こんな世界でいいのか
こんな世界で本当にいいのか。この暴力は私たち自身の心をも傷つけていることを知らないで。
パレスチナ・ガザ地区は、封鎖下でインフラも止められ、破壊され、逃げるところなどないところに圧倒的武力で攻撃されている。そんなことが21世に許されるなんて、人類はいまどこにいるのか。
深い問題のルーツは昔年の暴力の積み重ねにあり、とてつもなく大きな構造の不公正の痛みの中にあり、それはパレスチナ以前のからのものなのかもしれない。
誰かを傷つけ、命を奪うことは、どの側であっても肯定できるものではない。でも、いまそのつけを負わされている人たちの命を感じてほしい。命の重みの不公正。誰の命なら泣き、誰なら泣かないのか。
国連は、ハマスおよびイスラエル国防軍による市民への無差別攻撃は「戦争犯罪」に該当するとし、国連の専門家は、敵対行為の緩和、人道的回廊をつくることや、根本原因の1つとも言える「イスラエルによる占領の終了」を明確に求めている。
国連安保理の常任理事国は全く機能していないが、数日前に、非常任理事国10国が、イスラエルによる占領が違法であることを共同で訴えており(日本も15カ国の非常任理事国なのだがビデオには姿は見えないような)、特使もこの点を安保理で改めて訴えている。
心ある国際人たちは、人道支援の扉を閉じることは許されないと何度も何度も訴えている。
いま、私の心をもっともよぎるのは、人権法や国際法の解釈を相手によって完全に変える大きな国たちのこと。それに有効な手段を打てない世界の体制。世界で「先進国」と言われ「民主主義国家」「法治国家」と呼ばれる国が、信じられない行動をとり、事態を悪化させている。
罪のない犠牲者に心寄り添うのは当然のことだと思うけれど、G7のうちの5つの国(アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、イギリス)が、国際法を無視し、国家として「戦争犯罪」(と国際機関が明示)しているイスラエルにすぐに、「揺るぎない結束した支持」を表明した。
それは人道に反しないのか。もう1つの側の市民の犠牲者(はるかに数が多い)には心寄り添わないのだろうか。それはどうして?レイシズムなのだろうか?それらの国は、「法治国家」と呼べるのだろうか?(日本も場合によって法の解釈を変えてくるとしたら、それは本当に危険だ)
世界のトップの国たちが、この世界の秩序を壊しているように見えて仕方ない。何がそこにあるのか。それでは世界は壊れていくばかりではないのか。その歴史を何回くり返してきただろうか。
近年、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる国が、巻き込まれたくないと大国のからんだ決議に「棄権」する動きも増えてきているが、この世界の構造はもう立ち行かないのではないのか。どうしたらいいのだろうか。国際政治や国際法の専門家がいたら知恵をほしい。
国際法や人権法を守らないということは、人間の尊厳を守る基盤を、リーダーたちが自ら破壊しているということだ。それはいつか、めぐりめぐって、誰の命も守れないものになるのに。彼らの国にだって、国際法や人権法が適応されなくなるかもしれないことなのに。
政治家たちの利益は市民とは違うところにあるのかもしれないが、いわゆる(特に”西”側に多いような)教養人と思われていた人たちさえも、いま冷静さを失っているようにも見える。え、この人が?というような人が、大きな解釈でいうと、人の命を奪うような側の発言をしたりもしている。
簡単に言ってはいけないのかもしれないけれど、これは集団トラウマなのではないかとさえ思えてきた。
自分の発言や行動が、世界の不公正をかえって推し進め、そのはてに誰かの命を追いつめることに加担していないか、自制の念をもって、私たちも一呼吸おかねばいけない。
パレスチナ以前から続くであろうその大きな何かに、どうやったら向き合え、癒せるのだろうか。もし癒しをテーマにしている人がいたら、教えてほしい。
そして、オンラインでは偽情報、誤情報、あおりがあふれる。たとえば、アメリカ大統領は、確認も取れていないのに、40人の赤ちゃんのことに触れた。(米政府筋があとで、このことは確認できていないと発表)
同時に、もし同じように小さな命に思いを寄せるなら、ガザ地区に50000人はいるとされる妊婦にも思いを寄せてほしい。5500人は今月出産を控えている。
どちらの子どもたちにも、今と違う未来があってしかるべきだ。
立ち返るのは、いかなる状態でも国際人道法や人権法は守られるべきだということ。「人権」という観点なのではないかと思うのだ。
それが不平等な状態であること、誰かを人間扱いしないこと、それこそが、今のこんな世界をつくり出してしまったのではと思うのだ。
75年前に二度と悲惨な世界大戦を起こさないという名の下に、「世界人権宣言」を先人たちが叡智を結集し、練り上げた。(多国籍メンバーで、女性のリーダーたちも複数参加)反対票は1つもなかったそうだ。
世界人権宣言がどれほどの社会の基礎であるかを感じ始めている。世界における自由、正義及び平和の基礎と明記され、採択したすべての国が達成すべきこととされている。
谷川俊太郎さんとアムネスティ日本の訳のやさしい日本語での「世界人権宣言」がわかりやすいので参考に。
この人権に反していることに関しては、誰に対しても等しくNOと言える人間でありたい。
これは地域の問題だけではない。(パレスチナ問題以前からつづく)大きな人権侵害の構造をいかに世界が長年変えてこようとしなかったか、その痛みに向き合ってこなかったのかの問題なのではないかと思うのだ。
そして、本当に世界の体制はこのままでいいのかと、もし何の制約もなかったら、どんな世界になったらいいのかを真剣に考えていくことが、いまの状態を嘆く私たちが、未来を変えていく道には不可欠なのだと思うのです。