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掌編小説「マテリアライズ ブラック」③/④

※できれば「マテリアライズブラック  」を先にお読みください。※


朝になって、外を見ると天気予報通り、雨だった。

今日が決行の日だ。

探偵事務所に行くと、やはり山矢さんの姿はなかった。昨日食事をしたあとに、山矢さんとエミさんと作戦会議をしたが、沙理ちゃんを怖がらせている奴を倒すには準備するものがあるようで、山矢さんは早朝から出かける予定になっていた。

決行は夜だから、私はそれまでは事務所で待機。エミさんは沙理ちゃんの学校が終わったら自宅まで送ってあげて、夜に合流。妹の理奈ちゃんにも事情を話し、暗くなってからは家から出ないように話すと言っていた。

私は事務所でひとり、過去の書類の整理や片付けなどをして過ごす。特に来客もなく、今日に限って電話も全然鳴らない。何度も時計を確認する。早く山矢さん帰ってこないかな。私は、緊張しているようだ。

山矢さんは、山神村というところへ出かけているらしい。山矢さんの故郷のような場所、とのことだったが、出身地というわけではないらしい。
エミさんは行ったことがあるらしく、「自然豊かで素敵なところ。」と言っていた。「不思議な土地。」とも。



18時を過ぎてようやく山矢さんが帰ってきた。

「おかえりなさい。」

「あぁ、何事もなかったか?」

「はい。沙理ちゃんも、妹の理奈ちゃんも、もう自宅にいて、エミさんが一緒にいます。」

「そうか。じゃあ、20時頃から出掛けるとするか。」

「わかりました。」

私は山矢さんが戻ってきたことと、時間のことなど、エミさんに連絡をする。

「山矢さん、必要なものは揃いましたか?」

「あぁ、揃った。間に合って良かった。」

そういって500mlのペットボトルを取り出した。ラベルはなく、無色透明の水が入っている。

「これが欲しかった。山神村の水だ。あそこの水は特別なんだ。浄化作用が強い。」

「浄化ですか。」

「そうだ。あと、これだ。」
そう言って、小さな巾着袋を取り出した。お年玉のポチ袋くらいの大きさで、古そうな着物柄の生地。手作りのように見えた。

「村の住職さんにはいつも世話になっていて、今回もいろいろ用意してもらった。」

山矢さんはいつも、いかにも一匹狼みたいな顔をしているけれど、実は違う。山矢さんは、税理士の野村さんやエミさんや寿司屋の大将や、いろんな人と関わりを持って生きている。この山神村というところの人たちもそうなのだろう。私も、そんな人と人との繋がりの中のひとりに、なれているのだろうか。



20時をまわって、いよいよ沙理ちゃんの家に向かう。夕方まで降っていた雨は止んでいた。

エミさんが沙理ちゃんの家から出てきた。沙理ちゃんの家を見ると、リビングの窓から、沙理ちゃんと妹の理奈ちゃんらしき少女が、ふたりで肩を寄せ合って、こちらを不安そうに見ていた。

「山矢さん、ふたりが自分たちの目で見たいって言うんですけど、窓越しならいいですよね?」

エミさんが言う。

「あぁ。外に出ないでくれれば大丈夫だ。」

そう言って山矢さんはふたりの不安気な少女に片手をあげた。ふたりはぺこりと頭を下げる。



家の前のアスファルトに、大きな水溜まりができていた。

到着したときから、私にでもわかった。これは、気味の悪い何かがいる。気配というのか、違和感というのか、皮膚に微風を感じる程度の、何かしらの不安感。



「予定通りで頼む。もし万が一、俺が奴に取り込まれたら、エミ、俺ごと消せ。」

「わかっています。」

エミさんの顔にも緊張がよぎる。

「はじめるぞ。」

山矢さんが言った。

「はい。」私とエミさんは、同時に返事をした。

決闘開始だ。



山矢さんは、水溜まりから数メートル離れたところから、水溜まりを覗き込むような姿勢で挑発的に話し始める。

「おい。いるんだろ。わかってるんだよ。出て来いよ。」

私とエミさんはさらに少し離れたところに立つ。

「さあ、出て来いよ。俺が相手してやるぜ。」

静かだが、明らかに挑戦的な物言い。おびき出すのだ。

そのとき、水溜まりの表面がゆらっと波だった。はっとして、私は山矢さんから持たされているペットボトルを握りしめた。

水溜まりの表面はさらにゆらゆらし、ひとつドロンと大きく波打ったと思ったら、そこからドロっと、どす黒いスライムのようなものが這い出てきた。

それは話に聞いていた以上に気持ち悪かった。本来なら感情を持たないはずの無機質な物体が、自分の意思を持っているかのように動いている。鳥肌がたった。私は少しだけエミさんの後ろに隠れる。

ドロっとした黒いスライムは、水溜まりからずるずる這い出て、全身を見せた。

大きい。円形で直径2メートルくらいはあるか。固まっていないコールタール、といった沙理ちゃんの例えはぴったりだ。

「さあ、来いよ。」

山矢さんがさらに挑発すると、ドロドロのスライムは突然すごい速さでビュっと山矢さんの方へ滑り出し、足元からずるっと巻き付き、山矢さんをべったりと覆い始めた。それでも山矢さんは「どうした、そんなもんか?」と挑発を続けている。

べったりと張り付いたスライムは山矢さんの体をずるずると登り、ついに山矢さんは全身を覆われた。

その瞬間を狙って、エミさんがエイっ!という掛け声とともに右手を掲げる。

ピシッと音が鳴り、エミさんの結界が、真っ黒いスライムに覆われた山矢さんごと、すっぽりと囲んだ。作戦通りだ。これでスライムは水溜まりの中に逃げられない。

エミさんの結界は素晴らしく正確な直方体で、いかにも頑丈で、水族館のアクリルガラスを思わせた。同時に透明度も非常に高く、美しいオブジェのようにすら見えた。

正確な直方体の結界の中で、山矢さんを覆っているスライムは、しばらく動かなかった。山矢さんは大丈夫なのだろうか。私は、山矢さん頑張って、エミさん頑張って、と心で念じることしかできない。

じっと見ていると、真っ黒いスライムの表面がボコボコと波打ち始めた。少しずつ大きくなっていく波の動き。次第に激しく凸凹にうねり始める。波打った部分が小さく破裂するようにブスッ、ブスッ、と弾け、弾けた部分は、黒い煙のような気体になっていった。どうなっているんだろう。山矢さん、大丈夫なのだろうか。

エミさんも長時間の結界で額に汗が浮かんでいる。

沙理ちゃんたちを見ると、ふたりで抱き合うように体を寄せ合って、それでも山矢さんの闘いをしっかり見ていた。

スライムはほとんど弾け、結界の中は黒い煙だけになっていた。よく見ると、少しずつ山矢さんの姿が見えてくる。黒い煙が薄くなってきているのだ。山矢さんは、人差し指と中指だけを立てて胸の前で手を組み、何かぶつぶつと唱えながら、深く呼吸をしている。黒い煙を吸い込み、透明な息を吐く。山矢さんは、自分の体を使って、黒い煙を浄化しているのだ。

山矢さんのまわりの空気はどんどん透明になり、結界の外の空気と変わらぬ色になった。

山矢さんはそれを確認すると、組んでいた手をほどいた。

そして、コホンとひとつ咳をして、真っ黒いビー玉ほどの土の塊のようなものを、口から吐き出した。そして、それを山神村から持ってきた小さな巾着袋に入れると、ジャケットの胸ポケットにしまい、ひとつ大きく深呼吸をした。



「エミ、ありがとう。もういいぞ。」

エミさんは力を抜いて、ふーっと大きく息を吐いた。山矢さんを覆っていた結界がさっと消える。

終わった。

山矢さんが、勝った。

静かな闘いだった。

緊張感のある、静かな決闘だった。



「田橋、水をくれ。」

「あ、はい。」
山矢さんにペットボトルを渡す。私は緊張のせいで手汗がひどいことに今更気付いた。

山矢さんはペットボトルの水をごくごくと半分ほど一気に飲み、残りを頭からばしゃりとかぶった。

《④につづく》

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