自分って実はものすごく普通の人間なのかもしれない
学生時代は「変わってるね」と言われたことが多かった自分も、今は普通に働いて普通の幸せを求める、普通の人間になりました。
最近、私は自分が思ってたよりずっと普通の人間なのかもしれないなぁ感じるんですが、それに対してすごくホッとしているというか、安心している自分がいます。
あんなに普通が嫌いだったのに、今は"自分が普通だと思えること"が幸せで、ずっとこんな感じがいいなぁと思うようになりました。
=====
ルールが多い学生時代は、とにかく自由になりたいと思っていました。とにかく、よくわからないルールが多かったじゃないですか。スカートの長さはここまでとか、眉毛剃っちゃいけないとか。
それ自体が嫌だったのはもちろん、それを強制する先生たちに何より嫌悪感を持っていました。そしてそれを当たり前のように守っている周りを見て、こんなところにいたくないと思っていました。
それなりの進学校に行って、大学に行って、就職する。とりあえずそういう普通の道は嫌だと思っていました。今自分がいる環境が"普通"だと決めつけて、安直にとりあえず普通じゃない道が良いと思ってたんですね。
みんなが地元の高校に行く中、アメリカに留学し、留学生の友達が日本の大学に戻る中、アメリカの大学に進学し、みんなが外資系や銀行に就職する中、ベンチャー企業に就職しました。
みんなと違った道を選ぶことが多かったため、「自由人だね」「変わってるね」と言われることが多かったです。
これは、人によっては自慢にも聞こえるかもしれませんが、自分にとってはどちらかというとコンプレックスのように感じていました。自由に生きてるくせに、自由に生きることに不安を感じていたというか…
もちろん「普通が嫌」という理由だけで意思決定をしていたわけではないですが、原動力としてそれが大きかったのは事実です。
当たり前ですがそのせいで結構大変だったこともあり、大学卒業するまではとりあえず必死で頑張ってた気がします。英語が好きだったとは言え、アメリカ人に混じって授業受けるのは普通に大変でした。
そんな学生時代を経て今に至るわけですが、私は日本で就職してから、あっさりと普通の社会人になりました。
=====
OLとして会社で働いて、お昼は同僚とランチ行って(今はリモートなので家ですが)、帰りはたまに居酒屋行って、そうでない日は自炊して…
いつのまにか、かつて自分が嫌悪していた"普通の人"になっている自分がいます。
今は"普通の生活"がすごく居心地いいと感じます。むしろ、普通であることこそ幸せなんだと感じます。
会社に勤めて、みんなと同じ道を歩むことが、全然嫌だと思わなくなりました。
結局は、周りの人間が好きであれば、周りの人間と一緒の道を歩むことはむしろ幸せなんだということですね。
本来自分が普通だと思えることはとても幸せなことなんですね。
今思えば、自由になるとがむしゃらに頑張っていた時は、普通であることの安心感をどこか求めていて、なんなら普通の人を羨んでいたんだと思います。
「普通であることになんの違和感もなくて、生きやすそうだな」と。自分もいつかそうなりたいなと。
=====
以上、実は自分ってすごく普通の人間だったんだ!と思った話でした。
これが丸くなるということなのかな?丸くなったという表現もしっくりきます。
こんな感じて、普通の幸せに感謝しながら生きていければいいなと思います!