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七転び八起き 私の人生物語り



はじめまして

はじめまして
起業して30年目を迎える株式会社りのパソコンサポートの
「みやざきのりこ」と申します。
まずは自己紹介がてら、私の今日に至るまでの経歴をお話しさせていただきます。

現在の主な収入源

  • 法人のITサポート

    • ホームページ管理

    • IT技術サポート

    • SNSコンサルティング

    • 社員研修

  • 個人事業主伴走型コンサルティング

    • 起業をしたいシニア女性のサポート

    • WEBサイトプロデュース

    • SNSコンサルティング

    • 起業スクール運営

    • ITサポート全般

ようやく自分が思い描く事業形態になりつつあります。
ここまで来るには山あり谷あり谷底あり、プライベートもいろんなことがあり、本が3冊は書けるのでは・・・と思うほど波乱万丈な人生です。

実際にまだ1冊ですが、電子書籍をアマゾンで販売してます。

売上推移

  • 本格起業前:年収200万あるかないか

  • 起業当時:年商1000万~2000万

  • 次男出産時:月収5万円

  • 復職:年商2000万~4000万

  • IT革命:年商1000万を切る

  • 店舗閉店、法人成:年商1000万~2000万

  • 次男大病、コロナ:年商500万を切る

  • WEBマーケティング参入:年商1000万を超える

  • 現在:かつての最高年商に近づいている

パソコンとの出会い

始まりは離婚から

起業のきっかけは「離婚」です。

26歳で社内恋愛の末、寿退社(死語)し、すぐに長男に恵まれました。
お相手も同じ年齢で、今思えば少し若すぎたのでしょうか。
遊びたいお年頃、独身の頃からおモテになる方だったこともあり、出産後間もなく彼の浮気が発覚しました。

半年ほどもめましたが、最終的には「調停離婚」となりました。
お陰で慰謝料分割で200万円、養育費4万円を18歳まで、滞ることもありましたが、「調停調書」があったことで最後まで受け取ることができました。

若い私にその知恵はなく、家族の支えと応援がありやり遂げることができたのは、今でも感謝ですね。

お決まりの保険の外交

結婚当初から、私たち夫婦は私の実家に居候していた。
父は単身赴任で年中不在、母と姉、そこに私たち夫婦と長男が同居していた。
夫はマスオさんだった。

同居に至った経緯は、夫はとても人懐っこいタイプで母や姉に気に入られ、「お金がある程度たまるまでは同居しては?」との提案にホイホイと乗ったのである。

家事全般を私が引き受けることで、家賃を入れることもなく、若い夫のお給料でも十分にやっていけた。
独身時代と変わらない環境で、のんきに過ごしていたが、いざ離婚したら途端に自分に自由になるお金がないことに困った。

慰謝料をもらってはいたが、そのお金は長男の将来の学費にするために絶対に手を付けてはいけないと決めていた。

働こうにも、バブルがはじけ就職氷河期と言われた時代。
何の能力もない、乳飲み子抱えたシングルマザーをどこの会社が雇ってくれるというのか!
何社もエントリーしてみたが、全て不採用だった。

どうしたらいいのか・・・と思いあぐねているときに、母が懇意にしていた保険のおばちゃんが訪ねてきた。
私がバツイチになったことを知り、「ちょっと遊びにおいで!」と営業所に連れて行ってくれたのが始まり。

よくあるパターンで、私はそのまま保険の外交員となったのであった。

保険の外交は基本給は安いが、成績次第では報酬がどんどんあがる仕組み。
子どもがいても大丈夫!
誰でも出来る仕事だから!とおばちゃんに言われ、就職できるなら、と入ることにした。

後から知ったことだが、新人のうちは自分や身内から契約を取るので、重宝され、連れてきた本人にもボーナスが入るようだった。

しかし、保育所が決まるまでは、おばちゃん数名が交代で長男の面倒を見てくれて、シングルマザーにはもってこいの仕事なのだ。
感謝している。

しかしである・・・
営業などしたことのない私にはかなりハードルが高い仕事だった。

担当の会社にお昼休みにお邪魔して飴やガムを配る。
それらは全部自分で購入するのだ。
保険の外交は「個人事業主」になるそうで、全て経費になるから、と言われたが、飴やガムを配ったり、契約したらお礼のプレゼントをするという悪習に(当時はそう思っていた)気持ちがついていかなかった。

「のりちゃんは若いから~、でもな~お礼の気持ちやねんで!」と言われたが納得できなかった。

そんな状態なので、契約は取れず(奇跡的に数件はとれた)、子どもの学資保険に始まり、自分の個人年金、姉、母のボーナス付き保険、親友も助けてくれたが、手持ちのカードがもうない・・・

一生懸命やってはみたものの、うまくいかない。

良いこともあった。
保険の外交は朝礼に出たらあとは自由!ということを利用し、私は次の手を考えた。

簿記の資格をとる

この先を考えたとき、「会社の経理」は食いっぱぐれがないように思えた。
お局のお姉さんが経理を握っている!という、どこで仕入れたかわからないイメージがなぜかあった。

資格を取れば何とかなるのではないか?と考え、資格取得に特化した○○学院に入った。

あろうことか、タイムカードを押したら、学院へ通い久しぶりの学びに夢中になっていた。

当然、契約はとれるはずもなく、、、

最初に誘ってくれた支部長さんが成績をつけてくれたりしていた。

ほんと、なめてましたね。

恩師に呼ばれた

保険の外交の古い営業体質に嫌気があり、長く続けられないと悟ってはいたので、簿記2級の資格をとるまではそう長くかからなかった。

プロに学ぶとはすごいと悟った。
まるっきり知識の無い私が、3級は3か月で取得、2級も半年かからず一発合格することができた。

合格するための勉強方法をガッツリ学ばせていただいた。
さすがに1級はかなりハードルが高く、レベルが違い過ぎて断念したが、求人では簿記2級を取っていればエントリーできるところが多かった。

ところが、実務経験がない。
就職氷河期に、資格だけで乗り込むのはやはり厳しい状況だった。

そんなとき、卒業したビジネス専門学校の英文タイプの先生から声がかかった。
これからはパソコンの時代、サブ講師を探している。

  • 卒業生である

  • 資格をとっている

  • そこそこちゃんとしたところに勤めていた

  • 今も何かしている

それらの条件に合った私に白羽の矢がたったのだ。
パソコンのパの字も知らない私だったが、専門学校の先生になれるなんて!
社員ではなく、個人事業主として1講座いくら・・・という契約だったが、当時としては破格の1講座(50分)4000円の報酬だった。

断る理由がどこにあるというのだ!
しかも自宅から車でわずか5分!(車通勤OK、当時中古車を1台所有していた)

さっさと保険会社を退職し、パソコンの見習い講師として教壇に立つことになった。
もう1度言うけど、パソコンのパの字も知らなかった。


講師として働きだす

先生って本当に先生?

早速パソコンの先生として教壇に立つ日々が始まった。
といってもサブ講師なので、メインの先生が講義する中、学生の横をウロウロしてサポートに回る。

Windows3.1の時代だったが、学校ではワープロとMS-DOS(ウィンドウズの前)での授業だった。
MS-DOSでは、LOTUS123(表計算ソフト)を起動して簡単な計算式を入れる程度。

ワープロはわかるけど、MS-DOSがさっぱりわからない。
表計算も意味不明。
メインの先生が説明するのを誰よりも真剣に聞き、頭フル回転状態で学生の質問に答える。
下手したら学生の方がよくわかっているので、「先生ってホントに先生?」と言われたこともあった。

見かねたメインの先生が、余っているコンピューターを1台貸してくれた。
当時は1台50万円以上するのは当たり前だったので、ありがたかった。
大きなディスプレイと本体を持ち帰り、暇があれば練習を重ねた。
今でも捨てられない「MO-DOSってなんどすか?」という書籍が私のバイブルだった。

実はメインの先生も怪しい?

練習を重ねるうちに、OSとアプリの関係なども理解してきた。
LOTUS123、一太郎など当時主流だったアプリの役割もなるほどね・・・とわかってきた。

LOTUS123は、結局は計算式をどう組み立てるか、そこが一番大事。
パソコン操作も大事だが、求める数字がどういう数式で導かれるかを理解していないと厳しい。

例えば、100円の商品で消費税10%だったとしたら、支払金額を求める際に
100×1.1=110
100+100×0.1=110
100×0.1=10 100+10=110

どれも正解。
どの式を使うかは、その人のセンスというか能力になる。

そこに関数も入ってくるので、ある程度の基礎学力がなければ上手に扱うことができない。

ある時、学生から質問があった。
メインの先生の答えがおかしいと。

確かに無駄な関数が含まれ、意味のない式になっている。
指導側は、それぞれのアプリの特性までも把握しておくべきことで、算数が弱い人はLOTUS123の指導は向いていないと悟った事例だった。

余談だが、職業訓練校でExcelの授業をしていた際に、消費税を求める計算ができない人が多いことに驚いた。10%=0.1というところにたどり着かない。年齢関係なし。
基礎学力って大事。

アプリで大事なこと

  • ビジネス文章ならワード

  • 表計算ならエクセル

  • プレゼンテーションはパワーポイント

  • 写真編集はフォトショップ

  • イラストならイラストレーター

など、それぞれのアプリには役割がある。
操作方法がわかったとて、そもそもビジネス文章の構成を理解していないとワードの特性を活かした指導ができない。

操作だけを教えるのか、知識も含めて教えるのか、講師として差が出るところだ。
そのあたりは今の仕事にも大きく影響していると思う。

収入面

この当時の収入は1週間で15講義(15時間)ほどだったので、20万~25万円ほどだったと思う。

保険会社の営業のことを思えば、少ない時間で安定した収入。
単価が高いことが生活にゆとりをもたらす、個人事業主っていいわーとつくづく感じた。

保険会社のときの基本給は12万でそこから社会保険料や経費を引いたら、成績が付かなければ10万ほどしか残らなかった。

知人の紹介で事務員で正社員という話もあったが、基本給が14万円とのことで、とてもじゃないが子どもを満足に育てていくのは無理だと思った。

母子家庭手当が4万円、夫からの養育費が4万円だが、このお金は長男の将来のために使ってはならぬ!!と貯金していた。

次なる可能性を求めて

専門学校の講師は、パートとしては良かったけど、この先ひとりで子どもを育てていくには心もとない。
個人事業主なので、何の保証もない。

長居できる場所ではないと2年足らずで見切りをつけた。
若い学生と交流を持つことは楽しくはあったが、私自身が未熟ゆえ、的確な指導もできていなかったと思う。

退職と同時に人材派遣数社に登録した。
職種は

  • 秘書→実は独身時代は製薬会社の重役秘書をしていた

  • インストラクター→ワープロ、英文タイプ

この2つで登録した。他に実務経験もなかったので仕方ない。

単発の仕事はちょいちょいあった。
秘書での正社員を狙っていたが、数社面接しては条件が合わずに脱落。
私自身の問題もあったと思うが、母子家庭ということがネックになったことはあったと思う。

  • 残業できますか?

  • 子どもが病気のときは看てもらえる人はいますか?

今だとアウトの質問だけど、採用側にしたら、そうだよね・・・

単発のワープロの仕事はちょいちょいあったので、それらをこなし日銭を稼いでいた。

起業への第一歩

大手人材派遣会社から届いた一通のDM

この先どうしよう・・・と思っていた矢先、自宅に届いた一通のDM。
それは登録している人材派遣会社からだった。

開けてみると
「あなたのパソコン教室のオーナーになりませんか?」
説明会のご案内

そんな内容だった。
結論からいうとまさにこれが起業のきっかけとなった。

何となく気になり説明会に出向く。
そこに現れたのは大スクリーンに映し出されたスーパーマリオ!


そう、あのマリオだ!
マリオがピョンピョン飛びながら、アルファベットをゲットしている!
勘の良い人はお気づきかと・・・。

衝撃のスーパーマリオ

タイピングソフトだった!
今では当たり前に数多くのタイピング練習アプリがあるが、当時はハンマーで頭を殴られた気分だった!

私がタイピングを練習したのは古い映画に出てくるような英文タイプライター!
先生がカセットデッキを教卓に乗せてテープを流す。

♪♪♪(女性のアナウンスで)
アメリカンA(エー)
スペインS(エス)
デンマークD(ディー)

音声とともに、タイプをパチパチするのだ。(;^ω^)

そら(@_@)やわ!!

げげげーーー!
なにこの面白そうなの!!
やりたい!!
私がやってみたい!!

これは子どもにうけるに違いない!
これはやるっきゃない!
今やらないでどうする!

フランチャイスに参画

この計画は電話回線のNTTと人材派遣のパソナが合同会社を設立。
※現在はありません

  • インターネット回線を一般家庭に普及させたい

  • パソコンのできる人材を多く育てたい

そういう目的で設立されたのだ。
パソコンが一家に一台あればいい方だった。
一般家庭にパソコンを普及させることを目的に、気軽に習えるパソコン教室のフランチャイスオーナーの募集だった。

実は「フランチャイズ」という言葉を私は知らなかった。(;^ω^)

参加の条件は次のとおり

  • 自宅の六畳一間を貸してください

  • 講師の資格を取るための試験を受けてください(無料)

  • 講師としての研修を受けてください(無料)

  • 必要なハード、ソフトは全てご用意します(1台あたり確か2000円?)

  • 授業に必要な什器備品は全てご用意いたします(ほぼ無料)

  • 講座と教材はご用意いたします(販売用教材1名分数千円)

  • 宣伝のためのビラを1教室9000枚配布します(無料)

  • 赤字だったらハードソフトの費用は不要です

これ、何かリスクある?
今ではありえない夢のような条件だったのです!
当時、それが夢のような条件だとはつゆ知らず、これなら

  • 自分のペースで仕事ができる

  • 自分のがんばり次第で収入がアップする

  • 長男が熱を出しても何とかなりそう(実際ここは厳しかったが)

私はこう!と決めたら即行動。
行動というより衝動。

実家はマンションだったこともあり店舗をするにはさすがに無理があった。
説明会の帰り道、私は近所の不動産屋に足を運んでいた。

まだ、試験も受けていないのに・・・

つづく






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