ボーカロイドサムネイル概論 前編
前振り
ボーカロイドの楽曲には流行り廃りがあって、たとえば『初音ミクの暴走』は2008年くらいの背景だからこそ伸びた曲に見えますし、『キュートなカノジョ』は現代だからこそ伸びた曲に見えます。
サムネイルを見るだけでも、なんとなく時期はわかるような気がしますね。
というような話が、この前の『ボカコレ』生放送で多少出ていたので、全体の流行とか、ボカロ文化の趨勢みたいなものを、ざっくりとサムネイルを軸にしながら振り返っていこうと思います。
2007年8月~ ①黎明
2007年8月31日、初音ミクが発売されました。これがVOCALOIDという歴史における最大の転換点といってもいいでしょう。初音ミク以前から「VOCALOID」というソフト自体は存在していた……というのは、ボカロの歴史を一度でも調べたことのある人なら知っていることだと思いますが、しかし、VOCALOIDという文化が花開いたことに、初音ミクの功績が最も大きいことは、言うまでもないでしょう。
それに先んじて、8月29日にはデモソング『星のカケラ』がニコニコ動画に投稿されます。
発売直後には、『初音のアクエリオン』(9月1日)、『you』(9月12日)といったカバー曲が投稿されます。また、Otomaniaの『Ievan Polkka』(9月4日)が投稿され、初音ミクの名前がニコニコ動画に定着します。
この動画は、もはや今となってはわざわざ振り返ることもあんまりない「初音ミクにネギを持たせる」のきっかけになった動画です。
これには『ロイツマ・ガール』という元ネタになった動画があるのですが、今回は割愛します。本来ネギを振っていたのは『BLEACH』の井上織姫なんですよね。
明らかにサムネイルに傾向がありますね。
特に最初期は、黒背景または単純な背景に、KEIが手掛けたこの公式イラストを右に配置したサムネイルが最も一般的な形でした。
おそらくはデモソングの動画を模倣したものが広がっていったんだと考えられます。
同年9月にはOSTER Projectの『恋スルVOC@LOID』、azuma『あなたの歌姫』、ika『みくみくにしてあげる♪』、kz『Packaged』などが公開され、オリジナル曲も少しずつ制作されるようになっていきました。
ここでもやはり、KEIの立ち絵、またはロゴを配置する一枚絵という形式が支配的です。この時代はまだ動画サイト自体が出てきたばかりの時期で、だれでも簡単に動画が作れるような環境ではありませんでした。複雑な動画を作るのは難しいので、動かない動画ばかりでした。
また、ファンアートも多くはありませんでしたから、一枚絵も公式のものを使うものがほとんどです。
あるいは、同じ構図にすることで、「このシリーズの動画だ」とわかりやすくする意図もあったかもしれません。
まだみんな初音ミクとかボーカロイドって名前に慣れてませんからね。
10月くらいになると、イラスト素材も潤沢になってきたり、自分(や、仲のいいイラストレーター)で絵を用意したりして、サムネイルの「統一感」は薄れ始めます。
『ミラクルペイント』など、紙芝居っぽい、「PV」と呼べそうなものも付き始めます。OSTER Projectの動画は、ボカロオリジナル曲のPVの走りかもしれませんね。
また、「歌詞を表示する」という動画も出てきますね。
これは、オリジナル曲が発達したことによる変化といえるでしょう。
「一枚絵+歌詞」の形式が、便利な手法として広がり始めます。
とはいえ、ヒット曲の中にも、歌詞が見えない動画も多くありました。この場合、動画への投稿者コメントで歌詞が補完されていることが多いです。
2007年12月~2008年 ②拡大
同年12月、「年末の怪物」が現れます。
12月7日、ryo『メルト』が投稿。初音ミクの歴史について語るにあたり、この動画に触れられなかったことはただの一度もないでしょう。初音ミクというものが完全に「ニコニコの文化」として定着したと明言できるのは、この楽曲のおかげといっても過言ではありません。
この曲の衝撃的だった点は、「初音ミクが歌わなくても良い」曲だったこと。
これまでに目立ってきた曲は、「電子の歌姫」とか、「歌うソフト」という側面に注目したものでした。しかしこの曲がヒットしたことにより、「初音ミクの曲は、別に初音ミクのための曲じゃなくてもいい」という認識が広がりました。『あなたの歌姫』『みくみくにしてあげる♪』などが典型例ですね。
『メルト』には、「うp者は中二病」というタグがついています。
別にメルトって中二病っぽい曲でもない、単にかわいいポップスって感じですが、そもそもこの時代には、「初音ミクにオリジナルのラブソングを歌わせる」というその行為自体が、中二病っぽい行為ととらえられていたのだろうと推測できます。
これをきっかけに、曲のテーマは一気に広がります。
また、人間が歌ってもいいので、歌い手とボカロ曲の距離も接近しました。
今となっては、歌い手といえばボカロ曲をカバーする人という印象が強いですが、2007年のニコニコ動画においては、アニソンやゲーソン、あるいはニコニコメドレーを歌うのが一般的な歌い手の姿だった……というのは、そもそももう老人でないと知る由もない歴史です。
halyosyとガゼルという二人の歌い手の「歌ってみた」動画がものすごい伸びを見せ、これは原曲の伸びとあわせて「メルトショック」事件と呼ばれます。
え? ボカロの畑の人はそもそもhalyosyを歌い手として認識していない? そうかも……
メルトショックは、ボカロブームの黎明を象徴するできごととして語られますが、実は「歌い手」という存在の方向性を変えてしまったという点でも、大きな事件なんですね。
(残念なことにガゼルverは削除されています)
2008年になると、『メルト』の影響もあってか、曲のスタイルは前年よりも多様化します。
サムネイルのトレンドは「オリジナル一枚絵」。
しかし、そのサムネイルに映るのは初音ミクに限りません。
2007年12月21日発売、鏡音リン・レンが仲間に加わります。これにより、「ボカロ曲」のサムネイルは初音ミク一辺倒ではなくなるのですが、しかしやってることは大きくは違いません。『ココロ』『恋は戦争』のように、一枚絵が多少動くというような形式もみられるようになりました。この辺は技術の成熟というか、進歩ですね。ニコニコ動画解説から一年経って、慣れてきたのかもしれません。
外れ値として、dorikoの『夕日坂』『letter song』があります。
誰ですかこの人たち?
数年後には「初音ミクの登場しないミク曲」みたいなのも当たり前になりますが、この段階では非常に珍しい動画です。
時を同じくして2008年には、「PVつけてみた」、いわゆる二次創作のPV動画が注目されるようになります。
ぱげらった『ねぎだけでじゅうぶんですよ』が好例でしょうか。
骨盤Pの『StargazeR』にストーリーを付けたPVです。ぱげらった氏はいわゆる「ストーリー楽曲」ではない楽曲を取り上げて物語動画風に仕上げる手法で、良作をいくつも手掛けています。東方界隈ではかなり有名人な気がします。私事ですが、ぼくが東方にハマるきっかけになった人です。
絵師がPVをつくるにあたって、「ストーリー」性というのは重要なのかもしれません。
ストーリーを感じると、描きたくなる。そこに鏡音曲はぴったりとハマります。男女二人一組というキャラを活かした、ストーリー仕立ての曲が多かったのです。
『悪ノ召使』『悪ノ娘』に代表される、「鏡音三大悲劇」が有名ですね。
そのため、絵師によるPV動画が目立つようになります。
当初は二次創作でしたが、それに注目したボカロPがスカウトして、公式動画を手掛けてもらうようになる……というようなパターンもありますね。
2009年 ③成熟
2008年12月に投稿された『炉心融解』は、曲担当のほかに「動画担当」がいる分業体制で作成された動画です。音楽をニコニコ動画で公開するためだけに自分の手でmp4にする……のではなく、「動画も含めてひとつの作品」という形へと進化しました。
そうなると、当然、紙芝居にとどまらず、そして一人で作るわけではないので、コストが上がり複雑になっていく……という話と言い換えることもできます。当時の水準で、『炉心融解』みたいにぐりぐり動く動画は衝撃的なものだったといえるでしょう。
簡単にいえば、「PVが動き始める」のがこの時代の特徴です。
『ダブルラリアット』『ぼくらの16bit戦争』などがこの流れに追従します。
また、『ぽっぴっぽー』『LOL -lots of laugh-』のように、「プロのアニメやん」みたいなアニメーションも現れます。
まあLOLに関してはプロなんですけど……
四次元Pは、最初にボカロを商業的な流れの中に組み込んだ人……のうちのひとりなんじゃないかな。商業的な流れを組み入れることによって、同人・遊び場的な性質の強い場であるニコニコにおいては頭ひとつ抜けた完成度を誇りました。
『LOL -lots of laugh』はリアタイしてない若めのオタクにとっては知らない人も珍しくない作品だと思うんですけど、これマジですごいんで見てほしいです。初音ミク登場から2年(2009年8月)でこれが出てきたって驚異的じゃないですか? まだ商業進出なんかほとんどしてない、オタクの遊びだったボカロ界隈で、プロ集めてこれ作るの、ズルでしょ。
というわけで、全体的に技術が向上し、「動画担当」に象徴されるように、動画全体のクオリティが求められるようになっていきました。2007年には実験的な音楽という側面が強かったですが、それ自体に慣れてきたんだと思います。「ただボカロである」ことだけではなく、「よい音楽」「よい作品」であることが求められるようになってきたのでしょう。
2007年~2009年 ③-余談 立体
『3DみくみくPV♪』などを起爆剤に、楽曲とは独立した、二次創作の動画という形で3Dの文化も発展していました。
この動画、2007年に出たってことが信じがたいですよね。こういう動画は本来特殊技能で、誰にでもできることではありませんでした。
ちょっとするとMMDが出てきて、もっと一般の市井にも3Dを扱う技能は広がっていきますが、それでもボカロの本流とは少し異なった場所に文化を形成することになります。ボカロ曲の公式動画のPVにおいて3Dが活躍することは、そこまで多くはありませんでした。流行した楽曲ではMitchie Mの諸楽曲くらいですかね? また、非公式PVではTreowの『Chaining Intention』などが伸びましたね。
これらの表現は、やっぱり特殊技能という側面が強く、限定的に活躍を続けました。Tripshotsの『Nebula』といった画期的な作品も生まれ、芸術的な進化を遂げます。とはいえこれも再生回数としては100万再生を超えていませんでした。という意味では、界隈のそれ以降の歴史に与えた影響は大きくはないというべきでしょうか。それはそれとしてNebulaの映像はすごいです。ドロリッチなう。
2009年~2011年 ④鬼才
音楽のクオリティも向上し、音楽としても「ボカロ音楽」みたいなものが確立されていきます。市民権を得始めたといってもいいですね。
その顕著な例がハチとwowakaです。「黎明期」と「カゲプロ世代」の間となる時代、この二人によってボカロの文化の輪郭が大きく左右されることになります。
この二人が「天才」であったことは言うまでもありません。ハチに至っては、ボカロの枠を越え、日本のポップス全体を代表するような、文句なしに日本の現代の音楽を牽引する存在になりました。この二人の圧倒的な音楽性によって、「ニコニコのオタク文化」とか「n次創作」みたいなネットミームとしてのボカロだけではなく、「音楽としてのボカロ」を確立しました。
「音楽としてのボカロ」って何でしょう? ここでは、ちょっと意地悪な言い方をしてみるとわかりやすいです。脳内に、2010年くらいのボカロの台頭に眉をひそめるアンチを想定してみましょう。「いかにもボカロっぽい音楽」のパブリックイメージとは? と聞けば、彼はこのように答えるでしょう。
・人間に向かない高音
・人間に向かない高速
・ダークな曲調
・性か死をテーマにした歌詞
そして、最後に「みんな同じ曲ばかりだ」と悪態をつくでしょう。
↑ ボカロっていうか、それは裏表ラバーズじゃない?
つまり音楽的に見たボカロらしいボカロのイデアというのは、『みくみくにしてあげる♪』でも、『千本桜』でも、『メルト』でもなく、『裏表ラバーズ』なのです。少なくとも、ボカロをあんまり聴いてない層から見た「ボカロらしさ」というものは、wowakaによって確立されたのです。
一方でハチは、シンプルなサムネイルのwowakaとは対照的に、どちらかといえば猥雑、装飾過多な動画で、自身の世界観を表現しました。
こいつも早くて高くてダークな雰囲気で、何言ってるかわかんない歌詞(だが、どうやら薬物など、アングラなものをモチーフにしているっぽい)ですね。
ここで確立された「音楽性」によって「ボカロ曲性」が担保されるようになった。
それによっておこった最大の変化は、「サムネイルから初音ミクが消えた」ことです。
「音楽としてのボカロ」が共有されることで、初音ミクという偶像がなくても、「これはボカロ曲ですね」という認識ができるようになったといえそうです。
逆に言えば、特に2007年のメルト以前なんかは、初音ミクが出てくるどころか、似たようなサムネにすることで「これがボカロっていうやつですか」とわかってもらう、というような効果が狙われていたと推測できます。でも今や、そんな統一感は必要なくなってしまった。
『マトリョシカ』など代表曲にはボカロが映っているため一瞬気づきづらいところはありますが、『Mrs.Pumpkinの滑稽な夢』『リンネ』など、ハチの曲もけっこうミクがいません。wowakaについては、言うまでもないでしょう。(Mrs.Pumpkinの滑稽な夢はミクか……? いやでもオレンジ髪のミクってだいぶミクのイデアから離れてるよな……?)
また、キャラクター性が薄く、調声がしやすいとされたGUMIも流行。GUMIの登場しないGUMI曲もけっこうありますね。
2011年~2012年 ⑤陽炎
初音ミクがいなくてもウケるぞ! やったー! 自分のオリジナルストーリーを展開するぞ! うおおおお!
→バカウケ
ということで、2011年には『カゲロウデイズ』が投稿。オリジナルストーリーを軸にした連作動画シリーズ、いわゆる「プロジェクトもの」が台頭し始めます。当然の帰結ですが、ここではサムネイルに初音ミクたちボーカロイドが映るのではなく、オリキャラが目立つようになります。後を追うように、『終焉ノ栞』『ミカグラ学園組曲』など、オリジナルストーリーのテーマソングみたいな形式の楽曲がたくさん現れました。
このプロジェクト系の作品群は、これまで積み上げてきたボカロ文化が広まってきたこともあり、これ以前のボカロの歴史においては最も大きな支持を得た作品群となった……いわば、最も「知名度のある」作品群になったといっていいでしょう。多感なティーンを中心に、莫大な支持を受けました。ぼくは99年生まれの現在23歳ですが、同世代で当時ネットをやってた人はほぼ全員カゲプロにハマっていたといっても過言ではありません。
ぼくは悪い意味でネットに浸かりすぎていたので冷ややかに見ていました。そういうとこだぞ。
それ以前の世代、たとえば2007年の黎明期にボカロを追っていた人たちとは、ファン層が大きく異なっていたということがいえます。老人たちは、このプロジェクト世代を目の敵にしているところがあります。
初音ミクがボカロ曲のサムネから消えていったことを、あるいはそれ以前の「初音ミクありきのボカロ曲」にあふれた世界観が崩れたことを、オリキャラストーリーであるプロジェクト系の楽曲の侵略によるものだと解釈しているからです。
ボカロよりストーリーのファンである……みたいな若年層が、それまでのファンの空気を塗り替えてしまうほどに増えたという点では間違っていませんが、しかし、ストーリーを描く連作自体は、それ以前にも存在した表現方法だったはずです。カゲプロが流行して居心地が悪くなってしまった老人たちが、必ずしも『悪ノ娘』や『*ハロー、プラネット。』も同様に嫌っているイメージはありませんよね。
じゃあ、「プロジェクト世代」の表現は、それ以前のものとどこが違うのでしょうか。おそらく最も大きく違うのはファンの層で、これが居心地の悪さの根源なのですが、ここでは表現方法、作り手側のほうから見てみましょう。
2009~ ⑤の続き 服飾
プロジェクト系台頭の前のストーリー系コンテンツは、あくまで初音ミクの意匠を用いた作品群として出力されていました。ぼくはそれを「アバター」とか、「コスプレもの」と呼んでいます。サムネイルにも、ボーカロイドのキャラクターを思わせる意匠で登場するんですよね。
KAITOが好きな人はガレリアン・マーロンを好きになることも多いだろうけど、
GUMIが好きだからといって八坂ひみを好きになるわけではないですよね。
オリジナル世界観を広げる作品群は、『メルト』以降どんどん広がっていきました。これは2009年頃から流行した形で、代表的なのは『千本桜』とかがわかりやすいと思います。確かに歌われている舞台とかはオリジナルの世界観で、初音ミクそのものをモチーフにしているわけではありませんが、出てくるのは初音ミクの見た目をしたキャラクターである。そこで「初音ミク性」を担保しているといえそうです。
本来こいつらは初音ミクではない(初音ミクは軍人ではないし、)ですが、初音ミクとして受容されているわけですね。しかし、このプロジェクトの時代からは、初音ミクっぽい意匠そのものが減るようになります。
オリキャラが目立つようになったのは事実ではあるものの、別にカゲプロが先駆者っていうわけではありません。たとえば、cosMoの『少女の空想庭園』、くちばしPの『森之宮神療所☆』などが、黎明期からオリジナルキャラクターを用いた作品として発表されてきました。(森之宮神療所☆に関しては経緯がやや特殊ですが)
また、「ボカロ曲を軸にしてオリキャラのストーリーが展開していく」というプロジェクトを成立させたのは、おそらく『護法少女ソワカちゃん』シリーズが最初でしょう。2007年の段階で、オリジナルの世界やストーリーを紡いだという独自性には目を見張るものがあります。
が、特にリアタイしてない人からすると、これらの曲を知るのは少し難しいかもしれません。上記三曲はどれも50万再生程度で、確かに話題曲ではあったのですが、世代を代表する曲というほどにはなりませんでした。これは、この時代においては、まだそれだけ「初音ミクから独立した」表現というのを受け入れる土壌が整っていなかったためと考えても良いと思います。時代を先取りしすぎていた。
カゲプロに代表されるプロジェクト系の楽曲は、別に表現として新たな時代を開いたというわけではないでしょう。しかし、それが広く受け入れられ、全体を巻き込むムーブメントとなるためには、ハチやwowakaといった「音楽だけでボカロとみなせる」ようになる変化を経ないといけなかったのかもしれません。いわば、「時代が追いついた」わけですね。
そういう意味では、老人たちが目の敵にするべきなのは、wowakaなのかもしれません。そもそも同じボカロのオタクなのにどうしてお互いに目の敵にする必要があるんですか? 返す言葉もありません。
次回予告:2013~2016!
だらだらしゃべってたらもう8000字を超えていました。
というわけで、ひとつの記事で何万文字も書くのはいくらなんでもユーザーフレンドリーではないと思うので、三部構成に分割します。書きあがり次第「中編」が出ます。
ネクストコナンズヒントは「衰退論」です。デュエルスタンバイ!