2024/10/20 の下書き

喉が熱くなってきて視界がぼやける。だめだ、ここは学校なんだ、まだ泣くな。幸い今は自習の時間で私を見ている人はいないし、私は音一つ出さず涙を流すのも得意だ。けれどもし泣いたら今着けているマスクが濡れて感づかれてしまう。かもしれない。学校には特段私を気にかける人なんていないが、同級生はこういうことに関しては鋭いからなぁ。

困った。かといって今のこの悲しみを消化し切れるほど私は大人じゃない。とりあえず突っ伏して寝たふりでもしておいて、涙を拭う役割はカーディガンに譲ろう。そう思った時だった。私が1番信頼していて、尊敬している人の文字が目に飛び込んできた。だって仕方ない。受験生の私は、落ちた暁には親子共々一緒に死のうという親の言葉を受け流せるほど強くはなかったし、私一人で自分の存在を肯定できるような強かさもなかった。だから私は、私が1番信頼している人が、私の可能性を信じてくれている(もしくは完璧にそう演じてくれている)ことを通して、自分自身を信じることができていた。その人が私のために書いてくれたやることリスト、それを毎日お守りがわりに持ち歩いては、日々の勉強のお供にしていた。北風と太陽のお話のように、私はいくら酷いことを言われようがそれで泣くことはないが、温かい言葉には弱かった。今の私にとって、弱点というのはその人であった。だから、その人の手書きの文字を見た時、心が堪え切れなくなって、涙が落ちてしまった。

一度泣き出してしまったのなら、そこからは私のターンだ。人前で誰にも気づかれずに泣く才能は、小6の時に開花して以来健全なのだ。私は、必死に自習しているふりをして、それでも涙が止まらずに落ち続け鼻水も出てきそうだったから、まるで何もないかのような顔で教室を出てトイレに行き、鼻をかんだのだと思う。繰り返しすぎて無意識に行動できるからあまり覚えていないけれど、多分そうだ。一時期は泣き止む練習も沢山したが一回も思い通りに泣き止めたことはないので、私はひとたび泣き出したら自分では止められない人だと結論を出した。だからこそこの一連の流れが身に染み付いてお得意技となった。

さて、その後のことだけれど、私はその次の授業は何食わぬ顔で受けたし、別に誰にも何も言われなかった。先生もいない自習時間にトイレに行くことは、何一つ不自然じゃない。涙が落ちる瞬間には真下を向いていたおかげで、マスクも濡れなかった。そうやってこの日の私の悲しみも、毎日の生活に流されてずっと薄くなってしまう。振り返った時には、きっともう覚えてもいないような、そんな出来事になるだろうから。なら私が今、「私」として確かに生きていたということも、いつかはどうでも良いことになってしまうのだろうか。そう考えると今は時間が過ぎていくのが、少しだけ怖い。


そしてこの下書きには、『急に怖いほど悲しくなって』というタイトルがつけられていた。

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