掌編小説「BEAUTIFUL DREAMERS」③/③
※できれば「BEAUTIFUL DREAMERS ① ②」を先にお読みください※
その日から山矢さんに送迎してもらう日々が始まった。
朝8時45分にアパートを出ると山矢さんがいる。ポケットに手を突っ込んで、アパートの階段によりかかっている。
「おはようございます。」
「あぁ。」
自転車を買おうと思っていたけれど、山矢さんが一緒に歩いてくれるので、徒歩通勤のままとなった。歩いて10分の通勤路。
白いシャツに黒い細いネクタイをぴしっと締めて、黒いジャケットを羽織っているいつもの山矢さん。暑くないのかな。半袖のブラウスでも汗だくになっている私のほうがおかしいような気さえしてくるほど、山矢さんは涼し気だ。
事務所に着くと私は山矢さんにコーヒーを淹れて、自分はアイスティをグラスに注ぐ。
荒草がいつ来るかわからないので、山矢さんは現場へ出る仕事はほとんど入れなくなった。ふたりで事務所にいることが多い。
私は書類の整理をしたり、今後のために最近始めた英語の勉強や基礎的なITの勉強をしたりする。外国人の依頼人がきたとき今までは野村さんが通訳をしてきたらしいが、いずれ私ができたら役に立てるだろう。ITは、エミさんが育休から戻ってきたとしても、私がデジタル担当になりそうな気がするから今のうちから少しずつやっておこう。紙のファイルにとじてある情報をデジタル管理できたら便利になるだろう。
簡単IT入門、という本を読みながら山矢さんを見ると、デスクに座って煙草を吸っている。煙の先、どこを見ているかよくわからない視線。山矢さんは相変わらず無口でつかみどころがなく、まだまだ謎が多いな、と思った。
そんな一見平和に見える山矢探偵事務所の日常が数週間続いた。
もうすぐ9月も終わる、ある日。
午後から風が強くなってきた。
台風が近づいているのだ。
「田橋、今日は天気が悪くなりそうだ。まだ4時だが、今日は終わりにしよう。」
「はい。わかりました。」
私は野村さんに相談して買ってもらったノートパソコンをとじ、帰り支度をした。
階段を下り外に出ると蒸し暑い風が横からびゅっと吹き付ける。
湿度が高くて息苦しい。
「荒れそうですね。」
「あぁ。」
見上げると空は重く暗くなっていて、雲の流れが速い。
いつも通り山矢さんはアパートまで送ってくれて、私が玄関に入るまで見送ってくれた。
「ありがとうございました。山矢さんも、帰りお気をつけて。」
「あぁ。」
強風にジャケットを翻されながら山矢さんは帰って行った。
いつもより早く帰れたので、何をしようか。久しぶりにゆっくり映画でも見ようか。きっとテレビは台風情報ばかりだ。必要な情報を得たら、あとは映画の時間にしよう。見たかったけれど見ていない録画番組もある。
まずゆっくりお風呂に浸かり、デリバリーのピザを食べながら映画三昧(ときどき台風情報チェック)、という贅沢な予定が立てられた。
台風の影響で外はすでに暗い。
ピザとコーラの組み合わせって絶対に裏切らないよなーと思いながら、ソファにだらしなく寄りかかって映画を観ている。海鮮ピザも美味しいけれどほうれん草とベーコンもいい。ありきたりな恋愛映画もおもしろい。
「えー、このふたり別れちゃうの?」
わかりきった展開でも感情移入してクッションを抱きしめながらドキドキしてしまう。
「どうなっちゃうの、ふたりは~」一人暮らしをしていると、ひとりごとが増える。
カンカン、カン、カン
ん?何の音だ?
カン、カンカン
一度映画を止める。いいところなのに。
カン
窓に何かぶつかっている。
映画に夢中で気にしていなかったが、台風の接近とともにどんどん風が強くなってきているのだ。
そろそろ雨も降りそうだ。
そういえばベランダのものを片付けておかなかった。
買ったままで放置しているプランターや園芸スコップがそのままだ。
台風の風で物が飛ばされて窓が割れたりするニュースを見たことがある。
危ないかな、明るいうちにやっておけば良かった。
仕方ない。雨が降る前に片付けたほうがいいな。
私はベランダの窓を開けて外に出た。
瞬間
「つーかまえたっ」
ひっ!
大男に抱きすくめられた。
突然のことで声が出ない。
大きな体、太い腕、四角い顔に吊り上がった細い目、ごつい顎を覆う無精ひげ。
「新人ちゃん、ずっと山矢と一緒にいるんだもんねぇ。やっと捕まえたよ。」
気持ち悪い声。耳をざらっと舐められたようで全身に鳥肌が立った。
怖い。怖い怖い!
全然見た目違うけど、この声は
「荒草っ!!」
「せーいかーい。ぐふふふ」
不気味な声で笑う。吐く息が獣のように臭くて顔をそむける。
「さ、一緒に行こうかね~。大丈夫。ちゃーんと山矢も呼ぶからさ。でも、間に合うかな~」
助けて!そう叫ぼうとしたとき、胃のあたりにドスっと重みを感じ、気を失った。
カツカツカツカツっ!
一定のリズムで鳴る音がする。
意識がぼんやり戻ってくる。
はじめ自分がどこにいるのかわからなかった。ひどく見晴らしがいい。
「お、気が付いたか。」
私は荒草に抱えられたまま、どこかのビルの屋上の、給水タンクの上にいた。
高い!!
何階建てのビルかわからないが、高い。
台風の暴風が吹き付け、体が持っていかれそうになる。
荒草は乱暴に私を抱え、逃げられないようにかぎゅっと腕に力をこめた。
胃のあたりがまだ痛いし気持ち悪い。
カツカツカツカツ!
誰かが走っている音のようだ。
「おお来た来た」
山矢さんが外階段を登って、フェンスをひらっと乗り越え屋上に入ってきた。
「待ってたぜ、山矢。」
「荒草てめえ。」
横殴りの風に山矢さんのジャケットとネクタイはバサバサとはためいている。
「どうだい、新人ちゃんを連れ去られた気分は?え?」
「お前の相手は俺だろう。関係ない人間を巻き込むのはやめろ。」
「そういうセリフは聞き飽きたんだなー。俺はお前を苦しめたくて仕方がない。お前自身を痛めつけるのもいいが、お前のせいで誰かが傷つくのを、目の前で見せてやるのもなかなかいい。」
「相変わらず最低な野郎だな。」
「そんな口聞いていいのか?」
うぅっ!
荒草が腕にさらに力をこめて私の体はぎゅっと締め付けられる。
「肋骨くらい簡単に折れちゃうだろうねぇ。」
「田橋。大丈夫だ。俺が必ず助けるからな。」
「ははは。良かったな、新人ちゃん。助かりたいか?助けてほしいか?俺の機嫌次第だぜ?ほら、助けてくださいって、お願いしてみろよ。ほら、泣いてお願いしろよ。助けてくださいって、泣いてみせろよ。」
カチンときた。
大男だか剛腕だが知らないが、異常にむかつく。
エミさんが「むかつく奴」と言っていた意味がわかった。
怖いけど、頭にきた。
「っざけんな…」
私は荒草の大きな四角い顔にペッとツバを吐き出してやった。
一瞬虚を突かれた顔をした荒草は、ちっ!と舌打ちをし、睨みつけてくる。
「生意気なガキが。痛い目みねえと、わからねえようだなああぁぁぁぁ!!!!」
吊り上がった細い目を充血させて荒草が大声をあげた。
「やめろ、田橋!大人しくしてろ!」
「もう遅せえよ。山矢の前で少し痛めつけてやるつもりだったが、気が変わった。」
荒草は私の体を両手でひょいっと掴むと、頭の上まで高く持ち上げた。
「死ねぇぇぇぇぇぇーーー!!」
荒草は叫ぶと同時に、そのまま物凄い勢いで私をポーンと放り投げた。ちょうどバスケットのフリースローのように。
私はふわっと無重力を感じ、宙に浮いたまま大きく屋上のフェンスを越え、勢いよく落下した。
い、いやぁーーー!!!!
叫びながら私は仰向けの状態でどんどん落下していた。
びゅんびゅん風の音がする。
走馬燈なんてないんだ。
真っ黒い雲が広がる空を見ながら、死ぬと思った。
え、死ぬの?私死ぬの?
死ぬのは嫌だ!と思った。
そのとき、屋上から黒い影がひらっと舞って、すごい速度で迫ってきた。
え、山矢さん!!!
山矢さんが屋上から飛び降りて私に向かって落ちてくるのだ。
だめだ、ふたりとも死ぬんだ!
私は自暴自棄でぎゅっと目を閉じた。
そのとき背中がほわっと温かくなった。
直後、ずんっと自分の体がどこかに着地した重みを感じた。
恐る恐る目を開けると、私は仰向けのまま、山矢さんに抱きかかえられていた。
何があった?!
状況だけで考えると、山矢さんが先に地面に到着し、私をキャッチしてくれた、ということらしい。
いわゆるお姫様抱っこの恰好で。
「や、山矢さん?!大丈夫ですか?!」
「それはこっちのセリフだ。大丈夫か、田橋。」
「は、はい。どこも痛くありません。」
「そうか。怪我がなくて良かった。」
そういう問題じゃありません!と言いたかったが、山矢さんは私を抱きかかえたまま、外階段の影に走り「ここに座ってろ」と言って地面にそっと私を降ろして座らせた。そして自分の手を見て「俺だけの力じゃないな」とぼそっと言った。
「まあ、説明はあとだ。まずこれを持っててくれ。」
と言ってジャケットを脱ぎ、私に放った。
それから右手で人差し指と中指をくっつけたピースのような形を作り、静かに私の頭上に掲げた。
すんっ!という風を切るような音とともに、私は透明のガラスケースのようなものに覆われた。
「うわぁっ!」
なんだこれ!
「結界を張った。この透明な壁が見えるな?」
「は、はい。」
「ここから出るな。待ってろ。」
そういうと山矢さんはネクタイを乱暴に緩め屋上を見あげて
「すぐに済ませる。」と言い残し外階段を走って登っていった。
どうして私も山矢さんも無事なのか、何が起こっているのかわからないが、私は山矢さんに言われた通り、地面に座り込んだまま、透明のガラスケースの中でじっとしていた。
そうするより他なかった。
山矢さんが屋上に着いたのか、うぉおおー!という荒草の叫び声がする。
そこからは、何の音かわからない金属がぶつかるような、カキン!カキン!という大きな音と、荒草の咆哮。どかーんと何かにぶつかるような音。
私は音だけが聞こえるガラスケースの中で、山矢さんのジャケットを握りしめ、じっと身をひそめていた。
どうか、山矢さんが荒草を倒してくれますように!!それだけを祈っていた。
突然どーんという大きな音とともに、何かの塊が屋上から落ちてきた。
えっ
私は外階段の隙間から目をこらす。
そこには、2mほどはあろうかと思われる、ボサボサの真っ黒い毛に覆われた、獣のような太い腕が落ちていた。よく見ると長い爪が生えている。
明らかに異形のものである。
やっぱり荒草は化け物なんだ。
化け物相手に啖呵切ってツバを吐きかけた自分が今更恐ろしい。
カキン!カキン!ドーーン!!カキン!!
激しくぶつかり合うような音のあと、ぐしゃっという大きな嫌な音がした。
うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
荒草がそれまでと比較にならないほどの地鳴りのような叫び声をあげた。
そして静寂に包まれた。
台風の風の音さえも、一瞬止まったように思えた。
静寂の中、地面に落ちていた2mもあろうかという巨大な腕が、ガサっと音を立てて崩れ、サラサラの砂のようになって、びゅっと吹いた風にあっという間に飛ばされて消え去った。
また静かになった。
終わったのか。
カツンカツン
ゆっくり階段を下りてくる音がする。
山矢さんだった。
ネクタイは緩んで、シャツは腕まくりして、珍しく汗をかいている。
「山矢さん。」
「終わったぞ。」
「荒草は、どうなったんですか?」
「俺が倒した。」
山矢さんが勝った。
「良かった。」
口にした途端、涙があふれた。
「やだ、ごめんなさい。私、私、怖かった…」
「怖い思いをさせてすまなかった。でも、思ったより気が強いんだな。奴にツバなんかかけて。」
ふっと山矢さんが息をもらした。笑ったようだった。
「あれは、自分でも驚きました。」
ふっと自分でも笑えてきた。恐怖と安堵と興奮がごちゃまぜだ。
山矢さんは私の頭上にさっと手をかざし、私を覆っていたガラスケースを消した。
「もう出てきていいぞ。」
「はい。」
立ち上がろうとしたとき、自分のお尻のあたりがモサモサしていることに気が付いた。
「あれ、なんだこれ。」
立ってみると、私が座っていた地面半径30センチほど、タンポポやレンゲやシロツメクサなど、野草がびっちり茂り、花を咲かせているのだ。
「田橋は尻の下で花を咲かせる名人なのか。」
山矢さんが真顔で冗談を言う。
「知りませんよ!何ですかねこれ。」
山矢さんはじっと花を見つめたあと「そういうことか」と言った。
「屋上から落ちる田橋を助けるとき、正直間に合わないと思ったんだ」
「え!」
今更怖いことを言う。
「間に合わないって思った瞬間、田橋の落下速度が一気に遅くなった。」
「え、どういうことですか?」
「たぶん、田橋は何かに守られてるな。」
「何か?」
「あぁ。田橋が就職の面接に来たとき、肩のあたりに温かそうな光を視た。悪いものではなさそうだったから、そのまま田橋の就職を決めたんだ。役に立つかもしれないと思って。」
「肩に光ですか!?」
「あぁ。エミにも視えていたようだから、何か田橋を守ってくれる存在がいるのだろう。」
「守ってくれる存在って。私にはわかりません。」
「まあ、自覚のない場合も多いだろう。」
誰が守ってくれているのだろう。
「あ、そういえばエミさんや野村さんは大丈夫なんでしょうか!」
「あぁ、あのふたりは強いから大丈夫だ。野村さんはコマンドサンボも強いし、柔術の師範でもある。エミは結界もはれるし戦闘もわりと強い。だから田橋が狙われたんだ。」
「エミさんもガラスケース作れるんですか!?」
「ガラスケース?結界な。」
もう何が何だかよくわからない。ただ助かった。今はそれだけでいいか。
でもひとつだけ聞きたい。
「あの、山矢さんって、何者なんですか?」
「何者と言われても、俺は山矢探偵事務所の探偵だ。それだけだよ。」
そういって、またふっと笑った。
「さあ送ろう。早く帰らないと雨が降りそうだ。」
たしかに台風は近づいていた。
でも私にとっての嵐はとっくに行き過ぎていた。
探偵事務所に就職して、こんなことになるなんて。
99件の面接に落ちたせいだなと、またひとりで笑った。
何笑ってるんだ?と振り返る山矢さんは、いつもの無表情な山矢さんだった。
《おわり》
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先日投稿しました「満開の白木蓮」という作品を原点として、この「山矢探偵事務所」の物語がうまれました。
もしよろしければ、↓「満開の白木蓮」も読んでいただけたら、嬉しいです(^^)
よろしくお願いします。