47.前前世因縁
私の前前前世は安倍晴明だったとお話ししました。では、私の周りに集まってきた人達の場合はどうなのか、ちょっと調べてみました。
以前ノートに書いているので、簡単なお話しから始めますと、伊達家の家臣であった遠藤基信が当時、伊達政宗公の母の義姫様の制止も聞かずに自害してしまい、今世で義姫様の墓に行った時に、脂汗の出る苦しみに遭いました。
その時から、遠藤基信の転生である仮称遠藤さんは、夢で過去の映像を視るようになり、誰かの指示を受けるようになりました。
そんな遠藤さんが、しきりに私たちに福島の医王寺に行くように言ったのです。
私とノートのメンバーでもあるヒルデガルドさんがその医王寺に行ってきました。ヒルデガルドさんの前世は、政宗公の娘で当時の私の茂庭綱元に払い下げられ、私の娘となった津多です。津多は後に原田甲斐の母親となった慶月院でした。一応ヒルデガルドさんと呼びます。
医王寺は佐藤兄弟が、源義経に味方して若くして亡くなった、お墓のあるところです。そこには、その悲しみに暮れた母親の乙和御前の墓もあります。そこの椿の花は、蕾のままで咲かずに散ってしまうということです。乙和御前の嘆きの椿「乙和の椿」です。
そこへ行かされた理由が解りませんでした。後でヒルデガルドさんが佐藤兄弟の弟だったことが解りました。ヒルデガルドさんの苗字が佐藤でしたので、なるほどと思ったのです。
このヒルデガルドさんには、前世の津多の魂だけではなく、政宗公の母の義姫様の魂も入っていることが解りました。なぜかヒルデガルドさんが遠藤さんにきつくあたることがあったのです。
このように、今世での人間関係で他人に対してきつくあたる人がいますが、原因不明の場合は、前世の体験が影響していることがあるかもしれません。
こうしてみると、人生とは過去世の影響も強く受けながら生きていることが解ります。ですからシンプルに生きようとしても、思い通りにはならない人生になるものと思われます。
そして更に前世が判明して、遠藤さんは基信の前は、佐藤基治でした。医王寺に行った後にはわからなかったのですが、数年後にわかったのです。
なぜ判ったかというと、遠藤さんはいつも「俺の名前は藤原だ」と言っていました。その名前が気に入っているようで、その名前を使いたがるのです。
あまり気にしていなかったのですが、最近何かの調べものをしていたところ、佐藤基治は福島の信夫地方を治めていて、後妻に乙和子という女性を娶り、その子供たちが源義経に味方して、若死にしたと判ったのです。
佐藤基治の名前に、遠藤基信の「基」の字が入っているので気付きました。資料によっては、「元」の字を書いたり、「春」の字を書いたりしています。そして乙和子は乙和御前のことで、親は奥州藤原氏の娘でした。
つまり今世の遠藤さんは、800年前に憧れた藤原の姓を名乗りたがっているのです。
更に人物特定の後押しとして、遠藤さんの娘さんは、瑠美ちゃんといいますが、医王寺の山号が、「瑠璃光山」といいます。遠藤さんは、娘のルミちゃんを連れて毎年陸奥国分寺跡の薬師堂の祭りに行っていました。このお薬師さまの正式名称が、「薬師瑠璃光如来」です。更に、佐藤基治が福島の信夫を治めていた時、陸奥国分荘も治めているのです。
このように、現代では過去世が誰であったのか、調べる情報が沢山出ています。それは取りも直さず、自分を見つめるときの参考になります。今世の人生だけではわからない自分の行動を起こす原因が過去世にあることがあるからです。
最後になりますが、政宗公の母の義姫様の過去世が乙和御前でした。このことはつい先日判りました。
今回も読んで下さりありがとうございました。少しでも何かのお役に立てれば幸いです。感謝いたします。