今私が、ヒステリーを起こす子のためにできること
私は、成長の過程でヒステリーを起こすことがあった。
ヒステリーとは・・・
今回は、そんな自分を振り返り、今の自分ならどうするかを考えてみた。
1.ヒステリー女になる時
ヒステリーになるのは必ず家の中で、小学生のころが一番頻繁だったように思う。
大きくなるにつれ減ったが、最後は二十歳の時だった。
『ヒステリー』という言葉が、私は好きではない。
私が自分でも訳が分からなくなるほどに怒り狂って叫ぶ時、母は「やかましいっ!ヒステリー女!」と言った。
そういう母が、私は憎かった。
家族のさりげない言動が変に気に障って、感情が昂る。
彼らにとっては何てことのない普通の会話だったのだろうが、私は居心地の悪さを感じ、爆発する。
母は私が何に怒っているのか、わからなかったのだと思う。
「あんたは難しい!わからない!」と言っていたから。
「ヒステリー」という言葉にさらに強く反応して、心が暴れる。
自分だって何が自分の感情を生むのか、その怒りの本質がわからず、とにかく、わからないのだ。
そんな時、寝室に入って扉を思いっきり「バンッ!」と閉める。
向こうの方で、母が「いい加減にしなさい!近所迷惑っ!!」と、叫び返すのが聞こえるか聞こえないうちに、布団の中に潜り、耳の中にぎゅーっと指を押し込む。
そして目をつむると、周囲をすべて無にするかのように、「ぎゃーーーーっ!」と叫んだ。
これは、私のできる最大の自己防衛行動だった。
外界刺激との隔絶。
このまま気持ちが治まるのを待つ。
もう、母を感じない。
「消えろ、消えろ、消えろ、みんな消えろ!」と心が叫ぶ。
自分の声を抑えていく時、周囲に音が聞こえる気がすると、自分のことを言われているかもしれないと思った。
悔しいような、ムカつくような感情がこみ上げてきた。
それを抑えようとして、もっと指を強く耳の中へ押し込んだ。
そして、そのまま眠ってしまうこともあった。
上手くキョロっと切り替えができるほど、器用でもなかったので、外界に復活した後も、自然となじむまでは口数を減らした。
母は、「何なの?不機嫌なやつだなぁ。」とブツブツ文句を言ってくるが、もはや、どうでもいい。
そういう状態の時、別に不機嫌ではない。
むしろ、機嫌は回復している。感覚も正常。
ただ何もなかったかのように振舞うのが恥ずかしいだけ。
ヒステリー前のコンディションに上手く戻れないだけ。
2.今私が、ヒステリー女のためにできること
もし、今自分の目の前に
子ども時代の自分が現れたとしたら、私は何をするだろう?
母のように「ヒステリー」とは言いたくない。
でも、優しい言葉をかけようが、力で止めようが、包み込もうが、すべてを蹴散らし、それを望まないことを知っている。
「ごめんね」と謝るのも違う。
他人の気持ちに敏感になっている時は、情を表されるのが辛いし、嫌なのだ。
多分、放っておく。
私の存在を感じさせないようにして、音も立てず、声も立てず、そっとしておく。
そして、
「発散する場があるのは幸せなこと。」
「発散するのが家であることも良いこと。」
と自分の中で頷く。
家族への怒りでキレているのではない。
感覚が過敏だからキレるのではない。
知覚したものを不快に思い、その感覚を得てしまう自分がわからなくてキレるのだ。
不快なものとして感じ取ってしまうものを減らしてあげること。
ただ、逆に無にしても不快を与えかねない。
おそらく、正解はない。
日々を見守ること。
心で見守ることなのかもしれない。
そう思うと、私の家族のメンバーは、
私と上手く付き合っていてくれていたと思う。
近くにいる人のありがたみを歪ませずにとらえる。
そこまで掘り下げることで、また一歩前に進めた自分がいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?