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「傾いたテミスの天秤」sideA

【岩山田警部補の場合】


女は仰向けで死んでいた。

アパートの一室。散らかった部屋。テーブルの上には何種類かの菓子と吸い殻だらけの灰皿、空き缶。女の横に飲みかけと思われる発泡酒の缶が倒れ、液体が床に染みを作っている。キャラクターの描かれた白いTシャツと灰色のショートパンツという恰好の女は、死後3日ほどたっているらしい。

室内はまだ鑑識がせわしなく働いているため、第一発見者に話を聞く。

「パート3日間も無断欠勤するから、上司にちょっと家行って話聞いてこいって言われて、私家が近いので。それで、来てみたら鍵がかかってて、留守かなって思ったんですけど電気ついてるし、携帯鳴らしたら部屋の中から聞こえたから、おかしいなって思って」

その同僚は近所の交番の警官に相談し、大家に連絡をとり、鍵を開けたらしい。

「ドアにチェーンがかかってたんです。だからやっぱり家にいるんだって思って、大きな声で呼んだんですけど返事もなくて、それでドアの隙間からのぞいたら倒れてるのが見えたからびっくりして。おまわりさんがチェーンを切って、一緒に中に入ったんです」

倒れていた女が確実に死んでいることを同行した警官は確認し、応援を要請した。

大家も同様の供述をし、おおむねいきさつはわかった。



「岩山田さーん! 岩山田さん! 来てください!」

なじみの鑑識のひとりがベランダから大声で呼んでいる。

うるせえな。自分の飛沫で証拠品を汚すなよ、と思いながら、室内の鑑識作業の邪魔にならないよう慎重にベランダまで行く。

「どうした」

「岩山田さん、この子……」

見ると、ゴミだらけで足の踏み場のないベランダの端に、小さな女の子がうずくまっていた。

「おい、大丈夫か!」

女の子に駆け寄る。女の子はひどく痩せていて、髪はいつから洗っていないかわからないほど汚れ、子供の髪と思えないほどバリバリにかたまっていた。体も服も汚れており、臭いもひどい。よく見るとその子のまわりに、コンビニのサンドイッチの袋やペットボトルが捨てられていた。

ここで生活させられていたのか?

話しかけても、ぼんやりしていて返答がない。衰弱が見て取れた。

「おい! すぐに救急車を手配しろ。」

俺はコンビを組んでいる新人刑事を呼びつけて指示した。



捜査本部が設置されたが、事件は簡単に方がつきそうだった。

遺体の身元はすぐに判明し、ベランダで保護された女児はその女の娘だとわかった。女児は衰弱しており今は入院しているが、命に別状はなく、退院したら施設に入る予定だ。身体的にも精神的にも実年齢より未熟で、長期間適切な養育がされていなかった様子であった。

女の死因は急性低血糖。血糖降下剤の多量摂取によるものだった。飲みかけの発泡酒に混入されており、ベランダのゴミの中から薬包が見つかった。

恨みをかっている情報はなく、男女関係や金でもめている情報もなし。ドアのチェーンはかけられた状態で、窓のカギもかけられていた。アパートに防犯カメラはないが、向かいのコインパーキングの防犯カメラがアパートの玄関あたりまでギリギリ映っており、死亡前後数日女の家に誰も訪れていないことが分かった。

女は職場の同僚に子育てのストレスをよく訴えており、女のものと思われるSNSも子育ての悩みで溢れていた。中には「子供を捨てて自分も死にたい」といった発言も見られた。子供がネグレクト状態であったことも考えると、育児ノイローゼによる自殺、という結論に至るのは早かった。



「岩山田さん、まだそれ見てるんですか?」

新人刑事が声をかけてくる。

それは、女が発泡酒を買ったと思われるスーパーの防犯カメラの映像だった。念のためスーパーから取り寄せ、内容はすでに確認されている。

女が発泡酒をカゴに入れてから会計し、持参したエコバッグに入れるまで、その発泡酒に触れたのは女本人とレジ係の職員だけだった。客足の多い忙しい時間帯であったため、レジ係は2人体制で行っており、お互い不審な行動はしていなかった、と証言し合えた。事前に誰かが細工するようなことがないか時間を戻して確認したが、発泡酒売り場で不審な行動をしている者も見当たらなかった。

「あぁ、ちょっと気になってな」

「自殺で済むヤマなのに、ほじくり返してるとまた上から何か言われますよ」

「わかてるって、うるせえな」

わかっている。これは自殺で方がつくヤマだ。しかし、自分が納得できないと気が済まない。薬袋に誰の指紋もついていなかった違和感も見逃せない。

何か見落としていないか。俺は何度も見直した。

女が会計を済ませた商品をエコバッグにしまうところが見えにくい。混んでいる時間帯なのだ。隣の客との距離も近く、手元が死角になっている。

「だからって、こんな目の前で何かされてたら、本人が気付くよな」

俺はもう何度目かの映像を巻き戻して見直す。

これは「いるかもしれない犯罪者」と、俺の一騎打ちだ。もしいるのなら絶対に見つけ出してやる。

俺の正義は、執念という名でまだまだ燃えている。







《sideBへ続く》

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秋谷りんこ(あきや りんこ)
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