私の親は、毒親です。 私は、そんな親から抜け出せそうにありません
わたしは23才、大学4年生です。東京に住んでいて、私立の大学に通っています。専門は、ドイツ文学です。元々、 広島出身で東京では親の援助を受けつつ一人暮らしをしています。お家は裕福ではなく、奨学金を借りて大学に通っています。親から愛されて育ってきました。親は離婚をすることもなく、3人の娘を育て上げました。そして私は、その3人目の娘です。しかし、私の親は毒親です。
親との関係に悩んでいます。 解決策は親と関わらないことでしょう。親の考えは変わりそうにないし、私の考えも変わりそうにありません。ただお家の事は嫌いではないし、 とても尊敬しております。ただ自分の人生を考えた時に親と関係を持つことは、デメリットでしかありません。親が日々怖く、 私は逃げることですか自分を守れません。
そんな私の気持ちは今日は綴りました。 働いたこともない学生であり、子供も育てたこともない23歳の未熟者ですが、 どうか子供としての意見を聞いていただければ嬉しいです。
私は親との関係に苦しんでいます。
「それって経済的な虐待だよ?あなたの親っておかしいよ」
私が私の親は毒親だと思ったのは、バイト先の店長の言葉だった。いつもお世話になっている和食屋さん。私はそこで大学1年生からずっとアルバイトをしている。 バイト終わりのまかないの時間がわたしの至福の時間。 美味しいお酒も出してくれる優しい親方。だからついつい色んな感情を話してしまう。 思っている自分の悩み、今日あった嬉しかったこと、美味しいご飯の研究、 バイトの業務内容による改善でももちろん、 いろんなことを話してた。
大学3年生の初めの春。親方に言われた。
「それって経済的な虐待だよ?あなたの親っておかしいよ。」
「・・・・・・・?」
いきなりのことで私は言葉を失う。今まで誰も私の親を否定することなんでなかった。なんならすごい自慢に思ってた。だって親は私の中で完璧な存在だったから。 親の通りに生きていれば私は幸せになるだろうと思っていた。そして親の通りにいきたいと思っていた。
そんな私に向かって親方は私の親をおかしい。と言った。嫌悪感しかなかった。 私の親は私の親。あなたに言われる筋合いはない。あなたにそこまでプライベートに干渉して欲しくない。 あなたはバイト先の親方であって、私のなんでもない。
「すげー失礼な人だ。マジでありえない。」
私は反射的にこう思った。こいつっていい家で育ってないからそんなこと簡単に言えんだな。って。 今考えると、全くもってそんなことはない。どんなお家で育ってきたってその人はその人だし、 親とか全然関係ない。
なのに私はその人に対してすごい嫌悪感を抱いてた。多分私を守るためだったんだと思う。 家の価値観の中で生きてきた私を否定された気分になったんだと思う。それも誰もクリニックこまないすごいプライベートな世界。 いつものようにお酒を飲んでいた。 だからこそいつも以上に嫌悪感をもってしまったのかもしれない。そのとき、感情が抑えきれなくなってしまって、怒ってお家に帰ってしまった。 何も言わずに。
その次の日、 私はバイト先に謝りに行った。
「感情的になってしまい申し訳ございませんでした。以後気をつけます。」
親方は優しく言ってくれた。
「全然気にしてないよ。今日も生きてくれてありがとう。バイトだってしなくていい。お腹空いてる?まかない食べていきなよ。美味しいのあるよ?」
私はその親方の言葉がすごく優しくて、心に染みた。大人の優しさを感じた。私はいつも感情的になってしまうけど、親方は何も言わずに優しくご飯おすすめてくれた。その親方のご飯はいつも美味しい。
そうやってご飯を食べてるうちに私の嫌悪感という感情が治まって言った。その時の感情は一時的に治ったのかもしれないけど、私の中で、親が本当に正しいのかどうか、疑問点をうむようになった。
普段毎日している 親へのLINE。
「おはようございます。今日は朝から学校に行ってきます。」
教えられてきたホウレンソウの大事さ。起きたことを報告し、 今日何をするかを報告する。大学に行かせてもらってるから、親に日々頑張ってることを伝える。それは義務であり必要条件だと思ってた。それはみんなやってることだと思っていた。だって親に支援してもらうと言っても、親は他人。 そんな子どもに多額の支援をしてる。家賃払って学費を払って、奨学金の保証人にもなって。
親と子供という関係しかないのに、お金をわんさかわんさかつぎ込んでる。将来そのお金が返ってくるとも限らない。なのにお金をつぎ込んでる。何か問題があれば時間を使ってその問題を解決して、家族行事みたいな恒例行事を毎年毎年して、に365日24時間お母さん業をして、お父さん業をする。私がやらかすとご近所ではお父さんとお母さんが責められる。
お母さんは、気軽に外食なんかしたことない。美味しいご飯を食べたいからって家族の家事をしないことなんてない。昔は可愛かったお母さんなのに、最近はオシャレも全くしない。ただ生きているって感じ。そんな苦しい思いをしてまで育ててくれた私。報告連絡相談もしない子供は許されるわけない。
せめて、お母さんの言う通りに生きることが今の母にとってとってもとっても大事なことだと思ってた。
そして母の日に毎年伝える。「育ててくれたありがとう。あなたの子供に生まれて幸せです。」と。
日々、意識するようになった両親への違和感
この事件があってから私は親に対して意識するようになってしまった。
言葉の節々が気になるように言ってしまった。
「わたしの親っておかしいのかな」と思うようになった。
家族の中で私だけ、親に対して敬語であること。
「おはようございます。 おやすみなさい。今お話ししても大丈夫ですか?」
「お金について話をしたいのですが、いつお時間がありますか?」
「習い事についてこれぐらいお金がかかるのですが、お金を出してくれませんか?」
親に対して、反抗してるってよという言葉を投げかけたことはないこと。
私はいつも親に対して敬語。親は怒ると私をコントロールしようとする。例えば経済的な面でコントロールしようとするし、周りからせめて何もさせないようにする。何かあればすぐ「あなたとは縁を切るわ。もういいわ。」と言われる。
23歳でも夜10時には必ず家にいなければいけない実家では門限というものがある。
10時に帰ると遅い。親は怒って鍵を閉めている。9時に帰るとギリセーフ。11時に帰るなんて絶対にありえない。「女がはしたない」と言われる。これは高校生とか中学生とかない話ではない。今、23歳の私に言ってくることだ。もちろん実家とは他人との共同生活。 に配慮しなければならない。だから遅く帰ってくるのがすごくストレスなのもわかる。でも、 お友達とご飯にも行きたい。でも私はいつも一次会で帰る。
親の気に入らない友達と縁を切らなきゃいけない。
大学生になれば、いろんな友達が出来る。みんなおしゃれをし始める。髪の毛を金髪にしたり、赤髪にしたり、奇抜なファッションをしてみたり。いろんな遊び方をしてみたり。いろんな勉強してみたり。海外に一人で飛び込んでみたり。いろんな人と出会う。いろんな自分になる。そんな人生を楽しんでいる人と私は関わっていたい。 けど親は気に入らない。
「人は人。うちはうち。世界が違うのよ。関わるのやめなさい。」
そんな言葉をよく言われていた。確かに、世界が違うといいほどお金持ちの人にもあったし、 こんなところで育ってきたんだって聞きたくなるぐらい面白い人もあった。世間一般でいう変わっている人っていう人にも会ってきたし、すごい天才にも出会った。みんな世界が違うのに、みんなすごい素敵に見えて、 素敵ななと思う人と関わっていたいのに、親に許されないことも多くある。昔からいじめられた人生だったのに。 学生の頃にやっと出来た友達だったのに。「人を選べ」と言われる。
「どうせ今大学で付き合ってる人なんて、社会人になった時に会うかわかんないぐらい無関係なのよ。そんな人なんて関わる必要ないわ」と言われる。
親の言う通りの服を着なければいけない。
私の家では、こんなははしたない服で外に出るべきではないと考えられている。だからタイトな服はもちろん着ないし、もちろん V ネックなんて着ない。最近流行りのゆったりとした服しか着ちゃダメ。短パンも駄目。「足が見えるじゃない。大学生らしくしなさい。そんなはしたない格好なんて知ったらダメよ。」実家にいる時にヒールを履くことはない。 私は普段着ている服を実家できることない。実家には実家用の服がある。少しゆるいストレートのジーンズと。丸首自分の体のサイズより少し大き目のTシャツ。
髪の毛の長さだって指定される。
「髪の毛の長いんじゃない?切ってくれば?」て言われて渡される2000円。私は小さい頃からいつもショート。それは親が言ったから。 ショートの方が楽だし、家の掃除しないじゃないあなた。家に落ちてる髪の毛を見るのが嫌なのよ。
「それに長い髪の毛って貞子だよ。汚いからやめなさい。」と言われてお家の近くの美容院めちゃめちゃ安い所で髪の毛を切る。前髪が長いのだって許されなかった。だからずっと親しての髪の毛だった。
もちろん化粧だって怒られる。
私の好きな化粧をすると「あんた化け物みたいだよ。家族だから言ってるけど普通だったら言われないよ。よくそんなんで外に出れるよね」って言われる。私は私でこれがいいと思ってる。 私のことを可愛いねと言ってくれる友達だっている。でも「ファンデーションだけでいいんじゃない?」と言われる。流行りの赤リップとか絶対許されない。 実家で黒いアイライナー引くことはない。そもそもアイライナーを引くって言って化粧が濃いって言われる。「色つきリップのピンク色でいいんじゃない?」って言われる。別に V 系みたいな結構濃い目の化粧してるわけじゃない。普通の女子大生の化粧してる。
だけど実家では許されない。
親が言った通りに結婚するものだと思っていた。
「清潔感がある成年でなければならないし、もともと地元で出身で地元で生きていく人しか結婚してはだめ。東京の男とか論外よ。」「もし探すのが大変だったらお母さんが探してあげるね。」てよく言われていた。 今も散々言われている。
毎週電話をするのだけれど、その最初に毎回言われる会話。「公務員試験受けるのよ。勉強しなさいね。」「はい、わかりました。」
家が失敗するといつもいつも言われる「母さんの言う通りにしないから失敗するのよ。あなた。母さんが言ったことをやって失敗したことがある?ないでしょう?」って。
私はいつも親に何も言えなくなる。
「すみませんでした。」
「反省します。」
「ごめんなさい。」
「次から気をつけます。」
今まで何千回に言ってきた言葉だろうか。
私の家族はすごく誇りに思うほどとっても優秀で暖かい家族です。ただ少しだけルールがあるだけで
別れがある。出会いがある。
毎日いろんな価値観と触れ合っている。すると自分の価値観もだんだん変化していく。自分のことを認められないかもしれないという不安感と戦いながら、私は日々生きている。
私は最初は自分の親を「毒親」と認めることはできなかった。私を大事に育ててくれた親。私をたくさん愛してくれた親。私のことを考えていろんな助言をしてくれる。私の幸せを願っているし私の不幸を一つも願っているわけじゃない。無償の愛を与えてくれる親。
悪い点なんてひとつもない。ただ愛が少し大きすぎるだけで。
また 誰一人として離婚をしていない。家族も経済的に困ってるわけではなく、日々一生懸命働く中で、地方では 成功した家庭の内のひとつだと思う。
今どき、親族一同で毎年餅つき大会をするなんてあるのかな。それも機械で餅つきやるんじゃなくて、臼と杵でみんなでつく。米も外で囲炉裏で焼くし、もちもしっかりみんなで丸める。
今どき、年に1回は親族が集まる。それもいとこもはとこまで集まり、新年をお祝いする。 いとこの子供まで仲良いそんな家族ってあるのかな。結婚式には親族は30人以上集まる。家族写真はすごい多くの人と一緒にとる。 この人とどんな繋がりなのかなって思っちゃう人もいる。サマーウォーズの世界にめちゃめちゃ近い感じ。
おじいちゃんが病気になれば、みんなでお見舞いに行く。毎日誰かが交代交替で入院してるおじいちゃんの顔を見に行く。今はおじいちゃんが透析に入っている。二日に一回行かなきゃいけない透析だけど、親族みんなで交代しながら送り迎えをしてる。それは半径5メートル以内に親族一同が住んでるから。一生懸命みんな生きてる中で少しずつ役割分担をする。
そんな家族どこにいるんだろうか。なんて幸せなんだろうか。 すごく暖かくて、すごく濃い関係。 今はみんな 核家族だったり、色んな所に住むのが当たり前になってきたり、お仕事で色々事情があったり、 親族の付き合いが薄くなってしまうことは当たり前にある。そっちの方が多いんじゃないかと思う。その中で私の家族は唯一親族の繋がりが濃く、幸せな関係を築けてるんじゃないかって誇りに思ってる。
そんな親族だからこそ私は人を愛することを知ったし人に愛されるということを知った。 日本の礼儀を学んだし、しきたりを学んだ。
「うちはうち。他人はたにん。」そう教えてられてきた私は、うちの家族のルールが全てだと思ってた。
ただ、私は、それが当たり前だと思っていた。
その世界がいいのかわからない悪いのかもわからない。ただ私はその世界の中だけで生きていくと思っていた。というかみんなそういう世界のなと思っていた。
でも、実際は違ったみたい。
近くに住んでいるのは、家族の要望があるから。
公務員になったのは、 家族が安定して欲しいと思っているから。
年に1度絶対顔を合わせるのは、行事的出来事だから。何が何でも仕事の都合をつける。
それはすごく幸せなことだと思う。そこで生きるのがすごく幸せなら。
みんな安定志向だし、安定志向であることにありがたみを感じている。 祖母は書道教室の先生だし師範で、一筆書いたら3万円みたいな先生。おじちゃんは空手教室の先生。おうち大きな柔道教室まである。でも、挑戦しているように見えて、安定の上の武力が余った時にしていること。
みんなの普段の職業は公務員。普通の公務員。 公務員の中でも功績を残し優秀な成績を作ってきた人たち。誰一人としてレールから外れることはなく、 人生を全うに生きている。それはすごく素敵なことだし恵まれていること。 その現実を作るために多大なる努力をしていること。そんなことは百も承知だ。
ただ、その幸せを守るためには制約がある。ルールがある。
それは近くに住むこと。 地元から出るなんて全くありえない。
安定した職業につくということ。
「大学は地元の国立に行くのよ?えらくていい子だからできるよね」
「地元の公務員は本当に楽。女の子なんだから楽な職業に就きなさい」
「結婚するんだから料理ぐらいできなきゃダメよ。勉強ももちろん大事だけど自分の生活ができなきゃダメ。花嫁修行だったらいくらでも手伝うわ」
今までなんだ言われてきたことか。何人か言われてきたことか。 ことあるごとに言われてきた。
「広島にいて、就職すれば、夕方から書道習いに来ればいいじゃない。」
「就職先紹介しようか?」
「いい人見つかったんだけどこの人どう?」
そんな会話があったら絶対ある。 顔を見ればすぐこの会話になる。というかその会話以外しないんじゃないかと思う。
「大学に行きたいんだけど東京に行ってもいい?」ていうことなんて家では許されない。
みんな進んで地元にいるのかと思っていた。みんな進んで公務員になってるのかと思ってた。でも本当は進んでそうなってたわけじゃなく、 選択肢が限られてた。
ただそれが幸せだった。その選択肢を選ぶことで豊かな生活ができ、家族も幸せになる。
私には、彼たちが、そうやって生きてるように私は見えた。
でも、私はその家族の中で完全に幸せだったとは言えない。
他人から見たら私はすごく恵まれているんだと思う。
「贅沢な悩みだね」 人に相談した時は言われた。
「なんでそんな環境に悩んでんの?」そんなこともたくさん言われた。
それはそうだろう。私は何で贅沢な悩みな思ってるんだろう。ただこんなつまらない贅沢な悩みに日々悩みながら自分の気持ちと葛藤している。
自分の気持ちを押し殺しながら、親の言うことを聞き、 ただ親の幸せを願い、家族の幸せを願いつつある、そして平凡な日常を送る。 真っ当に生きることが全て。
でも、本当に私の生活って幸せだったんだろうか。私の地元のイメージは”いじめ”だ
今までそう生きてきたけど幸せだったのだろうか。
私にはすごく辛い経験がある。今だからこそこうやって口頭で話せるけど、 あのときは現実がつらくてつらくてしょうがなかった。
それは小中学校のいじめ。身長が高かったのか。性格が悪かったのか。何が悪かったのか全然わかんない。ただいじめられた。
体にはアザができたし、人に歯向かうなんてことはまったく考えられなかった。勉強だけが承認欲求だったし、小学校の友達との思い出なんか一つもない。思い出って言うと牛乳かけられたことかな。髪の毛がショートだったおかげで洗うのが楽だった。
まだ私を覚えてきた人の名前は鮮明に覚えている。いつか辛い目に合わせてあると思う余裕なんてなかった。やりかしてやるってほど、気持ちを強く持てなかった。
このいじめを親のせいにするつもりではない。家庭のせいにするつもりじゃない。どうしようもなかった偶然なんだと思う。でも、親に助けて欲しかった。
いじめが発覚したあの時、私を一からスタートさえて欲しかった。
親の前ではただ「大丈夫」しか言えなかった。本当は次の日学校に行くのもつらかったし、小学校の先生にいじめられた子って見られるのもつらかった。いじめが発覚した後ももちろんイジメがなくなるわけじゃない。
いじめた子は確かに先生に怒られた。ただ日常に戻っただけだった。だってそれは一対一のいじめじゃない。クラスには見て見ぬふりをした人がほとんど。
誰も私の心配はしなかった。来てたのかもしれないけど声をかけてくれなかった。 だれも一緒にいてくれることなんてなかった。
確かに幸せの親族を私にはたくさんいる。ただ日常はそこまで共有してないのかもしれない。誰も助けてくれなかった。ただ親族は知らないふりをして私を普通の女の子だと思って接してくれる。
でも私がその時欲しかったのは、そんな対応じゃない。ただ大丈夫だよって言ってほしかった。学校行かなくてもいいよって。
「明日から学校行ける?大丈夫?」って聞かれたら絶対「大丈夫だよ気にしないで。」て言うしかないじゃん。そんな家族のことを大事にしてるから、家族に心配かけたくないってめちゃめちゃ思う。
いい子でありたいって思う。だからこそしんどかった。親族ので一つも助けてくれないと思った。というか深い関係ってなんだろうって。
こういう時助けてくれないのに普段いい格好をして、生活してるのってどんだけ辛いかわかってんのかな。
でもこんなことを親に言ったことはない。たぶん私がどんだけいじめられたこと知らないととおもう。大人になった今フラッシュバックをよく見ることも知らないと思う。
去年初めてお姉ちゃんと二人で長い旅行に出かけた。
その時にお姉ちゃんが聞いてくれた、私のいじめのこと。私のお姉ちゃんは5歳しか離れていない。だけど私がどんだけ残酷にいじめられとったことを全く知らなかった。全く知らなかったわけではないけれど、この私がいじめられ経験をしたってことこの2年前にしたらしい。同じお家にいても気づかないほど私は隠すのが上手だったのかもしれない。
「あなたと同じ気持ちにはなったことないし、いじめはて経験も全くない。だから辛いことも全くわからない。あなたの感情を理解することもできないし、話を聞くしかできない。」
そりゃそうだと私も思った。この話を Twitter ではよくしてるけど、家族が私のツイッターを見てるわけでもないし、 家族にいじめられたことを真面目に話したこともない。
ああきっと理解してくれないんだろうなって思ってる。というか10年前のことを言われてもどうしようもない。だからこそ親を責めるつもりはない。全く。ただこれからも責任は自分で取っていたい。
私はいじめられたことを親のせいにしたい。
あんな残酷な環境だったのに環境を変えてくれなかった親のせいにしたい。ひとつも気付いてくれなかった親のせいにしたい。塾でも人の目を気にするのが精一杯だった。 自分に自信を持てなかった。 コンプレックスまみれの人生になるくらいなら、親なんて貧困だった方が良かったと思っちゃう。
それぐらい昔の経験って強烈。
でもだからこそこれからの道は自分で決めたい。
自分の思った通りに生きたい。親のせいにしたところで私の気持ちは晴れない。 あの頃を思い出すとどうしようもなかった偶然なのかもしれない。
それにあんなに反対された東京での大学進学だった。
だけど、私の好きな友達もできた。もちろん経済的に価値観が違うとか、 家の考え方が違うとか、物事の捉え方が違うとか、 との違いはある。だけど、お互いを尊重しあえる関係。
私のことをわかってくれる。悪いところも全部知ってる。全てをストレートに受け止めてくれる。そんな友達。
私の頑張りを認めてくれる教授、 東京だったからこそ出会った人々たち。やっぱり地方とは違うこの情報感度の高さ。 ハングリー精神は凄まじいもの。
そんな人たちに私は魅力を感じるようになった。
そんな人たちが私は好きになった。そして私もそういう人達みたいになりたいと思うよ雨になった。家族とは違う。 今までの価値観とは全く違う人たち。
私はここで生きたいと思うようになった。
ここで認められるんじゃないかと思うになった。私が私であるために。
私の人生はここで使いたいと思った。そんな人達に会えた。
自分の親がどこ行って理解できるようになったけど、解放されるのはすごく難しい
親に怒られないように生きてきた。親に褒められるために生きてきた。このまま就職して、それなりにがんばって、親の指定の人と結婚して子供を何人か生み育て上げそして死ぬ。自分のやりたいことをしなくても、ご飯を食べれて住む家があって幸せそうに見える家庭があるって素敵だよね。
きっとね?
きっと?
本当にそうなの?私はそう思わない。思わないよ。しんどいよ。私はロボットでもないよ。なんでもない。
私にはここに幸せがあると思ってた。でも今は違う。家族と一緒にいても幸せになることはない。だって私はこう思ってしまったんだから。
私だって年頃の女の子。23歳だもん。人の家に遊びに行ったりもするし、外泊だってもちろんする。友達とご飯行ったりもしたいしお酒もたくさん飲みたい。だけど私の親はそれが気に入らない。
「学生は学生らしく生きていきなさい。」
そんなことをたくさん言われた。 私は親にとっての学生らしくっていう意味がわからなかった。たぶん想像すると、ある程度のおんな友達としか遊ばず、夜遊びは全くせず、おとなしい服を着て、おしとやかに話すことだと思う。
だって言ってた。私の入学式の時に。すごくおしとやかそうな女の子を見て
「あの子と友達になりなさい。きっといいことがあるわよ。」
「あの子みたいになれればいいわね」って。
砂壊す真面目ですごく純粋な子。お化粧ファンデーションぐらいしか塗ってないんじゃないかってくらいの子。私は母の日その子供には一生なれそうにない。
おしとやかなお嬢様みたいな子供にはなれない。
そんなかんやで大学 生活を謳歌していると、度々親に怒られる。
「あんた何してんの?なんで毎日連絡がないの?」
「仕送りいくらしてると思ってんの?何も連絡がないとちゃんと言ってるかわかんないじゃない」
一週間ぐらい連絡しないとこういう連絡が度々来る。確かに親にお金を支援してもらってるし、 マンションを借りる保証人にもなってもらってる。私は親なしでは生きていけない。
だから、親に怒られてもしょうがないと思ってた。
「最近頻繁に連絡していなかったこと」「外泊を何度かしたこと」を親に謝るためだけに、これから実家にかえらなきゃいけない。その交通費4万円をどうしても払いたくない。帰ったら家事でこき使われる。そんなことを知ってて私は実家に帰りたくなかった。
最初の大きな反抗だったかもしれない。ではすぐに謝って説得した。土下座も何千回もとした。頭を下げるだけでお金を出してくれるなら全然構わないと思ってた。
ただ今回だけはなんだか帰りたくなかった。もうこれ以上自分の時間を無駄にしたくなかった。もちろん。親にはラインブロックされ、家族ラインからも追い出された。帰るしかなかったんだと思う。
ちゃんとした実家に謝りにかえるって言うのが正解だったのかもしれない。
正直わからない。
今も連絡をしてない。2週間連絡がないのは初めてだ。
これからいつ家賃が止まるか、正直不安でしかない。
親のことが嫌いなわけじゃない。好きだし尊敬してるから「毒親」って言ってるの。じゃなきゃ、心にケジメがつかない
私はこの親からの言葉を全て普通だと思ってた。みんなやってるものだと思っていた。だって彼ら達は私の親。私を育ててくれてる親。大好きな親。尊敬している親。
彼ら達は私を愛してくれているし、 面倒も見てくれている。
そんな親を愛しているし、嫌いなわけじゃない。
私は親のことを大好きだしすごく尊敬してる。
ただ、今は、ちょっとだけ距離を置きたい。
でも、心が依存して抜け出せない。だから毒親。っていう言葉を使ってる。じゃなきゃ他人と思えない。両親の言うことを聞かないわがままな子供になる。
でも、今親に反抗したらって学生だからこそ安定した収入なんてない。マンションも1人じゃ借りられない。
だから、生きていこうにも親の大事さを知る。とっても偉大だと知る。一人暮らしを始めたときだってそうだった。掃除・洗濯・炊事全てをするには苦労しかない。
一人で寂しい家で過ごすことも親といれば感じられなかった。だから親といることの大切さをすごく感じた。 親がいたからこそのありがたみもすごく感じた。そしてたくさん愛されてたんだなっていうことも学んだ。
今は金銭的に支援をしてもらってる。
親からお金をもらうのは当たり前っていう人はいる。でも、 多額のお金をもらっている目からしては支援してもらってるっていう印象を持つ。親に対して大きな姿勢で出られない。
それはお金のを稼ぐことの大変さを理解しているからだし、私は人に無償でお金をもらうことから慣れてない。
だからやっぱりありがたいと思う。支援してもらってると思う。
ただ私も、 自分の道を選びたい。
これから、自分の選んだ道が正解じゃないかもしれないし、 必ずしも私が幸せになるかわからない。ただ私は私の選んだ道を進みたい。
私の感情をどうしても大事にしていきたい。ロボットのように生きていくのは嫌。
だから、 そろそろ親から離れたい。距離を置きたい。話をしたくないわけじゃないけれど、依存関係から抜け出したい。そのためにお金は必要だからやっぱり社会人になることが大事って言われていることもとってもわかる。
だからこそ私は自分でお金を今すぐ稼ぐ方法を身につけたい。
東京出身者は毒親は少ないと思うけど。地方出身者は毒親へがめちゃめちゃ多い。そして、毒親で悩んでる人の中で、女性の割合がめちゃめちゃ多いと思う。最近は母娘クライシスという言葉が出てきたり、 親に悩んでいた人が書籍を出していたり、 少しずつであるけど毒親に対しての認知度が広がってきた。
この前 Twitter で発信した時に、毒親で悩んでいた人悩んでいた経験がある人は男性も結構多くあるんだなと感じた。
本当は、毒親に悩んでいるのは女性だけじゃない。地方出身者だけじゃない。現代だけじゃない。昔も変わらず悩んでいる人がいる。時代によって形は変わるけどみんなの社会問題だよってことを伝えたい。
そして、今一度考えて欲しい親との関係を。
そして苦しんでいることがいることを知ってほしい。
家族の問題だからって他人はそんな簡単に口を出さない。家族の問題を恥ずかしいと思って発信する人もそうそういない。
ただ私は自分が家族から逃げることしか解決方法が思い浮かばなかった。 こうやって文章にできるようになった今も家族との関係を上手に解消することは多分今できない。
発信していることで自分の感情を発散してるのかもしれない。ただ発信していれば誰かが助けてくれるのかもって思ってるのかもしれない。
ただ少しの希望にかけて私は私なりに行動したい。今の生活から解放されたとして自分の生活が普通にできるようになったとしたら、私は私みたいな学生を救う活動したい。
誰にも理解されない毒親。普通の家庭に見えてしまうからこそ他人に話しづらい。
自分の親を悪く言われるのも嫌。自分の親は悪いと認めるのも嫌。
そんな色んな感情と一生懸命戦って、正解を見つけていきたい。
毒親を持ってる学生に私は伝えたい
経済的に依存してても、精神的に依存してても、親が必ずしも正しいルールであることはない。私にも親を判断する権利は皆平等にある。毒親で辛いなら辛いって言っていい。
きっと、それは私がわたしであることに必要なことだから。
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。
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サポートしていただいたお金は、今後の生活費や活動費として大事に使わせていただきます。一生懸命に感情を言葉にして行きたいと思っています。よろしくお願いします。