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67.諏訪大社での面白い体験

前回の続きです。
片倉宮司さんを乗せて諏訪大社まで行きました。車には4人乗っています。詳しい目的など聞かずにただ運転していた私です。交代要員として、以前お話ししました前世が遠藤基信の仮称遠藤さんがいました。彼は時々前世を映像で思い出しながら、ボソボソと独りごちてました。

「昔は湖がこの辺まで来ていたんだよな」と、大社の境内入り口のところでボソッと言いました。そこまで水があったら、現在の町がほとんど水没してしまいます。私は諏訪湖の昔を調べていないので、何とも応えようもなく聞いているだけでした。

諏訪に一泊することになり、ルイスソテロさんはそこから帰りました。もともと一泊する計画だったようで、私と仮称遠藤さんは同じ部屋に泊まりました。
部屋の窓からは諏訪湖が見え、ちょうど夕方で湖面が輝いていました。仮称遠藤さんはその湖面を見ながら、「勝頼と船で湖の真ん中にあるお宮にお詣りに行ったんだよな」とまた独りごちて、昔を懐かしんでいました。

またまた、私の不勉強のため諏訪湖の真ん中にお宮がどのようにあったのか、まったくわからず、それに勝頼とはもしかして武田勝頼のことなのかと、グルグル空っぽな頭の中を探ってみましたが、湖の反射する光の玉が飛び込んでくるだけでした。
後にもう少しお勉強をしたところ、仮称遠藤さんの前世の遠藤基信がまだ伊達家に仕官していなかったとき、もともと福島の郡山の修験寺の息子でしたから、修験者として全国を放浪していたころの話しのようでした。
勝頼は、やはり武田信玄の息子の武田勝頼のことでしたが、遠藤基信が訪ねた時は、諏訪勝頼として、諏訪を一時期治めていたことがありますので、その時のことだと思われます。

仮称遠藤さんは、特別に歴史の勉強をしているわけでもないのに、驚くような知識を持っています。しかし、その知識は資料を読んで学んだものではなく、すべてインスピレーションで教えられるもののようです。
そう考えると、人間の持っている能力にはすでにすべての知識が備わっているのかもしれません。私の体験でも、テレパシーで相手の心が分かることが何回かありました。ただ、意識して分かるのではないところが未熟なところなのですが、ですからかなり昔はテレパシーや霊界と意識的につながることができたのだと思います。
以前何かでお話ししたことがあるのですが、「初めに言葉ありき」と言われるようになってから、人類は伝達手段としての文字を必要とするようになったのだと思います。

仮称遠藤さんも、そのような能力が少し開けてきたのでしょう。

さて、諏訪大社に話しを戻すと、私の初体験のお話しをします。別にニヤリとするような体験ではありませんので、大したことではないのですが、諏訪大社の拝殿の横にある杉の木に話しかけられただけのことです。

諏訪大社の神楽殿では、片倉宮司さんたちが奉納の行事のために列座していたので、私は遠巻きに眺めていました。その時、後ろから誰かに声をかけられたような気がしました。

「あれ、誰だろう」

後ろを振り向くと、誰もいませんでした。拝殿の横の杉の木々があるだけです。私は木の陰に誰か居るのかと近づいて行きました。しかし、誰もいません。大社の木々は年月を重ね立派に育っていました。私は何気に一本の杉の木に左手を押し付けて、「こんにちは」と言いました。するととんでもないことが起きました。

境内の杉の木たちが一斉に、「こんにちはー」と返してくれたのでした。私は驚くよりも嬉しくなって、「立派なお社ですね」と拝殿を見ながら言いました。すると杉の木たちは、「お社は山ですから」と言ってきたのです。私は改めて拝殿を見回すと、奥に2本の丸太が立てられて、その奥が山であることがわかりました。私は言葉を発しないのですが、杉の木たちが私の心を読んで、分かってくれたと、ざわめきました。

私はその時すごく嬉しくなりました。それから特に話しかけることもなく、行事が終わってから皆に伝えたのですが、あまり反応がありませんでした。人は、自分の想像を超えるようなできごとには、無反応になるようです。

世の中には、私と同じ体験をしている方が実はかなりいらっしゃることが後でわかりました。お花だったり、天然石だったりと、私を超える体験をしていた方に出会うこともできました。その方は、誰にも打ち明けたことはなかったと言っていました。私がこのノートに書いている目的の一つに、そんな不思議な体験をしながら、誰にも言えずに悩んでいる方がおられれば、仲間がいますよ。というメッセージの発信になればいいなと考えています。

今回もこんな感じの、おかしなお話しでした。もちろん、作り話ではありません。すべてが私の体験談です。
ありがとうございました。読んで下さり感謝いたします。


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