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54.猿田彦は実在した。その2
53回からの続きになります。
青葉神社の片倉宮司さんに進められて、青葉祭りで猿田彦役をやることになったのですが、衣装を試着してみたところ、お面をかぶるとほとんど足元が見えないということが判りました。
以前の方はお面を首から下げていたそうです。更に大変なのは、高下駄をはいて歩くことでした。やはり以前の方は歩きやすいように、シューズをはいていたとのことでした。私もそれに倣うのかと思いきや、片倉宮司さんが高下駄を履くようにと、数十年前にお祭りで使用していたという高下駄を出してきました。
その言い方が強制的だったのです。
その時、「あっ、政宗公だ」と気づきました。普段の片倉宮司さんは、他人に強要することなど一切ない方ですので、その時の言い方で政宗公が指示したのだと判ったのです。
どおりで、その年の2月か3月頃から、通勤するのに、電車と地下鉄を使用していたのですが、電車が天候にとても左右されるので、仙台駅の地下鉄乗り場まで歩いていたのです。約三十分の道のりを毎日歩いていたので、脚力がついていたのです。お祭りの時は、高下駄をはいて往復四時間歩かねばならないのです。
まさにそれを見越して通勤に歩かされていたのでした。
このように、自分が気づかないうちに、ミッションをさせられていたのです。
私が歩いた二年間は、政宗公が計画していた何かを実行するために、私の猿田彦役が必要だったようです。
そのように、猿田彦役をやったのですが、自分の過去世で猿田彦だったなどとは微塵も思いませんでした。
実際に青葉祭りで猿田彦役で歩いたのですが、とにかく恐怖でした。足元が見えないし、視野も狭い範囲しか見えないなか、街中のタイルでは高下駄が滑るし、小さな段差に驚いたり、始めは見えないから誰かエスコートしてくれるはずでしたが、いざ本番となると誰も近くに居なくなり、途中からは開き直ってガンガン歩きました。
高下駄を履いての教訓。長く歩いていると、下駄の歯が少しづつずれてきます。気付かずに歩いていると、歯が抜けるので注意です。歩く前に霧吹きをしておくと良いと教わりました。
そんな大変な中でも不思議だったことは、次の日には筋肉痛になると覚悟していたのですが、まったく疲労も筋肉痛もありませんでした。神様のお仕事は本当に守られるのです。
さて、まだ自分が猿田彦だったとは気付かずにいます。ここまで読んで下さりありがとうございました。次回もお楽しみに、感謝いたします。