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掌編小説「クロニック デイズ」①/④

僕は恋をしている。

人生で初めての、本物の恋だ。今までも、ちょっと気になる女の子はいたけれど、今回の気持ちとは比較にならない。高校3年生にして、僕は初めて、本物の恋をしている。

相手は同じクラスの佐藤エミ。3年生になって初めて同じクラスになった。2年生のときまでは「他のクラスの金髪の派手な子」という印象しかなかった。でも、3年生になって同じクラスになってから、印象が大きく変わった。

派手に脱色していた金髪は辞めるつもりなのか、黒髪が根本から伸びてきても一向に染め直す気はないらしく、プリンみたいになった状態。身長は160センチくらい、細身。クラスメイトとにこやかに歓談していたりして、2年生のときに持っていた印象よりずっと柔らかい、明るい子なんだな、と思った。

そんなギャップを持ったのがきっかけだったのだが、やたら佐藤のことが気になりだした。



新しいクラスにも慣れ始めた頃。

授業が終わって帰ろうとしたとき、塾に遅れそうだった僕は、急いで教室から出ようとして、教室に入ってきた人物と思い切りぶつかった。少しよろけながら「ごめん!」と驚いて声をかけると、ぶつかった相手は佐藤だった。けっこうな勢いでぶつかったのに、佐藤はよろけも転びもせず「あ、こっちこそ、ごめん、大丈夫?」と言ってきた。これから部活らしく、ジャージ姿で、長い髪をポニーテールにして、少しよろけた僕に手を差しだした。「あぁ、僕は大丈夫だよ」そう言う僕に「良かった」と言って笑った。

僕は胸がぎゅっとした。なんだこの笑顔は。佐藤はこんなにかわいかったのか。落ち着け、落ち着け、僕。ギャップが気になっていただけじゃないのか? いや、違う。今の笑顔は、かわいすぎる。佐藤は笑うとあんなにかわいいのか。だめだ、ドキドキする。

早く帰らないと塾に遅れる僕は、ドキドキする自分に戸惑って、結局そのまま廊下でぼおーっとし、塾に遅刻した。



あまりにありきたりな恋の落ち方に自分でも驚く。
教室でぶつかった相手を好きになるなんて。少女漫画じゃないんだから。

わかっていても、気持ちは抑えられない。

僕は斜め前の席の佐藤を授業中もチラチラ見ながら過ごし、塾のない日は何気ない風を装って佐藤が属している陸上部の練習を廊下から眺めた。長い髪のポニーテールを揺らして、佐藤は淡々と走った。長距離をひたすら、ストイックに走っていた。そのきれいなシルエットを、僕はただ眺めていた。


僕は大学受験のために塾に通っていて、学校の帰りに駅まで歩く。

前を歩く同じ高校の制服。見覚えのある後姿。学校指定の通学鞄をゆるく肩にかけて、ポニーテールを揺らして歩いている。佐藤だ。

僕は信じられないくらい緊張した。佐藤が1人で歩いている。話しかけるチャンスではないか。ゆっくり後ろを歩いているのも後をつけているようでおかしい。自然に声をかけたほうがいいだろう。少し速足にして佐藤に追いつき、声をかける。

「よ、佐藤」

「あ、木度くん」

振り向いたときに微笑んでくれた。かわいい。

「佐藤、家こっちだっけ?」

「いや、ちょっと行くとこあって」

「そうなんだ」

「木度くんは塾?」

「うん、そう。佐藤は塾行ってないの?」

「うん。私受験しないから」

そうなのか! 初めて知った。佐藤の情報がひとつ増えた。

「あのさ、私、自分の名字あんまり好きじゃないの。佐藤じゃなくて、エミって呼んでくれない?」

僕は驚いた。佐藤が誰にでも自分を下の名前で呼ばせていることはずいぶんあとになってから知ったのだけれど、このときは全く知らなかったから、僕だけ特別扱いされていると勘違いしてしまったんだ。

「エ……エミちゃんって呼べばいい?」

「あ? うん、エミでもエミちゃんでも何でもいいけど」

いつの間にか一緒に歩く恰好になった。何か話題をつながなくては。

「あの……エミちゃんはさ、受験しないでどうするの? 就職?」

「そう。もう就職先決まってるから」

「え、すごいね。就活してたの?」

「うん、もう去年から」

すごい。金髪の派手な子、なんて印象しかなかったけれど、将来のことをちゃんと考えて就職活動までしていたなんて、僕は外見で人を判断していた自分を恥じた。そして、そんなしっかりした考えを持って行動できているエミちゃんを尊敬し、また更に好きな気持ちが高まった。

「じゃ、私ここだから」

そう言ってエミちゃんが突然立ち止まったのは、寿司屋の前だった。ここ? 寿司屋に就職するのか? そんな僕の疑問を他所に、「じゃーね」と言ってエミちゃんはヒラっとスカートを揺らして寿司屋の横の階段を駆けて登っていった。階段の下から、引き締まった輝かんばかりにきれいな内腿が見えたが、僕は自分の持っている全ての理性をかき集めて、気合いを入れて目を逸らした。


夏休み。僕は塾の夏季講習で忙しい。

就職するから受験はしない、と言っていたエミちゃんは、何をしているのだろう。受験勉強に集中しなくてはならないのに、夏休みという会えない期間が僕の胸を焦がす。

せめて一学期中に連絡先の交換くらいしておくべきだった。授業の合間はあまり話しかけられない。放課後は、エミちゃんがさっさとジャージに着替えて部活に行ってしまう。見惚れるような美しいフォームで、ひたすら走っているエミちゃんに、声をかける隙はない。僕は塾があるから帰らなければならない。


夏休みも真ん中を過ぎた頃、模試に備えて図書館で勉強をしようと家を出た。

駅まで歩いていたら、なんと、エミちゃんらしき姿を見つけた。制服じゃない私服のエミちゃん。白いTシャツにデニム。長い髪はいつものポニーテール。心臓がどくんっと鳴る。真夏の晴れた空の下、Tシャツから伸びる細い腕が、陽に焼けていて弾けるように眩しい。こんな偶然はきっと偶然じゃない。神様が与えてくれたチャンスだ。

思い切って声をかけようとしたそのとき
「エミ、こっちだ」と声がした。

え? と思って声の方を見ると、道路を挟んで反対側、1人の大人の男が手をあげていた。真夏だというのに黒いジャケットを着て、細い黒いネクタイをきっちり締めている。暑くないのか? エミちゃんは「おつかれっす~」と言って笑いながらその男に駆け寄った。心なしか学校にいるエミちゃんより明るく見える。黒髪の渋い大人の男。鋭い目つき。鼻が高くて、塩顔。イケメンの部類。声も渋い。

父親?
いや、親にしては若そうだ。30代くらいに見える。

寿司屋の職人?
いや、寿司屋には見えない。

まさか、彼氏? 
だとすると、かなり年上の彼氏だ。

エミちゃんはどこか同年代の女子より大人っぽく見えるときがある。クラスメイトがキャッキャと話しているときも、どこかドライな、決して冷めた目ではなく、俯瞰して見ているような、悟っているような視線をするときがあるのだ。それは僕がエミちゃんばかりを目で追っているから初めて気付いたのだけれど、エミちゃんはクラスメイトたちとうまくやっているように見せて、実はあまり馴染んでいない。

あのジャケット男が彼氏だとすると、エミちゃんが大人っぽいのもわかる気がする。そうなると……僕の恋は告白しないままの失恋だ。



いつの間にか僕は、黒いジャケット男と並んで歩くエミちゃんを着けていた。気持ち悪いかもしれないが、気になって勉強どころではない。そっと気付かれないようにあとを着ける。

2人は近くのカフェに入ろうとしていた。店の入り口で男が「ほら、エミ」とエミちゃんをまた呼び捨てにして、ジャケットの内ポケットから金を出し、エミちゃんに渡した。エミちゃんは当たり前のようにその金を持ってカフェに入っていき、男はそのままテラスの席へ座り、煙草をくわえた。エミちゃんと金銭授受の関係にある男。彼氏か、もしくはいわゆる「パパ」というやつか? まさかエミちゃんに限ってそんなことあるわけがない。

店内から飲み物の乗ったトレイを持ってテラスに出てきたエミちゃん。男は煙草を消して、エミちゃんが運んできた飲み物を口にした。エミちゃんは冷たいドリンク(アイスティかな)をストローで飲みながら、何か喋っている。大きなオーニングで日陰のテラス席。風があるから気持ち良さそうだ。僕は男の背後側に回り、2人を監視する形になった。

背中を真夏の太陽が容赦なく焼く。木陰もない電柱に隠れて、僕は何をしているんだ。

すると男が少し顔を寄せ何かエミちゃんに話しかけ、エミちゃんが「え!?」と驚いた声を出した直後、すっと視線をずらし、思い切り僕と目が合った。

「木度くん!?」

うわ、見つかってしまった。最悪だ。でも、なんでわかったんだ!?

「木度くん、何してんの?」

エミちゃんが席を立って、長いポニーテールを揺らしてテラスの端まで駆け寄ってきた。道路の電柱に隠れて2人を見張っていた僕は、何の言い訳もないまま狼狽えた。

「あ、その、図書館に行くところだったんだ。そしたらエミちゃんがいたから、今声をかけようと思っていたんだけど……その、彼氏さんと一緒なのかな、と思って、はは、あの、その、ちょっと邪魔かなって思って、だから、今もう行こうと思っていたところだったんだよ」

しどろもどろで格好悪い。

完全に嫌われたな……と思ったらエミちゃんは「あはははは」と声をあげて笑った。

「ヤダ、彼氏じゃないよ」

「え? 彼氏じゃないの?」

「彼氏じゃないよ。ってか、彼氏に見える? ヤなんだけど」

と言ってまた笑った。彼氏じゃないならあの男は何者なのだろう。やっぱり学校で見るエミちゃんより明るく元気に見えて、僕は少し妬けた。

「ねえ、図書館って急ぎなの? 何か飲まない? 奢ってくれるよ」

暑い陽差しに耐えて監視していたから喉も乾いているし、エミちゃんがお茶に誘ってくれるなんて夢のような話だけれど……あの男が、奢ってくれる? やっぱり「パパ」みたいな存在なのだろうか。それを確かめたい気持ちもあって、僕はエミちゃんについてテラス席へあがっていった。




《つづく》→②

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