見出し画像

掌編小説「BEAUTIFUL DREAMERS」①/③

金木犀の香りを乗せた微風がすっかり秋めいてきた10月。
薄汚れたアルミ製のドアの前で私はまだ逡巡していた。
もうここしかないのか。
就職面接99件連続不採用。100件目が、このドアの向こう。
ドアにかけられた看板には

【山矢探偵事務所】

一人暮らしのアパートから近い、というだけで選んだ就職先の100件目候補。まさか、本当に100件目まで就職が決まらないとは思っていなかった。
ドアの前に立ったままため息が出る。面接の約束の16時までまだ10分ほどあった。
就活用に買ったヒールのつま先でコンクリートの床をこする。
もう少し考えるか。

探偵なんてそもそも興味があったわけじゃない。この建物の1階にあるお寿司屋さんの前をよく通る。その入り口の横に貼ってあった求人がほんの少し目についただけなのだ。

【事務兼助手募集。資格不要。給与応相談。山矢探偵事務所↑2階】

一応100件目の就職希望先にメモしておいたのは、まさか本当に面接を受けることになるとは思っていなかった1年前だ。そこから、銀行、金融会社、証券会社、事務職、大・中・小規模企業、希望した99件全ての面接に落ちたのだ。まわりはどんどん決まっていく。私は焦りがつのるばかりだった。

だからって探偵なんてできっこない。
薄汚れたドアを見ていると、なんだか怖いことに巻き込まれそうな気がしてくる。実際、探偵は人には知られたくない秘密を暴いたりするのだろう。危険な仕事もあるかもしれない。働いている人もきっと怖い人に違いない。
今日の面接は断って出直そう。
そう思ってドアを離れようとしたとき、階段を登って近付いてくる人がいた。背の高い男だった。

黒いジャケット、白いシャツ、きっちりしめられた黒い細いネクタイ。黒髪の短髪。切れ長の鋭い目。少し鷲鼻気味の高い鼻。薄い唇。尖った顎。

怖い人、と思った。まさかこの人が?

男はドアの前にいる私を見ると腕時計をちらっと見やり

「面接の方?」

と言った。低くて渋い声。

「え、あ、はい。」

「少し早いけど、どうぞ。」

「あ、え、はい」

「あ、ああ、山矢です。この探偵事務所の者です。」

まさかと思った予感は的中した。この怖い人が、探偵なのだ。

そこから引き返す勇気のない私は言われるままに部屋に入った。室内は思いのほか広かった。

入って左、道路に面した壁には大きな窓があり、部屋は明るかった。窓の前にスチールの机。部屋の中央には向かい合った小さなソファとテーブルの応接セット。ここで依頼人の話を聞いたりするのだろうか。部屋の右には小さな机と大きなスチール棚。たくさんの本とファイルが並んでいる。

「そこに座ってて。コーヒーくらいしかないけど。」

ソファを指して山矢はスチール棚の横にあるドアに入っていった。

面接官が戻って来るまで立っていたほうがいいか、と思ったけれど、今まで同じ方法で99件落ちているのだ。今更関係ないだろうと思い、ソファに腰を下ろした。

改めて部屋を見渡す。全体的に清潔で、整頓されていた。

想像していた探偵事務所とは少しイメージが違った。もう少し薄暗くて陰気な場所を想像していのだ。我ながら失礼なやつだなと思う。

「探偵事務所ってのが珍しい?」

コーヒーカップを二つ持って山矢が戻ったきた。

「あ、はい。初めて来たもので。すみません。」

山矢はコーヒーをテーブルに置くと自分もソファに座り、軽くネクタイを緩めた。

「求人の募集を見てくれたんだったね。」

「はい。」

決まったエントリーシートがなかったため、普通の履歴書を山矢に渡した。

「田橋純さん。純って書いてすみって読むんだ。」

「はい。すみです。たばし、すみ、です。」

「ふんふん」

一通り私の履歴書に目を通した山矢は顔を上げた。

「で、どうしてうちの求人を希望したの?」

山矢は静かな口調で聞きながら煙草をくわえた。

「あ、吸っても大丈夫?」

「あ、はい、全然、大丈夫です」

まだ緊張していたが、山矢に対する恐怖心は少し薄れていた。話し方が静かだし、目つきは鋭いけれど威圧的な感じはしない。

山矢はライターで火をつけ、深く吸い込み、白紫の煙を吐き出した。

「で、どうしてうちに?」

御社の企業理念に共感し。
自分の経験をぜひ御社でお役に立てたいと思い。
今まで面接で口にしてきたいくつもの決まり文句が頭をかすめる。

御社の企業理念?そんなの知ったこっちゃない。
自分の経験?文学部で本ばかり読んで過ごした私に何の強みがある?

それで99件落ちたのだ。

足を組んでコーヒーを啜り紫煙を燻らす男に、私は正直に話すことにした。

「99件全部落ちた?それはすごい。」

無表情で聞いていた山矢は最後まで聞くと少しだけ口角をあげた。

「はい。ここで100件目です。」

「100件目まで挑み続けることがすごい。俺には無理だ。挑戦することはできても、それを継続できる人は少ない。」

驚いた。就職活動をしていて、初めて褒められた。

君には情熱が足りない。君の代わりはいくらでもいる。君は不要だ。

そのような言葉を聞かされ続けた1年だった。初めて褒められて、私は泣きそうになっていた。

「ありがとうございます。人に褒められたことがほとんどないので、驚きました。」

「褒められたことがない?どうかな。言葉は受け取り方次第だ。」

怖いと思っていた山矢だが、言葉に誠実さが感じられた。99件不採用になったことに、同情されなかったのも初めてだ。

ここを逃したら、もう就職先の予備はない。

ここで決めるしかない。私は決意を固めた。

「探偵はやったことがありません。一般的な事務の知識しかありません。でも、一生懸命やります!よろしくお願いします。」

どうかお願いします!と心で念じたとき、山矢は突然すっと目を細めて私の背後、左肩の上あたりに視線をやった。え、何かついてる?と不信に思ったが、山矢は何も言わず視線を戻すと「では、就職内定としましょう」と言った。

「え!いいんですか?」

「はい。よろしくお願いします。」

「こ、こちらこそ!よろしくお願いします!」

こうして私は100件目の面接先、山矢探偵事務所に内定をもらった。


山矢探偵事務所の職員は、探偵の山矢、事務兼助手のエミ(育休中)、近くの税理士事務所の野村。お金の管理は全て税理士の野村さんにまかせているらしく、やる必要がないと言われた。また実際の探偵助手としての仕事も、簡単なことから少しずつ慣れていけばいいとのことだった。あとは電話番や書類の整理、依頼人とのスケジュール調整、依頼人に出すお茶やコーヒーの買い出し、など要は雑務が多かった。

「雇用の書類関係は明日野村さんに来てもらってやるから、今日はもうやることはない。明日また来れるか?」

「はい。何時でも大丈夫です。」

「そうか。じゃ野村さんに確認しておくから、あとで時間を連絡しよう。」

「はい。よろしくお願いします。」

山矢は煙草をもみ消すと腕時計を見て、5時かと言った。

「腹減ってるか?」

「え?」

「寿司、好きか?」

「あ、はい。大好きです。」

良し、と言って立ち上がり部屋を出ていこうとする。

「あ、あの」

「下に寿司屋があるだろ。大将の寿司はすごくうまい。就職祝いだ。」

「あ、ありがとうございます!」

私は山矢について部屋を出た。


寿司屋はまだ時間が早いためか空いていた。カウンターと、テーブル席が2つ。こじんまりとしているが、落ち着いた清潔な店内。

「エミちゃんの代わり、見つかったのか。良かったね、山矢くん。」

「はい。思っていたより早く決まりました。」

「新人さん、好きなネタあったら言ってよ。たくさん食べて行ってね。」

私は回らない寿司屋のカウンターに座るのは初めてで緊張したが、大将は気さくな感じの方で、優しく話しかけてくれて安心した。

そして何より、お寿司が信じられないほど美味しい。山矢さんが「おまかせで」といって大将に握ってもらったお寿司はどれもこれも、食べたことないような美味しさだった。

「でも早く決まって良かったね。来年は忙しいでしょ。」

「そうなんですよ。エミもいないし、ちょっと心配していたので。」

「探偵にも忙しい年とそうじゃない年があるんですか?」

満腹になるまで美味しいお寿司を堪能した私はいつの間にかリラックスし、お茶を啜った。

「んー、うちはちょっと特殊だから。忙しい年ってのがあるんだよ。あ、そうそう、だから、仕事、いつでも辞めたいときに辞めていいから。」

今日ようやく決まったばかりなのに!

「辞めませんよ!」

思わず大きな声を出してしまった。

山矢さんはほんの少し口角をあげて(どうやら笑っているらしい)「こっちからクビにすることはないから心配するな。」と言った。

「何はともあれ、今日は就職祝いだからね。新人さん、山矢くんをよろしくね。」

大将に優しく言われて、こんな頼りないぽんこつな私だけれど、役に立てるように頑張ろう、と決めた夜だった。


翌日税理士の野村さんから詳しい話(保険のことやお給料のこと、税金のこと、領収書の書き方など)を聞き、正式に雇用が成立した。野村さんは髪をオールバックにかため、黒縁の眼鏡をかけ、黒いスーツで現れた。探偵事務所に関係する人はみんな怖そうに見える、と内心思ったが、話してみると神経質で潔癖な完璧主義者という印象だ。山矢さんは野村さんを相当信頼しているらしく、実質の探偵業務以外はほとんど野村さんにお願いしていた。

正式に雇用が成立し、帰宅した私はベッドに寝転がり、この1年本当に大変だったなと思い返した。なんだか怖そうな所だと先入観を持っていたが、やっと居場所を見つけた。そんな気がした。私はようやくほっとして、就職が決まったことを実家の両親に連絡した。

おおらかな両親だから私を急かすことはなかったが、心配はしていたようだ。安心させてあげられて良かった。



あっという間に秋は過ぎ、短い冬が過ぎ、私は無事に大学を卒業した。

春になり、私は山矢探偵事務所の一員となった。





《つづく》→

おもしろいと思っていただけましたら、サポートしていただけると、ますますやる気が出ます!