深夜の来訪者

「ふぇっくしゅん!」深夜の古ビルの二階から小さくくしゃみの音が聞こえる。大通りの一本裏にあるこの古ビルは三階建てになっており一階が骨董屋、二階に事務所が入っている。
「ふぁー。さっきまでの雨で体冷えちゃったかな…へくちっ!」
長髪の男はくしゃみをしながら、濡れて重い黒色の上着を事務所の床に脱ぎ捨てた。そのまま滑るようにボフッと、来客用のソファーに寝転がる。今にもその場で眠りそうだ。転がった男を見ながらもうひとりの黒髪眼鏡の男が近づいてきた。
「おーいー、ゆすら。洗濯もんそんな所に置いとくなよ。洗濯カゴに入れろっていっつも言ってるだろ」黒髪眼鏡の男が注意する。
「碧、ついでに持ってって〜」注意にもお構い無しでゆすらはそのまま転がっている。碧がイラっとした顔になる。
「だぁーっ!そ・こ・に・寝転がるな!寝るなら自分のベッドで寝ろ!あと、碧じゃなくて『先生』だろ。ったく…客でも来たらどうすんだよ」声を荒げながら床に脱ぎ捨てられている上着をゆすらの頭にバサッと叩きつけた。上着の水滴が飛散する。
碧に怒られ、渋々とゆすらは体を起こし、濡れた上着を丸める。

碧が『客』と、言うのも彼らは異能を使った探偵事務所を経営しているからだ。小さな事務所だが、家賃を払える程には儲かっている。
「それにしても今回の依頼、疲れました。港にいる警察に見つからないよう、売人の異能を調べて無力化しろだなんて。コレ、無茶振りですよ。全く…先月、青山組が突然潰されるもんだから裏の均衡がぐちゃぐちゃです。お陰でうちへの依頼も危ないものばっか。もうっ!割に合いません!」
不満を言いながら奥の扉を開け、脱衣所へ行く。きちんと上着を洗濯カゴに入れるとふかふかのタオルをニ枚持って戻ってきた。持っていた一枚を碧に渡す。碧は受け取ったタオルでわしゃわしゃと頭を拭く。
「危ないのを選ばざる得ない状況にしたのは、勝手に事務所の金を持ち出してギャンブルに使い、見事綺麗に一文無しになって帰ってきた苦為衣ゆすらという助手の所為だ」
碧がピシリと言うと、ゆすらは申し訳なさそうに、長い髪を拭いていたタオルで顔を隠して苦笑いした。
「あっ!それより、先生!首は大丈夫ですか?異能使っちゃいましたけどなんともないですか?」碧のチョーカーを指差す。
「前も言ったろ、このチョーカーは異能で人を殺さない限りなんともないって」
「けど前、チンピラに怪我させた時、首痛そうにしてたじゃないですか」
「あれはちょっと使いすぎただけだ。怪我くらいなら大した制限は起きねぇよ。あん時も今回もチクッと痺れたくらいだしな」自分の首を少し摩った。
「いやいやいや!それ大した事あるよ!そこに座って!今、久谷名さんから軟膏貰ってくる!」「あ、ちょっ…!」
ゆすらは碧の言葉も聞かず、いそいそと事務所のドアを開け、一階の大家さんの所へ軟膏を貰いに行ってしまった。
碧が身に付けている黒いチョーカーは異能の使用を制限する異能特殊道具で、主にふたつの制約がある。『異能使用による人への危害は加えない』『異能使用による殺人は犯さない』制約を犯した場合レベルによって電撃による制裁が加えられるようになっている。更に異能を使用すると自動的に然る機関に使用履歴が送られる。

パッタッタッと慌ただしく階段を上がってくる音が聞こえる。するとすぐ後ろからもう一つ足音が聞こえてきた。ガチャっと事務所の扉が開く。
「碧先生!今し方、一階にお客様がお見えになられたのでお連れ致しました。増田さん中へどうぞ」増田と呼ばれた中年男性を事務所の中へ案内する。白髪混じりの短くカットされた髪を後ろに流した髪型になんとも情けなさそうな顔。
ゆすらは増田を来客用ソファーまで案内し、お茶を淹れに奥の部屋へ行った。ゆすらに代わって碧が『どうぞ』と、ソファーに座るよう促し、碧も向かい合うように窓側に座った。
「はじめまして、増田様。浮気調査から人探し、ちょっと人には言えないご依頼までお力になれることならなんでも承ります。私、探偵の碧乖離と申します。本日はどのようなご依頼でしょうか」
形式張った挨拶を済ませると丁度ゆすらが奥からお茶を運んできた。増田と碧の前に置き、丸い木のお盆を持ったまま碧の隣に座った。
出されたお茶を増田は一気に飲み干し、話しを切り出した。
「実は薬を探して欲しいんです。私は製薬会社の販売員で最近新しく開発をした試験品をテスターの方の元へ運んでいたのですが、目を離した間に鞄ごと消えていまして…」
「なるほど、ご依頼内容はわかりました。ですが、紛失物なら警察に頼んだ方がいいのではないですか」一応の形式で警察への依頼を促す。
碧の言葉を聞いてうつむいていた増田の顔が途端に曇った。
「意地の悪いことを言ってしまい申し訳ない。安心してください増田様。この事務所に来た依頼は必ず解決致しますから」
ニコッと碧が微笑むと増田はひと言、お願いしますと言い頭を下げた。
「それでは、鞄の形状と鞄をなくした場所を詳しく教えてください。思い出せる範囲で結構ですので。ゆすら、記録を頼む」
「はい、先生」

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