ショートストーリー「盗聴」SideA
【SideA】
僕は盗聴している。
もう半年ほど前から、職場の後輩、山田さんの部屋を、盗聴している。
彼女は去年の年末からうちの会社で働き始めた派遣の女の子で、仕事も丁寧だし、かわいらしい。
僕は好意を持ったけれど、人見知りの僕が話しかけられるはずもない。なかなか仲良くなるきっかけもなく、想いが募りすぎた僕は、いよいよ半年前から、山田さんの部屋を盗聴することにした。
盗聴自体は犯罪ではない。
でも、盗聴するために、飲み会のどさくさに紛れてバッグから鍵を盗んで合鍵を作ったり、その鍵で不法侵入して盗聴器を取り付けたのは、犯罪だったと自覚している。
だから、もう今はただ聞くだけ。
迷惑はかけない。そう決めている。
ただ山田さんの日常をたまに盗聴し、それを録音して、盗聴に行けない日はその録音をひとりで聞く。ただそれだけの楽しみだ。
山田さんは派遣社員で、毎週火曜日がお休みだ。土日は別のアルバイトをしているから、盗聴するのは火曜日しかない。
僕は正社員だからなかなか休みを合わせるのは難しく、たまに半休をとって、山田さんのマンションの裏手に車を停めて盗聴を楽しむ。本当は毎日仕事のあとに来たいけれど、毎日同じ車が停まっていたら不審かもしれない。だから火曜日だけで我慢だ。
山田さんが出かけてしまって盗聴できない日もあるが、それは仕方ない。
録音してある他の日の盗聴を繰り返し聞いて、癒されるしかない。
最近は職場で挨拶をしてくれたり、少しだけ会話することもある。普段盗聴している山田さんの声が耳に直接生で届くのはあまりにも刺激的で、とても嬉しいんだけど、僕は盗聴している負い目があるから、あんまり長くは話せないんだ。
今日も半休をとって、山田さんのマンションの裏手に車を停めた。
半休だから、急いでも13時くらいになってしまう。
車の中で急いで盗聴器の周波数を合わせ、イヤホンを耳に入れる。
「ザザ…ザ…ルナちゃーん、ちゅーる食べますかー?」
お、聞こえた。
ルナちゃんとは、山田さんが飼っている猫の名前だ。
「にゃー」
ルナちゃんの声も聞こえる。よしよし、調子いいぞ。
ここから朝方まで、山田さんが就寝中も、僕は盗聴する。
就寝中は基本的に何も聞こえないのだけれど、ときどき起きてトイレに行ったり、水を飲んだりする音が聞こえる日は、スペシャルご褒美のようで嬉しい。
今日のテレビは、いつも見ている情報番組のようだ。
火曜日は山田さんが好きな芸人さんが出演しているから、見ていて楽しいのかときどき笑い声が聞こえる。かわいいなあ。
「あー、もうこんな時間。お腹すいちゃった。お昼作るのめんどくさいなー」
ふふふ、また言ってる。
職場ではしっかり者の山田さんも休日はダラダラモードである。
いつも13時半頃からようやく昼食なのだ。
「たまにはカップ麺でいっかね」
猫のルナちゃんに話しかけているのだろう。
よく自炊もしているようだが、今日はカップ麺で済ませるつもりらしい。
それでもあれだけきれいな肌と美しい体形を維持しているのだから、たまにはカップ麺くらい大丈夫なのだろう。
お湯が沸くボコボコという音。おそらくティファールだ。
カチ、とお湯が沸ききった音がする。ヤケドに気を付けてね。
3分待って、「いただきます」という声。
僕はイヤホンに集中する。
ずるずるっと麺をすする音が聞こえる。
鳥肌が立ち、何とも言えぬゾワゾワした恍惚が全身を駆け抜ける。
ASMRだ。
麺を噛む「ムチャムチャ」という咀嚼音のあとに、飲み込む小さな「コク」っという音と、そのあとの「んはぁ」まで聞こえる。
僕は高性能のイヤホンに感謝する。
値段は高かったがこれにして良かった。
そうじゃなきゃ「んはぁ」までは拾えない。
一連の食事の音に集中していると下半身に血流が集まるのを自覚するが、ここでは何もしない。こんなところで通報でもされたら、全てが台無しだ。それはそれで、家に帰ってからの楽しみである。そのために録音もしているのだから。
14時になるとテレビのチャンネルが変わった。ドラマの再放送の時間らしく、サスペンスドラマを見ているようだ。ドラマのオープニング音楽にガチャっというパーカッションが入る。こんな始まりのドラマ、何だっけ。
「『細かいことが気になる、僕の悪い癖』」
あ、相棒か。
「あー、ルナちゃん、ママ犯人わかっちゃったー!」
いつも猫と一緒にテレビを見ているのだ。
犯人まで考えながらドラマを見て、本当にオフの山田さんはチャーミングだ。
15時頃、「ルナちゃん、ちゅーる食べる?ママもおやつ食べようかな」と言って、またお湯を沸かす音が聞こえ始めた。
ボコボコ。カチ。紅茶でも淹れているのだろうか。
山田さんは甘いものが好きでよく間食をしている。
今日のおやつは、バウムクーヘンかな、ワッフルかな。
ガサガサと袋をあさるような音。
「モサモサ、ザワザワ」
あ、またちょっと音が聞こえにくいな。
最初は何かわからなかったのだが、どうやら猫のルナちゃんが盗聴器に頭をこすりつけたりしている音らしい。盗聴器はソファの裏の見えにくいところに設置したから、山田さんは気付いていないはずだが、ルナちゃんは猫だからソファの下にも潜り込めるのだろう。もしかしたら、「ママ変なものがあるよ」と、ときどき教えているのかもしれない。猫がしゃべれなくて本当に良かった。
「ルナちゃん、おいで、ちゅーるあるよ」
あ、またクリアに聞こえ出した。良かった。ルナちゃんは山田さんにおやつをもらえると思って、ソファから抜け出したのだろう。
16時頃、またテレビのチャンネルが変わった。夕方のニュースが始まる時間だ。
everyやNスタ、イット。チャンネルが変わり、結局今日はeveryの気分らしい。
ニュースを見ながらひとりごとでコメントしている。
「この政治家嘘ばっかりだよね」
「あーラーメン超うまそー!」
お昼にカップ麺を食べていたのに、テレビのラーメン特集でまた食べたくなっているらしい。本当にかわいいなあ。
もう少ししたら、これまたお楽しみのお風呂の時間だな、と思いながらイヤホンに集中する。
すると18時を過ぎた頃、「ピンポーン」と山田さんの家のインターホンが鳴った。
お届け物かな?
「はい」
「もぞもぞ……でして……ごそごそ……なんですが……」
ちょっと玄関の声が遠いな。聞き取りにくい。
「中でどうぞ」
どうやら来客らしい。家にあがってくる人の、衣擦れの音。
「失礼します。改めまして、神奈川県警のイワタと申します」「サコタです」
「はい。あの、警察の方が、私に何の御用でしょうか」
え、警察? 神奈川県警と名乗る男がふたり山田さんの部屋にいる。
何があったんだ?
「この写真を見てください。この男性、ご存じですよね?」
「あぁ、知っています。ワタナベです」
「はい。ワタナベさん。どのようなご関係ですか?」
「えっと、1年くらい前まで付き合っていました」
「最近はお会いになっていませんか?」
「えっと、先週の火曜に久しぶりに会いました」
「それはどういったご用件で?」
「あの、刑事さん、ワタナベに何かあったんですか?」
なんだ、この尋問みたいなやり取りは。
いったい、何があったんだ?
「実は、今日の午後、ワタナベさんが他殺体で発見されました」
「えっ!? 死んだんですか? 殺されたんですか!」
「はい。横浜市の自宅で殺されているところを、遊びにきた友人に発見されました」
「えー……殺されたんですか……。びっくり。まさか殺されるなんて」
なんだ!? えらいことになってる。
僕はイヤホンに集中する。
「改めてお伺いします。先週の火曜日、ワタナベさんと会っていますよね? どのようなご用件で?」
「はぁー。こんなことになっちゃったなら、言わないと……ですね。隠しても仕方ないんで言いますけど、ワタナベは私と付き合っている間に、その……プライベートな写真をいつの間にか撮っていたんです。それで、その、ネットに拡散されたくなかったらお金を、と言われて、先週10万渡しました」
「いわゆるリベンジポルノ、ということですね?」
「……はい」
「お金を渡したのは、先週が初めてですか?」
「いえ。3回目です。でも、もうこっちも派遣で生活ギリギリだし、今回で終わりにしてくれって言ったんですけど。データはまだ返してもらっていないんで、いつまで続くのかわかりませんでした」
「そうですか」
「でも……死んだんですね。死んだ人を悪く言うのは良くないですけど、ちょっとホッとしちゃた部分もあります。このままいつまで脅されるんだろうって、不安に思っていましたから」
なんていうことだ。山田さんにそんな悩みがあったなんて。
「そうですか。それで、まあ、関係者の皆さんにお聞きしていることなんですが、今日の午後1時半から2時半の間、どこで何をしていましたか?」
「1時半から2時半ですか……今日は休みで1日家にいたので、1時半から2時半も家にいました。何をしていたっていわれても、テレビを見たり、のんびりしていただけです」
「テレビは何を見ていましたか?」
「えっと、その時間なら……ヒルナンデスを見終って、ドラマの、相棒の再放送を見ていた頃だと思います」
「どなたかそれを証明できる方はいらっしゃいますか?」
「いえ、いません。一人暮らしですので」
「宅急便とか、来ませんでしたか? デリバリで食事を頼んだとか」
「いえ、していません。今日は誰にも会っていません」
そうだ。山田さんは今日1日家にいた。それは僕が証明できる。
カップ麺を食べながらヒルナンデスを見て笑っていたのも、相棒にチャンネルを変えて犯人予想をしていたのも、僕は全部知っている。
盗聴している僕は全部知っている。なんなら録音だってしてある。
そうだ、録音してある!
これは山田さんのアリバイの証拠になるんじゃないか?
「では、念のためなんですが、署のほうでもう少しお話を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「え、警察署ですか?」
「任意ですので、拒否はできます。でも、簡単にお話を伺うだけ、と思って下さい。ワタナベさんの交友関係などを知っている方に、我々もお話を伺いたいだけです。ご協力お願いします」
「そうですか。わかりました。1日家にいたって、誰か証明してくれる人がいればいいんですけど。ひとりって、こういうとき、寂しいですね。ちょっと着替えますので、少しお待ちいただけますか」
おいおいおいおい!
山田さんが警察に連れて行かれちゃうよ!
どうするんだ。僕! 証明できるじゃないか。僕なら、山田さんを救えるじゃないか。
山田さんが寂しがっているよ。
僕が力になれるんじゃないのか?
不法侵入と殺人。
罪状で考えたら、殺人のほうが重いだろう。当たり前だ。
冤罪の殺人罪で山田さんが捕まってしまったら、僕は一生後悔することになるんじゃないのか。
僕は、不法侵入と盗聴のことを警察に自供する覚悟を決めた。
そして山田さんを助けるんだ。
山田さんが1日家にいたことを証明できる証拠を持って、車を降り、マンションに走った。
《SideBにつづく》→