振舞っているのか把握するのも当然のことなのだろう。
「なんで……僕を誘うんだよ、躑躅坂がいれば、僕の力なんて必要ない、だろ。僕なんて、皿洗いくらいしか、できないのに」
「そんなの、友達だからに決まってるじゃん」
 ……。よく、わからない。だが、そう言った時の彼女の微笑は本当に眩しかったと思うし、同時に、僕にはあまり似合わないようにも思われた。クリスマスのイルミネーションと同じだ。僕は暗幕でもかぶっている方が似合っている。
「それと……ああ、今日の部活で余ったフルーツを貰ったんだよね。差し入れとして伊丹垣くんに進呈してあげましょう」
「……まあ、もらえる分には、有難く……頂いておくけれど」
「はい、スターフルーツ。角は固いから包丁で剥くのがオススメだよ」
 ポケットから、何やら面妖な形の果物を取り出して僕のほうに差し出してくる躑躅坂さん。ラグビーボールみたいなシルエットにも見えるが、しかし違う方向から見ると星型に変貌するという奇妙な造形をしていた。
 まず余りものの果物をポケットにそのまま入れるのはどうなんだとか、それを使う料理ってなんなんだとか、いろいろツッコミどころはあるような気がするけれど、とりあえず、僕はそれを受け取って、ゆっくりと返答する。
「刃物が必要な果物をまるごと差し入れるなよ」

 ◇◆◇◆◇

「えっとね、花言葉は『排水溝のぬめり』」
「……そんなことねぇだろよく調べろ」

 ◇◆◇◆◇

 ちょうど今日気付いたのだけれど、躑躅坂さんは料理部のただの部員だったわけではなく、部長だったそうだ。そりゃあ料理がうまいはずだ。僕は横目で彼女の手際を眺めながら、シンクに積まれた調理器具や食器の類をじゃぶじゃぶと洗っていた。
それはもう、必要ないくらい洗っていた。なんたって、調理の方には僕はなかなか絡めないから。
「頼(らい)くんが来るなんて、珍しいわね」
 そう嫌味を飛ばしてきたのが、妃崎(きさきさき)さん。目を見張るような美人だが、台詞は冷たく声も通るので、僕はこの人が苦手だ。彼女が苺やらなんやらのフルーツを刻んでいたその手つきも、僕にとっては非常に慣れたもののように見えた。でも、さっき「なんで苺をみじんぎりにするの」って躑躅坂さんに怒られていたから、実際にはそうでもないんだと思う。
 ほぼ液体になってた。
「私たちの作るケーキが食べたくなったのかしら」
 くっくっと軽く肩を震わせながら、妃崎さんがこちらを見遣った。これだから嫌なんだ、こういう実習っぽい授業は。
「ちょっと妃崎さん、わざわざ来てくれたのにそんなこと言っちゃダメだよ。きっとそんなわけじゃないよ」
 躑躅坂さんが、生クリームを絞りながら目の前にいる妃崎さんを制止する。なるほど家庭科が得意な人間は優しいんだな。
「私たちの手作りが食べたいなら、今日じゃなくて前回のおにぎりと味噌汁の回に来るはずだよ」
 ……。
 漫画ならずっこけてたぞ。
 そういう問題じゃないんだよ。
「確かに」
「……確かにじゃねえよ」
「あら」
 僕はここで、泡立て器(で、いいのだろうか?)に洗剤を塗りたくるのをやめて、水道水の滴る右手の人差し指を妃崎さんに向ける。
「そんな邪な気持ちで、来たわけじゃないよ」
「本当かしら」
 僕の反駁に、妃崎さんと躑躅坂さんは一度小首を傾げて、そのあと、お互いに顔を見合わせて笑った。前言撤回、やっぱり家庭科が得意な人は優しくない。
「心配されるのが、申し訳なくなった、だけだ」
 僕は、そして、目を伏せる。妃崎さんは黙り込んでしまったが、躑躅坂さんの含み笑いが、僕の手元でばしゃばしゃと跳ねる水音の中に、微かに聞こえていた。
 嗤われている。これだから教室の中での交流は苦手なんだ。やっぱり来るんじゃなかった。
「心配? ああ、確かに、私は気にしていなかったけれど、綾さんのほうはそれなりに心配していたわよ。それなりに」
「ちょっと、それは言わない約束でしょ?」
 なんだ、フラグか? ここで話題の渦中にいるのが僕でさえなかったら、これは期待してもいいイベントだっただろう。
「そんなこと言っちゃったら、勘違いしちゃうじゃない」
 待て。少なくともそれを本人の前で言うな。悪口だろそれ。
「勘違いくらいさせてやれよ」
 ――そこで、今度は二人とは違う方向から声がした。蛇口の側から机の方に向いていた僕にとっては背後の方向……僕は振り返って、皿を両手にいっぱい載せた本川(もとかわ)くんの姿を目視する。彼は食器を手に入れるために席を離れていて、そしていま帰ってきたところなのであった。
「勘違いするのも恋の要だからなあ。片思いの方が楽しいなんて一概に言うつもりもねえけどさ」
 彼は落ち着き払った様子で、最早スペースの少ない机の上に、果物やらを押し退けて空間を作り、皿を重ねて置いてはひとつ大きく息を吐いた。
「勘違いしたってうまくいくとは限らないわよね?」
 妃崎さんが、その皿をさらにぐっと押し退けて応じる。
「うまくいかなかった経験そのものが、次にうまくいくことの布石になるのさ。負けても経験値は入るからな」
「流石、私に四十九回振られた恋愛脳は言うことが違うわね」
「流石、俺を四十九回振ってきてる冷血は手厳しいぜ」
 ……そういうの、自分らで言うんだ。
だいたい隠すものだと思っていたのだけれど。
 それにしたって、四十九回も振られていれば僕の耳に入ってもおかしくなかったのだろうが、そんな話は聞いたことがなかった。しかし躑躅坂さんも当然のように(驚いた様子もなく、さながら当たり前のように)それを受け入れて笑っていて、なるほど僕以外の間では普通に知られている話だったらしい。
 知っていたとしても、四十九回も告白をするという行為を受け入れるのはまともではないと思うのだけれど。
 木津口先生の言っていたことも間違っていなかったみたいだ。僕はあまり周りと交流できていない。周りのことを、何も知らないんだ。
「でも、それくらいの執着っていうのは必要なんじゃないかな。好きな人がいても、断られる前に諦めちゃうって人、結構いるじゃない? ああいうの、もったいないと思うんだよね」
 躑躅坂さんは、そんな風に話題に乗りつつ、手元の皿をくるくると回している。なんの意味があるんだ、と思ったけれど、よく見てみると、その回転する皿の上に乗せられたケーキの側面がみるみるうちに生クリームに覆われていくのがわかった。
「四十八回断られれば諦めていいと思うのだけれど」
「俺より先に妃崎が諦めれば一件落着だろ」
 犯罪者の考え方だ。
 というか、これ、妃崎さんが告発したらその段階でお縄になる気もするが、どうなんだろう。妃崎さんもあながち満更でもないのだろうか。
「……そういえば、伊丹垣はどうなんだ? 恋人の話とかしなさそうだし、噂も聞かないよな」
 やめろ、コイバナに僕を巻き込むな。
「……ああ、何もないから話せないのか」
 勝手に巻き込んでおいて追い打ちをかけるな。
「やめてあげようよ、そんな話を振ったら可哀想だよ」
 それが一番ダメージでかいわ。
「しっかしなあ、青春ってのをしないわけにもいかないだろ。もうすぐクリスマスなわけだしな」
「……恋愛だけが青春じゃないだろう。……忘れたのか? 僕は、クリスマス委員なんだよ。そういう仕事を、することが……僕にとっての、ただ一つの青春なんだよ」
 なんでかはわからないけれど、そう反論してみる僕は、しかし彼に目を合わせることはできなかった。なにか引け目のようなものを感じたからかもしれないし、そうじゃないかもしれない。嘘を吐いているつもりは、なかったのだけれど。
「じゃあ恋愛には興味がないの? 好きな子の一人や二人、いてもおかしくはないよね」
 二人いるのはどうかと思うが、そもそも、どうして僕のそんな話を聞きたがるんだ。僕の話なんて、しかもイベントの起こってもいないコイバナなんて。どこに需要があるんだ、それで答えられなくて困っているところを嗤うつもりなのだろうか。
「今のところはね」
「へぇ、できるといいね」
 特に悪気はないのだろう、あっけらかんとした様子で、躑躅坂さんは僕に笑いかけた。
この際だから、自分に、一度、向かい合っておこう。
僕はたぶん、躑躅坂さんのことが好きなんだ。
でも、だからと言って僕は何もしないだろう。
躑躅坂さんはそれに気づいていて、僕を泳がせて遊んでいるのかもしれない。けれど、別にそれでもよかった。躑躅坂さんは笑ったまま、こちらへ歩み寄ってきて、僕を励ますように、背中をばんっと叩いてきた。彼女はその気もないのにこういう行動ができる。僕は、その気があってもできないのに。すごいと思う。僕がそれで嫌がるわけじゃないと知っているんだ。
……ただ、その手は、クリームまみれなんだよな。

 ◇◆◇◆◇

「明日の調理実習には、ちゃんと猟銃を持ってくるように」
「ジビエなんだ」

 ◇◆◇◆◇

 ベツレヘムの星は、墜落することもあるらしい。いや、この場合、ベツレヘムの星ごと、世界が崩落したという方が正しいのだろう。
空が落ちてくることを心配していた人間の話が「杞憂」という言葉に残っているけれど、今回に限って言えば、杞憂なんかではなかった。どちらかといえば青天の霹靂だ。
「ぜんぶ壊れてる」
 世界が? いや、それは比喩であって、実際に壊れたものはクリスマスツリーだ。ここ数か月、僕がツリーを含むクリスマスパーティーの準備に尽力していたことを鑑みれば、僕にとっては世界であったと表現してもいいのかもしれないけれど。
 犯人捜しをしてもよかったが、ぶっちゃけ、そんな場合ではなかった。いつのまにか、もうクリスマスパーティーの本番は三日後に迫っていたのだから。
 僕がこの事実に気付いたのは十八時を回ってから。今からこれを作り直すなんて不可能だ。今から部品を買い揃えて飾り付けたって、作業は間に合わないだろう。何より絶望的なのはツリー本体だ。数メートルはあるだろうこの樅の木、そもそも搬入するためには予約も含めて一週間はかかる。
「うっわ、どうしたの、これ」
「うひょあ!?」
「なあに、その声」
 突如として、なにやら聞き慣れた女性の声がした。振り返るとそこにいたのはまたもや躑躅坂さん。しかし倉庫の中、夜、一人だけの空間。そんなところで声をかけられれば、そりゃあ変な声も出る。どうしてこんなところにいるんだ。なんだ、人気のないところで刺すつもりか。
「……躑躅坂さん、驚かせないでくれよ。ただでさえ、いま、僕は非常に憔悴しきっているんだ」
「クリスマスツリーが崩壊しているから? しかもこんな直前期に。うっわーボロボロだ。飾り付けも……あちこちが折れたり曲がったり、それに本体も折れちゃってるね。ほんと、刃物でぶった切ったみたい」
「……せっかく作ったベツレヘムの星も粉々だ」
「別……?」
「ベツレヘムの星。クリスマスツリーの天辺……星、ついてるだろ? アレだよ」
「相変わらず余計なことを知ってるね、伊丹垣くんは」
 相変わらずそういう攻撃をしてくるんだな、躑躅坂さんは。
「でも、まずいよね? たぶん。パーティー当日はもうすぐだもの。修復の見たては?」
「ないよ、そんなもの。僕だって今気づいたんだ。この前見た時は普通だったんだけれど……でも、倉庫の中だ、風も吹かないし、ちょっとやそっとで倒れるような、大きさじゃない」
「誰がやったんだろ」
「……誰かがやったとしても、……もう、それを糾弾している余裕は、ないよ。とにかく本番を、どう乗り切るか……」
 僕は腕を組む。それに倣うように、躑躅坂さんも腕を組んで唸りながら眉を寄せた。そのまま落ち着かない様子でぐるぐると歩き回って、しかし暫くしても思考は発展しなかったようでゆっくりと動きを止めた。ハンドスピナーみたいだ。
「誰も責めないんだね」
 ふと、躑躅坂さんがこちらを向いた。大量の段ボールやら木材やらを背景に、僕は彼女と向かい合う形になる。
「責めても、状況は変わらない……から、さ」
「合理的だねえ」
 躑躅坂さんはそれだけ言って、ふう、と息を吐いて、埃っぽい倉庫の中、くしゅん、可愛らしい音を立てて嚏(くしゃみ)をした。こんなところに居るものではない。料理部の部長の鼻や呼吸器に問題が起こってはいけない、さっさとこんなところから出ていくべきだ。
「……そうだ」
 躑躅坂さんが、ぽん、と手を叩く。「私にいい考えがあるから、ちょっとついてきてくれないかな」
 この絶望的状況でも、彼女はなにかを思いつくことができるらしい。僕だけだったら、ここでゲームセットだっただろう。
「それに、こんな埃っぽい場所、居たくないよ」
「奇遇だね、僕もだ」
「へぇ、伊丹垣くんってこういうところ嫌なんだ。意外だねぇ、むしろ薄暗くて埃っぽい部屋が好きそうなのに」
 ……こいつを頼りにするのは、間違っているかもしれない。

 ◇◆◇◆◇

「また食材が余ったから、差し入れにしてあげよう」
「今度は……何を、持ってきたんだ?」
「食紅」

 ◇◆◇◆◇

 連れてこられたのは、やはりというか、家庭科室だった。彼女にとっての根城であり、最も自分の能力を発揮できる場所であることだろう。僕にとっての一人の倉庫や一人の教室に近い。
「結局のところ、私はクリスマスの委員じゃないから」
 開口一番、彼女はいきなり僕を切り離す宣言をした。じゃあなんで僕はここまで連れてこられたんだ。ここなら刃物や火、凶器になりそうなものは大量にある。やばい、逃げないと。
「だから、最終的には伊丹垣くん含む、クリスマスの委員がなんとかしなきゃいけないんだ。私はそれに対して、ひとつの道を指さすだけ」
「珍しいな、躑躅坂がそんなレトリックを使うなんて」
 明後日の方向を向いた指先を見て、そのまま目線を逸らす。
「冷凍……?」
「修辞法。フレーズを効果的に見せるために、使う……習っただろ、現代文で。比喩とか、体言止めとか」
「ああ、道っていうのが……ね。そうかな、そうかも。私ってあんまり難しい言葉は使わないしさ。……いや、どうなんだろう。使わないようにしてるだけかもしれない」
 思わせぶりな言葉を残して、机の下の引き出しからボウルだの包丁だのを取り出し、机の上に並べる。なんだ、また調理実習でも始めるのか。この二人で。
「――ケーキを作ればいいんだよ」
 ごく当たり前の簡単なことのように、彼女は述べる。
「……クリスマスだから?」
「そう!」
 大きく机の上に腕を広げて、じっと僕を見据えていた。
 あんまりそんな風に見つめられると、やりにくいから、やめてほしい。
「大きなケーキ。それはもう、ウエディングケーキよりも豪華な。ツリーが作れないなら、それに代わるような目玉コンテンツを作っちゃうほかないよね」
 巨大なケーキという案の実現性はともかくとして、他のコンテンツを使うというのは実用的な案のように思われた。しかし三日でどうにかできるようなコンテンツとはなかなかなく、それに僕の力でいえば、ケーキを作るなんてできるわけがなかった。彼女が作ってくれるなら、まだしも。
「クリスマスを模したケーキを作って、そこに……」
 ここで、躑躅坂さんはポケットを探る。
「じゃーん」
「躑躅坂さんのポケットは、四次元ポケット、なのか?」
「四次元ポケットからスターフルーツが出てくるの、見たことある?」
 言われてみれば無いけれど、そういう意味じゃないんだよな。
「そして、これを上に載せる。ほら、なんだっけ」
「ベツレヘムの星」
「そう、それ!」
 躑躅坂さんはそう言って、スターフルーツを輪切りにしていった。いきなり。しかしその断面は星型で実に綺麗だった。彼女にとてもよく似合っている。
「実はさ」
 いつもよりも落ち着いたテンションで、躑躅坂さんはスターフルーツを刻む音に紛れるほどの音量で、訥々と語った。
「私、家庭科、好きじゃないんだよね」
その独白はまたしても唐突で、僕には彼女がいまそんなことを言う理由がわからなかった。少なくとも、クリスマスパーティーの危機に料理という形でアプローチしてきたところからしても、そんなことないと思うのだけれど。
だから困惑してしまって、僕は返事をしなかった。家庭科室を気不味い静寂が包みこむ。
しばらくして。まだ固まっている僕に、躑躅坂さんは刻んだスターフルーツを一切れ摘み上げ、こちらに向けてきた。
「……どうせ、この前の差し入れ、食べてくれてないでしょ?」
 ――僕は猶予う。躑躅坂さんの指から食べなくてはならないのだろうか。それは、いわゆるセクハラではないのだろうか。その逡巡が熟考となろう頃、躑躅坂さんの顔にも不満が滲んできたので、僕は堪忍した。顔を近づけてそれを咥えた――
「酸ッッッぱ!」
「あはは。そうだね、これはまだ、……熟しきってないから」
 暫くして、感覚が戻ってきた頃、つられて僕も笑った。
 ――あと、三日だ。

 ◇◆◇◆◇

「昨晩、家庭科室に忍び込んだ奴がいるらしい。心当たりのある伊丹垣は名乗り出るように」
「名指し」

 ◇◆◇◆◇