「黄昏スパナ」⑥/⑥最終話
「派手で図々しい女に振り回された1日だったけど、なんだかんだ言って、楽しかったね。」
有が「なんか悔しいけど」と言いながら話す。
有沢飯店で豪華な夕飯をごちそうになり、俺たちは家まで歩いている。
「そうだな。有の家族に助けられたな。感謝しないと。」
俺はルカがいる間中ずっと我慢していたラッキーストライクに火をつける。久しぶりに吸うと煙草は濃い。煙を深く吸うと、肺の奥にずんと響くから不思議だ。ちゃんとニコチンもタールも、肺の端まで届いているのだ。有もアメリカンスピリットをくわえる。
「ママンも兄貴も楽しそうだったから、結果オーライなんじゃない?ルカちゃんもまた遊びに来たいって言ってたし、今度から急に佐伯さんが仕事になったら、ママンのところに預けに来たりしてね。」
「そうかもしれないな。」
もうすぐ日没の時間。薄暗くなってきた商店街が黄昏色に染まる。
歩きながら煙草を吸うのはきっと行儀が悪いのだろうけれど、俺は行儀が悪いから仕方がない。
「英二の隠し子疑惑も晴れて、マジで良かったよ。今朝、聞いたときは、一瞬殺しちゃうかと思ったよ。」
「怖いことを言うなよ。」
「ふふふ、マジだって。僕はさ、英二を殺したって、ちゃんとトリック使って密室にして、逃げちゃうんだから。」
「あの、テグスのチェーンもできないお前がか?お前が密室トリックで苦戦しているうちに、俺がダイイングメッセージ書いてやるよ。」
「えー、そんなのずるいよ。じゃ、密室は諦めて、凶器のないトリックってやつでいこうかな。」
「どうやるんだ?」
「紙で凶器を作って、ヤギに食べさせるんだよ!今日動物園にヤギいたでしょ?あいつ、紙食べてくれるかなー?」
「ふはっは。」思わず笑ってしまう。
「ヤギが食べてくれるかどうかも問題だが、紙でどうやって俺を殺すんだ?」
「うーん、尖らせて刺す!」
「俺は結構鍛えてるぜ。」
「うーん、じゃ、スパナで殴る!」
「おい、紙どこ行ったんだよ。」
「小説の中で撲殺するなら、凶器は絶対にスパナなんだよ。もう決めてるの!」
「そうかそうか、じゃ、スパナが事件現場にあったら、有の仕業だと思うから捕まえてくれ、って今から遺書を残して、ママンに預けておくかな。」
俺はくわえ煙草で有の頭をモシャモシャにする。有は「ママンに預けるのはズルだ!」と言いながら俺の腕に腕を巻き付けてきた。
「有、三毛猫博士の話をしただろ、今日。」
「うん。このへんの近所での噂だよ。」
「そのとき、有は、僕には一生わからないかもしれないと言ったな。」
「え、うん。だって結婚したことないし。」
「俺も結婚したことはないんだが、なんとなく、わかる気がするんだ。」
「何が?」
「もし、もし有が俺より先に死んだとして、猫なり犬なり、生まれ変わったとするよ。そしたら、俺はそれが有だとわかる気がする。」
「え、本当?」
「あぁ。だから、確信が持てるまで三毛猫を探して保護し続けてる三毛猫博士が本当にいるのなら、俺には少し、気持ちがわかるな。」
「英二はそんな話、信じないタイプかと思ってた。」
俺は煙を深く吸って吐く。
「俺も、自分はこんなタイプじゃないと思っていたよ。でも、今日、動物園で有の家族を見ていて、思ったんだよ。今、有と俺は一緒に暮らしてるだろ。」
「うん。」
「まだ数か月だけど、これから何年、何十年と一緒に暮らすとする。」
「うん。」
「そしたら、それってもう家族なんじゃないかなって、思ったんだ。」
「何それ。英二、ロマンチックじゃん。」
有が腕にぶらさがるようにくっついてくる。
「な。ロマンチックだよな。自分でもよくわからんよ。お前と一緒にいると、だんだん自分が優しくなっていくようで、不思議だ。」
「いいんじゃない?ロマンチックで優しいワイルドなイケメンなんて大歓迎だよ!」
「そうか。それならいいが。」
俺は、有に認められればそれでいい、と思えている自分にも、驚いている。こんな風に人を想ったことはなかった。俺はこんな人間じゃなかった。
「じゃ、次は僕がロマンチックな話する番ね。」
「おう。」
「黄昏っていうじゃん?こういう、夕暮れ時のこと。なんでか知ってる?」
「誰ぞ彼?だろ?」
「なんだー、知ってたの?」
黄昏というのは、薄暗くなってきて「誰ぞ彼?(たれぞかれ)」「あなたは誰ですか?」と問いかけるするような、お互いの顔が見えにくくなってくる時間帯を指す、という語源があるのだ。「たれぞかれ」が縮まって「たそがれ」になったのだ。
「知ってたよ。偶然だけどな。どれ、有の顔は見えるかな?」
腕にしがみつく有の顔を覗き込んだ途端、両手で頬を挟まれて、チュッとキスをされた。
「なっ!」
「ふふふ!僕の勝ち~!」
「煙草危ねえだろ。まったく、外でそういうことをするな。男女の問題じゃないぞ。大人としての問題だ。」
「ふふふ~、もうしちゃったもんね~」
楽しそうに笑う有を見て、苦笑しながらも、相変わらずかわいい奴だな、と思った。俺は吸い終えた煙草を携帯灰皿に捨てる。
こんなかわいい奴と何年も何十年も一緒に暮らして、いつか家族になれるなら、長生きするのも悪くないなと思った。
早く帰って、風呂に入って、早く一緒に布団に入りたい。
そう思って、思わず速足になる俺。
同じ気持ちだったのか、有もニヤニヤしながら速足でくっついてくるから、俺は立ち止まって、黄昏色の空気の中、驚いた顔をする有の頬を両手で包んでさっきより長いキスをしてやった。
《おわり》
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