掌編小説:1/fゆらぎ【2494文字】
午後2時。私は電車に乗っている。
車内はほどよく冷房が効いている。空いており、この車両には、私を含めて4~5人の乗客しかいない。本を読んでいる者、携帯電話を操作している者、居眠りをしている者、赤ん坊を抱いてあやしている者。どれにもあてはまらない私は、ぼんやりと窓の外を眺める。
車窓からの眺めは長閑な田園風景。青々とした稲が風にそよぎ、初夏の日差しを受けてきらめいている。草木の緑、空の青、白い雲。大きく深呼吸したくなるような爽やかな空気に違いない。田と田の間の道で、子どもたちが走り回って遊んでいる。
絵に描いたような平和な風景を私はぼんやりと眺める。何の感慨もない。
世界はこんなにも穏やかで美しく、活気と希望に満ち溢れているというのに、この絶望感は一体何事だろう。私の、この形容しがたい孤独感は何事だ。
ペットボトルの緑茶を一口飲む。
少しぬるくなっている。
子どもの頃は何も考えていなかった。中学生くらいから、自分がまわりの世界と何か隔たりがあるように感じるようになった。いじめられていたとか、友達がいなかったとか、そういうことではない。毎日学校にも行ったし、友達もいた。それでも、世界と自分の間に何か目に見えない壁のようなものがあって、私だけ現実の世界から遮断されているような感覚があった。だから、こんなに生きにくいのだ、と。
大人になったら変わると思っていた。漠然と、大人になったら大丈夫なんだと。
大人がこんなに孤独だとは、学生時代の私は幸福にも知らなかった。
2年前、私は生きる意味を見つけた。
2ヶ月前、私は一度死んだ。
今の私は、あのとき死んだままだ。
再び死のうと思う力は、今はすでにない。
あの手を離さなければ私は生きていけた。
私の命綱。
世界との隔たりの、私側の人を見つけた、と思った。世界との隔たりの内側は、彼とだけつながった世界だった。
彼さえいれば、ほかには何もいらないと心底思っていたのに。命さえも惜しくないと本気で思っていたのに。いっそ、あのまま死んでしまったら良かったのに。
彼と一緒なら、どんな地獄にも耐えられそうだ。
彼のいない場所なんて、私にとっては何の意味もない。
この世の、どんな安息の地だって、彼の腕の中には敵わない。
賽の河原の石積みだって、業火に焼かれる仕打ちだって、彼と一緒なら耐えられる。恐ろしい顔の鬼が積み終えた石を何度崩そうと、まるでジェンガをするかのように、きっと楽しんで積みなおす。何度でも。何度でも。
「1/fゆらぎというのは、自然界にあるゆらぎのことで、スペクトル密度が周波数fに反比例するゆらぎのことなんだよ。ノイズのザーという音と、メトロノームのようなカチカチという規則正しい音のちょうど中間。不規則さと規則正さがちょうどいい具合に調和していることなんだ。それが、人に快適感を与える自然のゆらぎなんだ」
音響の仕事をしている彼の説明は半分もわからなかった。
ノイズにもなれず、規則正しくもない。ちょうど良い調和なんていらない。私に快適感を与えるのは、自然のちょうど良い調和などではなく、偏ったノイズでもいいから、彼と共にあることだ。真ん中でなくていい。偏ったノイズでも、それが私にとっての1/fゆらぎになる。そう思っていた。
2ヶ月前まで。
「これが、2人の幸せのためだと思うんだ」
彼は、悲しいような苦笑のような諦めたような顔で言いながら、茶色の薬瓶を差し出した。いつも買ってきてくれる紅茶の焼き菓子の袋に入っていた。5センチほどの高さ。ひっそりと冷たい。ラベルは貼っていない。
「1人分しかない。僕があとから行くから」
瓶の中身を確認するまでもなかった。彼の言いたいことはきちんと伝わった。最愛の人に最期を見届けてもらえるなら、それ以上望むことなどない。
「そうしましょう」
私は何の躊躇いもないことを伝えるために微笑んで見せた。彼は、困ったような安心したような今にも泣き出しそうな顔をして私を抱き寄せた。
泣いている。彼は泣いている。泣きながら、強く強く手に力を込める。
私は、悲しむ必要なんてないのよ、これで2人は永遠に一緒なのだから、と伝えたくて、微笑んで見せる。私がこの結末を何の迷いもなく受け止めてることを伝えたい。顔が熱くて頭が痛くてうまく微笑めないけれど、きっと伝わる。きっと。彼と…手をつないで……一緒に地獄を……。
でも、私は知っている。彼は、一緒に来ない。瓶の中身を飲んだりしない。私は知っている。瓶なんて空っぽかもしれない。だって彼には妻子があるのだから。脳が脈打って痛い……。頭を内側からハンマーで殴られてるみたいだ。猛烈に頭が痛い……。気が遠くなる。痛み以外の感覚が薄れ、存在として意識できるのは、頭痛だけになる。私の1/fゆらぎ。偏った私の癒し。生きる意味。私の命綱……。
気がついたら、病院のベッドだった。
太った中年の看護師が私の顔を覗き込み、無愛想に「ご気分は?」と聞いた。頭痛がひどく、体中が重く、何やらチューブ類がたくさんつながれた状態で最悪の気分だったので「最悪です」と答えた。
恋人に殺されかけたあげく、死にきれず、結局彼が自分で救急車を呼んだらしい。私の癒しは、警察に逮捕されてしまったと聞いた。
私は、愛しきってもらえなかったし、騙しきってもらえなかったし、殺しきってももらえなかった。命綱を手放さなければ、生きていけると思っていた。彼となら地獄すら安息の地に思えた。それが私の生きる意味だったのに。
電車を降りるとき、ふと赤ん坊をあやしていた女を見ると、その赤ん坊は赤ん坊ではなく、赤ん坊の形をしたプラスチックの人形だった。タオル地のおくるみに大切そうに包まれ、その女は「夢子、かわいいね。本当にかわいい」と話しかけながら人形をあやしていた。
いっそのこと、私も気が狂ってしまえば良かったのに。
私たちの日常に降り積もる拭いようのない絶望感とほんの一瞬の刹那的な癒し。私たちは不安を忘れさせてくれるその一瞬だけを求めて生きているのだろうか。
私は、満たされた表情で人形をあやす女に嫉妬に似た気持ちを持ちながら、爽やかな外気のホームへ降り立った。
《おわり》