【県民性】青森の「黙るマナー」、大阪の「喋るマナー」
北海道出身の私は、今まで青森、大阪、東京、佐賀、香川と住んだし、全都道府県に友達がいる。
その結果、思う。
青森と大阪ほど、特徴的な県民性はない。
どんな特徴かはまた別の機会にするとして、今回はとくにコミュニケーションの特別性について話したい。
誤解を恐れずに言えば、この二つの府県は、コミュニケーションにおいて、とにかく真逆であると思える。
黙る青森と、喋る大阪。
一言で言うとその違いだ。
これは単純に、青森の人が無口で、大阪の人がおしゃべり好き、と言う話ではない。
青森では、「黙るマナー」があり、大阪では、「喋るマナー」がある。
そんな真逆の違いがあるように思う。
たとえば、青森で結婚式場のバイトをしていたとき、結婚式というのは料理を持って行くタイミングなど待ち時間があるのだが、みんなで裏で待機していた時、恐ろしいくらい毎回「シーン」としていた。
札幌で同じバイトをしていたときは、みんな初対面でも「どこの学校?」とか、「何歳?」とか、なんとなく誰とはなしに、会話が始まっていたのに。
青森の人は、仲良くなるとおしゃべり好きだけど、初対面だと、自分から話さない人が多い。
「人見知り」というのとは少し違うかもしれない。
こういうときに「話さない」が、フツーのことなのだ。
逆にこれ、大阪だと、めちゃくちゃ話すだろう。
大阪の人はとにかくよく喋る。
初対面でも、よくしゃべる。
知らない人でも、街中で普通に話しかけてきたりする。
だけどこれもまた、「おしゃべり好き」というのとは違う気がする。
大阪では「喋る」のがフツーのことなのだと思う。
勝手ながら思うに、これは「こうするべき」という常識が、お互いに違う気がする。
そしてお互い、そうすることが暗黙のマナーでもあると思う。
青森では、喋らない時は、黙っていても別によかった。
無理に沈黙を埋めるために話す必要はなく、黙りたければ、黙っている。
そして、無理に頑張って喋らないというのが、ある種相手へのマナーでもあった。
黙りたい時は黙ればいい、しゃべりたいときにしゃべればいい、というマナーがあったように思う。
しかし一方で、大阪では、喋るのがマナーであるように思う。
そしてしゃべるのは、相手が沈黙して気まずい思いをしないように、気遣って喋ってくれるのだ。
コミュニケーションを円滑にするために、喋って緊張状態を緩和するというマナーであるように思う。
どちらがいいとか、悪いとかではない。
どちらが心地よいかが、たぶん大阪と青森では違うのだ。
青森では、喋らずに黙っていてもいいという、心地よさがあった。
下宿のおばさんの部屋にいて、ぼーとテレビを見て、何人もいたのに誰も何も喋らないけど、ほっとする時間がそこにはあった。
大阪では、お母さんたちと喋るときに、みんなが和気藹々と話してくれる心地よさがあった。
沈黙なく、楽しい雰囲気を、みんなで作ってくれている感じがした。
もちろん私は青森でも大阪でも、周囲の数十人と仲良くなったくらいのものなので、それがすべての府県の県民性だとはいえないし、絶対的だとも思わない。
これは単なる私の「感じ」という漠然としたものだ。
だけど、そう考えれば、青森の人が大阪に行って、あまりに喋ることに居心地の悪さを感じたり、大阪の人が青森の沈黙に居心地の悪さを感じたりしないですむかもしれない。
地域によって、心地よさのマナーが違う。
そんな違いが、漠然とある。
だから、ここでは馴染めない、なんてすぐに思わずに、その心地よさの違いに気づくべきだ。
そうすれば、きっとその土地の居心地の良さは、グンと変わるものなのだ。