![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/166628715/rectangle_large_type_2_da44cdfb197bb803625dc28784eb59f0.png?width=1200)
【顎変形症①】顎変形症を知った日
今回から、いよいよ私がnoteを始めるきっかけになった【顎変形症の治療】について書いていきたいと思います。(今回は治療よりも私の気持ちメインで書いています)
長くなるかと思いますが、顎変形症の悩みを抱えている方、手術を迷っている方、そのご家族の方の不安を少しでも払拭することができれば、と思っています。
⚠️ただ、私は顎変形症の専門家でもありませんし、記憶が定かではないところもあります。疑問・大切なことはお医者さんに必ず聞くべきだと思います。
これまでの私の矯正遍歴🦷
実は、顎変形症になる前に小児矯正をしていました。
小学3年生 小児矯正開始
中学2年生 小児矯正終了(歯並びは改善)
高校1年生 写真を見て顎の左右左に気がつく
高校2年生 矯正歯科を受診→手術しかないと知る
大学1年生 手術してくれる病院を探し、治療決断
大学2年生 術前矯正を経て、学年末に手術
大学3年生 数ヶ月に1度通院中
私は、父方の遺伝で歯並びが悪く、小学3年生の頃に小児矯正を始めました。中学2年生まで続け、歯並びはきれいに治りました🦷
顔の歪みに気がついたのは、高校1年生の夏です。(正直、"歪み"という言葉の範疇を超えていました)
私の高校では、夏休み明けに行事が集中し、写真を撮る機会が多くありました。その時、同級生に顎のずれを指摘されたことがきっかけで、自分の下顎が左側に大きくずれていることに気が付きました。
その時から手術するまで、この同級生の言葉は呪いでしたが、これがなければ、顔の歪みが目立つような笑い方をずっと続け、症状に気が付くのが遅れたと思うと、複雑な気持ちです。
なので、私が当時最も気にしていたのは、「噛み合わせ」ではなく、「見た目」でした。この時はまだ、噛み合っていないことによるストレスはありませんでした。
いつから顔が歪んでたの?
これは正直自分でも曖昧です。
ただ、小児矯正を終えた中学生の頃、母と矯正の先生が「上下の歯の中心が左右にずれていること」をやたら気にしていたのを覚えています。
当時は見た目に出ることはなく、自分では全く気にしていませんでした。
それが高校生になった頃には、口を閉じていても笑っていても、見た目ではっきりとわかるようになっていました。
高校生になって小児矯正の先生に診てもらったところ、「左右の骨の成長が違う」と言われました。
レントゲンを見ると、左側の顎の骨が短く、形も違い、下顎が左側にずれていました。
また、「そもそも左側のパーツが小さい」とも言われ、確かに目も左右で明らかに大きさが違いました。
私の場合、骨格や噛み合わせの問題は、父方の遺伝の可能性が非常に高いです(断定はできませんが、、)。それに加えて、成長や姿勢で骨格が歪んでしまったのかな、と今は思います。
頬杖をついたり、足を組んだり、一般的に身体が歪むとされているようなことは誰しも避けるのが賢明です。
ついに「顎変形症」を知る
高校2年生のとき、完全にコンプレックスの塊になっていた私は、母に頼み込んで、家族が通う矯正歯科に相談に行きました。(私も小児矯正はしていましたが、別の病院です)
そこでレントゲンを撮ってもらい、初めて歪んだ自分の顔の内部と対面しました。正直、「いやずれすぎ〜笑」と思いました。先生にも「こんなに酷い人は初めて見た」と言われました。
そして初めて「顎変形症」という言葉を教えてもらい、それが手術でしか治らない、しかも成長が落ち着く18歳以降に、という絶望的な情報も入手しました。
そして、話を聞きながら、大学生になったら手術することを自分の中で決めました。しかし、帰りの車でそう口にしたところ、母に一蹴されました。
「全身麻酔なんて危ないからだめ。手術なんて必要ない。考えてないから簡単に言ってるんだ」
本当に傷つきました。あんなに辛くて悩んでいる姿をそばで見てきたはずの母に全否定され、私の悩みを無視されました。私の身体の困りごとなのになぜあなたが「必要ない」と判断するのか、「考えていない」と決めつけるのか。最終的には、母も手術に賛成して協力してくれましたが、この発言は今も許していません。一生許せないと思います。
今思い返すと、高校生のうちにこの話を聞けたのが大きなターニングポイントだったと思います。「家族の縁を切ってでも手術をする」それを心の支えに、大学受験に専念するしかない状況になりました。
もし私のように治療を迷っている方がいたら、最終的には治療をしないことになるとしても、早めに専門家の話を聞くべきです。
まずは顎変形症について理解しない限り、本人も家族も手術の実施の有無を決断することはできないと思います。
コロナが終わらなければいいのに
私の高校生活はコロナと共にありました。修学旅行も体育祭も文化祭も部活の全国大会もなく、今思い出しても号泣できるほど心の傷になりました。
もちろんコロナを憎んでいます。
ただ一方で、コロナ禍がもたらしたマスク生活に救われた自分がいました。「コロナ禍ならマスクで写真に写れる」「みんなにずれがばれない」ので、時折どうしても嫌で嫌でたまらなくなったときに「コロナ終わらなければいいのに」と泣いていました。
それほど私にとって、「自分の顔を晒すこと」はコンプレックスでした。
高校の卒業アルバムを撮る前日には、「写りたくない」と泣き、結局みんなが撮影の列を待っている直前に嫌々登校しました。アルバムは配られた日に一瞬だけ開いたまま、今も一度も見ていません。高校時代の写真もほとんど見返しません。
大学の受験票の写真も期限の直前に半ば引きずられるようにして撮りに行きました。
悩んでいる方へ
私が”顎のずれ”に気が付いたのは、高校生の頃でした。ただ、この時は年齢的にも次のステップに進むことはできず、あくまでも「顎変形症だろう」という状態でした。
その間にコンプレックスは私の心をどんどん蝕んでいき、自暴自棄になっていました。
高校時代の私のように悩んでいる方に伝えたいのは、「あなたは気にしすぎなのではない。自分が気になることを他人に否定される筋合いはない」ということです。そして、その周りにいる方に伝えたいのは、「これは病気で、1番辛くて怖い中、真剣に向き合っているのは本人だ」ということ。(私の母は、手術前日まで私に向かって全身麻酔の不安をぶつけてきました。1番怖いのは私なのに)
これを忘れずに、治療をしてもしなくても、どうかご自身が納得できる道を選んでほしいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました🍎