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「黄昏スパナ」③/⑥
桜が終わり、少しずつ初夏の陽気が漂う季節。
アパートのドアを叩く音で目が覚める。
時計を見るとまだ朝の7時である。今日は珍しく俺も有も休みだ。
休みの日くらいゆっくり寝かせてほしい。
ドンドン、ドンドン。
誰だよ、うるせえな。
ドンドン、ドンドン。
「えいじー!えいじー!いるんでしょ!開けて!」
俺は耳を疑う。俺を呼ぶ声。はるか昔に聞いたことのある声だ。
嫌な予感がする。
ドンドン!
「えーいーじー!」
俺は有を起こさないように気を付けながらベッドを出て、玄関へ向かう。覗き穴を見ると、嫌な予感は当たっていた。
5年前に少しだけ付き合って、それから2年ほどストーカーされた女、リカだ。ストーカー行為は止んで、新しい彼氏と仲良くしていると聞いたのだが、今更何の用だ。
ドアを叩く音と大声。近所迷惑になりそうだから仕方なく俺はドアを開ける。
金髪にでかい輪っかのピアス、濃い化粧にジャラジャラしたアクセサリー。久しぶりに見たが、相変わらず昔のヤンキーみたいな女だな、と思う。
「何の用だ。」
「あ、英二、久しぶり。おはよ。」
化粧と香水の匂いがきつい。
「あぁ、久しぶりだな。彼氏と仲良くやってるんじゃなかったのかよ。」
「そんな話しに来たんじゃないの。真剣に聞いたほうが、身のためよ。」
にやっと笑う表情を見て面倒な話になりそうだな、と思い、玄関にあげようとしたそのとき、リカの後ろに小さな女の子がいるのが見えた。
「あ、気付いた?この子。ルカ。あんたの子よ。」
「はあ?」
何を言ってるんだ?
「だーかーらー、あんたの子。別れてすぐに妊娠に気付いたの。私とあんたの子、ルカ。今日1日預かってくれない?じゃ、そういうわけで、夜には迎えに来るから!」
手をひらひらさせて、カツンカツンとヒールを鳴らして走っていく。
「おいっ!!待て!」
「じゃーねー。」
リカは女の子を置いて行ってしまった。追いかけようとするが、タクシーを待たせていたようで、走り去ってしまう。
どういうつもりだ。この子、どうしろっていうんだよ!
目の前に置いて行かれた女の子を見る。
ツヤツヤの黒髪をきれいな三つ編みにして、ベージュ色のブラウスに紺色のカーディガン、紺色のプリーツスカート。ピンクのかわいいポシェットを下げて、俺を見上げている。
リカに似ていなくもないが、服装は少なくともリカの趣味ではないな、と思いながら、いつまでも幼児を外に置いておくわけにもいかない。とりあえず、家にあげたそのとき、俺は背後から殺気を感じた。
「英二。今の女、誰?」
有が起きてきたのである。「今の女、誰?」ということは、リカのことも見ていたし、話も聞いていたのか。嫌な予感No.2である。ここは変に隠しても仕方ない。
「あぁ、有。おはよう。今の女はな…」
「この子、英二の子なの?」
いや、話は最後まで聞いてくれ。
「違う。それは違うんだ。」
「だって、そう言ってたじゃん、さっきの派手な女が!」
「違うんだ。ちゃんと話を聞いて…」
「だって、そう言ってたじゃん。もう知らないよ。子供がいたなんて聞いてないよ。僕じゃ子供産めないから?僕が女じゃないから?だからさっきの女と子供作っておいたわけ?隠し子がいたわけ?」
有は半泣きになりながら、ベッドに戻っていじけてしまった。「もう英二なんて知らない!」と喚いているが、完全に論理が破綻している。
女の子も気になるが、まずは有を落ち着かせたほうがいいな、と思い、俺はまず女の子、ルカをソファに座らせ、有が酒のつまみに食べているチョコレートを渡した。ルカは大人しく座り、静かにしている。
「おい、有。ちゃんと話を聞いてくれ。」
俺はベッドに行って有の横に座る。
有は枕を抱えて顔を伏せていたが、俺が耳の穴に指を入れてくすぐると「やめろよ」と言って顔を上げた。
「さっきの女のことを説明するから、ちゃんと聞いてくれよな。」
「うん…。わかった。」しぶしぶ頷く。
「さっきの派手なあの女はリカといって、確かに俺が5年前に数か月付き合っていた女だ。」
「うえー、英二、女の趣味わりー。」
「あぁ、まあ、そこはそうかもしれんが。」
「どうやって知り合ったの?」
「どうやって?あぁ、それは、ひとりで酒を飲んでいたら逆ナンされた。そのまま一緒に飲んでいたら、家に着いてきて、そのままいつの間にか荷物を運びこんで、いつの間にか一緒に住むことになった。」
「なんだよ、すっげえ図々しい女だな。」
お前との出会いもそんな感じだったぞ?と言いたかったが、やめた。
「まあ、でも数か月で別れたんだ。俺も好きになって付き合ったわけじゃなかったし、いつの間にか同棲していた曖昧な関係だったんだ。」
「僕のことはちゃんと好きだよね?」
「え?あ、あぁ。もちろんだ。」
子供の前で何を言わせるんだ。
「ならいいけど。」
まだふてくされた顔をしている。
「まぁ、それで別れたわけだが、そのあと2年程付きまとわれた。」
「ストーカーかよ!逮捕しろよ!」
「いや、何かされたというわけじゃないんだ。復縁を仄めかされたり、行く先々に現れたりはしたが、実害はなかったから放っておいたんだ。」
「十分実害あるじゃねーか。」
「うん、そうかもしれないが、まあ、俺は関わるのも面倒だったし、放っておいたんだ。そしたらあるときパッタリとストーカーが終わったんだ。どうやら、新しい男ができたらしい。それで、俺のことなんて気にならなくなったんだと。」
「なんだよ、英二よりいい男がいるわけないだろ!」
何に怒っているのか、有は感情的だな、と思いながら、頭を撫でる。柔らかい髪に寝癖がついている。
「それで、本題なんだが、あの女の子、ルカというらしい。」
「英二の子なんだろ?」
頭を撫でられながらも俺を睨んでくる。
「違う。有、あの子、何歳くらいだと思う?」
「え?」
有は首を伸ばし、ソファで大人しくしているルカを眺める。
「うーん、3歳くらいかな。片桐のおっちゃんの孫と同じくらいに見える。たまに店に連れてくるんだ。この前会ったばっかりだけど、3歳って言ってた。」
「だろ?俺もそう思う。眼科っていうのは子供もよく来るんだが、俺も、あの子、ルカは3歳くらいだと思うんだ。」
「うん。それで?」
「計算、合わなくないか?」
しばらく首をかしげて考えていた有は「計算、合わない。」と言った。
「だろ?俺は5年前にリカと別れている。そのあと2年ストーカーされたが、体の関係は一度もないどころか、食事なども一切していない。ただ遠目に一方的に見られていただけなんだ。それで妊娠するか?」
「しない。」
「だろ?それにストーカーされていたときに、リカのお腹は全然大きくなっていなかった。リカは嘘をついているんだよ。あの子、ルカは俺の子じゃない。」
有はもぞもぞと体を起こし、ベッドに座った。
「じゃあ、あの子、ルカちゃんは誰の子なんだろ?なんで英二に押し付けて、あの女はどっか行っちゃったの?」
「わからん。夜には帰る、と言ってはいたが…」
ふたりでルカを眺める。大人しくソファに座る3歳くらいの女の子。
「なんか、さっきは感情的になっちゃったけど、急にひとりで知らない男の人の家に置いて行かれて、ルカちゃん、かわいそうだね。」
本当にその通りである。冷静さを取り戻し、いつもの優しい有に戻ってくれてほっとしたが、それ以上に大きな問題がある。誰の子であろうと、1日預からないといけないらしいのだ。
「俺たちふたりで、1日預かれると思うか?」
「…無理じゃね?」
「だよな…」
男ふたりは顔を見合わせて途方に暮れた。
《つづく》→④
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